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2011年9月26日 (月)

浦添市沢岻の拝所を巡る、その2

 沢岻の拝所は多い。まだ続く。沢岻樋川(タクシヒージャー)がある。でも紹介された資料で探すけれどなかなか見つからない。近所にいたお年寄りに聞いたが「さあ、わからんねー」「水が出る樋川というから、高いところじゃないね」。沢岻でも近所の人にいくつか尋ねたがわからない。地域の人でも、案外しらないことが多い。 一番高い場所にマンションがある。昭和薬科大学付属中学校、高校の玄関前である。とても見晴らしの良い場所だ。浦添市街地と青い海が一望にできる。

044  思わず見とれて写真を撮っていた。振り返ると、なんか史跡らしいものがあるではないか。それが沢岻樋川だった。

047_2

 樋川は、水槽がいくつにも区切られている。飲料用や野菜や食器など洗うところ、衣類を洗濯するところなど用途によって分けられているのだろう。高い場所なのに、水は多く、いまでもとても透明度が高い。

048  のぞいてみると、小さな魚が何匹も泳いでいるではないか。053  カー、ヒージャーは、湧水なので、あ046 まり魚は見ない。でもここはなぜか棲んでいる。

 この樋川はとても由緒あるものである。由来と琉歌が書かれた立派な碑がある。

「沢岻樋川やかりーな泉 首里御城に若水ゆうさぎてぃ 千年万代栄えうにげ」
 「かりー」はめでたい、縁起が良いという意味である。説明文には要旨次のように記されている。

 沢岻樋川は1000年余りの歴史がある。琉球王朝の頃、風水の方位がよく、水質も良い泉であり、正月には国王の長寿・繁栄を願い、若水を献上したという。

 琉歌はそのことを詠んでいる。1999年修復とあるから、昔からこういう碑があったのだろう。

 沢岻は、由緒ある史跡や拝所があるのに、案内板がないので見つけにくい。同じ浦添市でも、仲間の集落は、案内の標識や説明板が整備されていたので、とても助かった。

054  樋川は、マンションの駐車場に降りる道のそばにあるから、056 表通りを歩いていても分からないはずである。

 ここから少し下がった場所に「めじろ公園」がある。名前から見ると新しい感じの公園だが、ここに見どころがある。

 琉球の古謡である「おもろ」の碑が建っている。

「おもろ」の碑は面白い姿をしている。というのは、碑は大きな岩に取り付けられ、その上に樹木が茂っている。

060 059

 「おもろ」は達筆過ぎて、浅学非才の身では読み切れない。説明板があった。

 058_2  これも読みにくいが、なんとか分かった。つまり、これは、尚清王の名付け親といわれる沢岻親方(ウェーカタ)盛里(1526年没)を讃えた内容だという。

064 公園には、「中の殿」という拝所がある。これがまた不思議なところだ。

062  「中の殿の御嶽」とある。普通は、御嶽があって殿(トン)がある。ここはなぜか「中の殿の御嶽」となっている。
 それに、その下に刻まれた名前が初めて見るものだ。つまり「邪馬台国根火の神」とある。なぜ、邪馬台国の名があるのだろうか? また左端には「天照神鏡みるく神」とある。なぜ「天照」(アマテラス)なのだろう。いずれも、琉球らしくない。大和めいた名前である。063 「天続々女神国じく」というのも何のことなのか、よくわからない。こちらは、何の説明もないから、とにかく分からないことばかりの「中の殿」である。

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コメント

沢岻ヒージャーはあんなに由緒があるのに、ご近所の老人が知らないということは、現在は正月のハチウガミの際やその他ウマチーなどの諸行事がこの地域では行われていない、ということがうかがえます。伝統行事を行う際には、地元のノロが御願をたてる場所だからです。地域の行事になくてはならない拝所になっているはずだからです。句碑がありましたが詠んだ人の名は「ひろし」とだけありました。ひろしって誰ね?
 それに整備の仕方がなっとらん!マンションの駐車場の下に押し込めるとはなんということか。沢岻の拝所は全体として、「保存しよう」「代々受け継ごう」という気概が感じられない!
 そんなことでいいのか!自分たちの昔の島建てをした場所なのに。あそこは新しい住宅街なんですかね?
 「おもろ」の碑があるのは貴重なのでよいけれど、あの文字はどうにかならんか。説明板ももっと読みやすく立てなおすべし。
 「アマテラス」「邪馬台国」の御嶽は、なんかあやしい。あれは大和との合作じゃないの。大和が琉球を大和化しようとした名残りじゃないの。

 いくぼーさん。ずいぶん厳しいですね。分かりにくいのは確か。沢岻樋川は、子どもが生まれたとき水をt使う産井(ウブカー)だったというけれど、いまはもう使われないのでしょう。
沢岻はそういえば、ノロ殿内や火の神も見かけないですね。もうあまり古い祭祀は残っていないのでしょうか? 
「中の殿」はやっぱりどうみても大和風ですね。なにか違和感がありますね。

沢岻のめじろ公園内の御嶽について…

コメントに『大和の合作…』『あやしい…』等々、書かれてありましたが…
『天照神』と書かれてる件に関しては、今の私にはまだ、わかりません。
『中の殿』の神については知っています。中の殿は沢岻村の拝所の一つです。沢岻には四つの殿があります(今は沢岻拝所に一つに合祀されてます)中の殿だけは、神の神託によって、昔、もともとあった場所に再び建てられました。また、その近くには中の御嶽がありました。今は住宅が建ってますが…
また、『天続々女神』については、沢岻村に関係のある女の神様です。確か?『長女を中の御嶽に天続々女神として祀る』と書かれた本がありました。
めじろ公園がある場所は大昔、この辺りに沢岻グスクがあった。
また、『ヒミコ神』については、私が聞かされて知ってる事があります。
この『中の殿』は『浦添市沢岻の村の拝所である』という事を知っていただきたいと思います。
また、沢岻の村のノロ殿内はあります。しかし、残念ながら、今年(平成23年)ノロ殿内の神屋が下げられてしまいました。


○○ヌルドゥンチの分家の孫娘さん。ご丁寧なコメントありがとうございました。
沖縄に移住したヤマトンチューですが、各地の由緒ある集落を歩いて拝所や井戸など見ると、昔からの人々の暮らし、民俗が分かるので、出かけています。
 沢岻の中の殿も、沢岻の村の大切な拝所であることがよくわかりました。
 私たちのようなよそ者でも、由来などわかる説明文などがあると嬉しいですね。沢岻は、史跡、拝所を説明するものがほとんどなかったですが、同じ浦添市でも仲間集落では、各所に案内の標識や史跡、拝所には説明文が掲示されていて、とても助かりました。

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