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2011年9月19日 (月)

志多伯の伝統芸能はすごい!

 この時期、沖縄の各地で豊年祭が盛んだ。豊年祭といえば、村の芸能祭のような趣がある。なかでも、旧暦8月15日の満月に行われる、八重瀬町の志多伯(シタハク)の豊年祭は、名高い。2日間にわたり、伝統芸能を合計60演目も披露する。しかも、土曜、日曜に合わせて祭りをするところが多くなっているけれど、志多伯はあくまで旧暦にこだわり、月、火曜日に昼間から、パレードのような道ジュネーからはじまり、夕方から夜中の午前零時まで演じる。

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 志多伯の守り神である獅子加那志(シシガナシ)は、「年忌祭」(ニンチサイ)だけ登場する。沖縄戦で住民約700人のうち半数近くが犠牲になったとのこと。生き残った人々は、終戦1年後を1年忌とし、年忌豊年祭を開いてきたという。今年は戦後ニ巡目の33年忌にあたる。豊年祭もこんな戦争の犠牲の供養を重ねているところに、住民の気持ちが込められている。

 道ジュネーには、獅子加那志も登場し、地域の拝所を巡ったという。夜6時半からは、志多伯馬場で棒術や獅子舞、舞踊、狂言、空手、歌劇、さらには総合芸能の組踊と次々に演じられた。
 舞踊や空手、獅子舞はどこの祭りでも登場する。でも、狂言、歌劇、組踊となると、半端な芸じゃない。志多伯の伝統の狂言があるという。それが「大按司願い」(ウフアジニゲー)だ。作者は不詳。明治時代から演じられているそうだ。

 058 按司とは、地域を支配した豪族のような存在だ。舞台で大按司の役を申し出た太郎は、妻に今回の大按司は自分だと自慢する。夫の晴れの舞台を期待する妻だが、15夜の当日、本物の大按司が登場して大慌ての太郎。そんなストーリーで笑わせる。

    061 狂言は、大和でも昔はあった村芝居を見ているようで楽しい。みんな素人とは思えない熱演である。

 第1日目の芸能は、30演目あるが、その13番目に喜劇「やまーよ」があった。これは、真面目に働かず酒ばかり飲む「やまー」は、大和女性の妻に愛想をつかされて、妻は家を出て行く。

007  そんな「やまー」の家に、ドロボーが入ってくるが、そのドロボーの名前がなんと、同じ名の「やまー」だ。主のやまーは隠れている。そこへ、借金取りの八百屋、電気屋、家主が押し掛けてくる。ドロボーが同じ名前だったので、つい借金取りの応対をする。お人よしにも、ドロボーは、自分がドロボーと見破られないため、「やまー」の代わりに借金を払う羽目になる。そんな喜劇である。

 005  これが実に面白い喜劇で、終始、聴衆は大笑い。一流の喜劇役者のような演技だ。セリフもよく聞こえる。動きも達者である。どれくらいの練習をしたのだろうか。ほとほと感心した。
 この写真2枚は、デジカメではなく、ビデオの動画の画面をカメラで撮ったものなので、画像が悪い。

 実は、演劇はこれでまだ半分である。この夜、歌劇「桃売りアン小」(モモウイアングヮー)、そして組踊「忠臣身替りの巻」が最後に控えている。でも、あまりに夜遅くなるので、残念ながら見れなかった。組踊は、第2日目には「手水の宴」(ティミジヌイン)がある。志多伯で「手水の縁」を上演するのは、なんと59年ぶりとか。よく長いブランクがあっても継承できるものだ。さすがである。

 これだけの、伝統芸能を見事な演舞で披露するには、芸能を受け継ぐ若者、子どもたちがいないとできない。なにより、伝統芸能の保存と継承に熱意を持ち、みんなに指導できる人材がいること。地域で豊年祭と伝統芸能を継承することに誇りをもち、日頃から努力し、練習を積み重ねる住民の芸能力がないととてもできないだろう。

 049          志多伯で演じられた「長者の大主」

 沖縄で村の芸能祭として有名なのは、多良間島の「八月踊り」である。国指定重要無形民俗文化財にも指定されている。ことしも、旧暦8月8日にあたる9月5日から7日まで、3日間にわたり行われた。5日は同村上原、6日は同村塩川、7日は両字で組踊、狂言、舞踊その他の芸能が奉納された。「八月踊り」は、人頭税を無事に完納できたことを喜びと、五穀豊穣への願いが込められている。島を挙げての一大伝統芸能の祭典である。

 本島でも、西原町小波津(コハツ)では、6年に1度の卯年と酉年に開かれる「小波津七年まーる村遊び」が9月11日開催された。集落を挙げての芸能祭は「村遊び」(ムラアシビ)という。はやり、五穀豊穣と集落の発展を願って、明治末期から開かれていた。でも、日本復帰後の1975年から途絶え、30年ぶりに2005年に復活。それ以来、2度目の開催だという。
 琉舞、棒術、獅子舞、歌劇、組踊など演目がたくさん上演されたという。これも西原全体ではない。小波津の一集落である。多良間も西原も見ていないので、新聞報道で知った。

 072              琉球古典舞踊の「かせかけ」 (志多伯) 

 「芸能の島」といわれるだけあって、小さな島や集落、字の単位でこれだけの芸能を演じる豊年祭、村遊びを続けているのは、すごいことだ。その一方で、後継者難などの事情があり、途絶えたところもある。そんななかで、2日間にわたる住民総出の芸能祭を続ける志多伯恐るべし!

083        豊年祭の芸能は、満月の下で楽しむのが一番だ(志多伯)

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文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

志多伯の豊年祭は「演じるあなたが主役です」っていう感じで、シマのなかで舞台に出ない人はオジーオバーだけじゃないですか?舞台が進むにつれて時間は遅くなるのに、見に来る子どもが増えて行くので「きっと出番が終わった子どもが見る側に戻ってきたんだろうな」と思ってました。
 芝居はすごかったですねえ。あんな玄人はだしの演技、どうやって稽古したんでしょうね。そういえば、志多伯には伝統芸能継承者の神谷武史さんという方がいて、毎年組踊などを教えているそうですよ。
 神谷さんは「高平良万才」をひとりで演じた方です。
 昔の人は組踊を「見に行く」ではなく「聴きに行く」と言ったそうです。地謡の方たちは60演目をほぼやりとおしたのでしょうから、舞台のそでに隠さないで、見せてあげてほしかったですね。子どもの地謡もあったのだし。
 そういえば、芝居では「効果音」なんかも工夫してましたね。「やまよー」で、どろぼーやまーがジタバタするときに、太鼓を打ったりして。
 それで芝居が終わると、拍子木が鳴るので、ホントに「村芝居」を見てる雰囲気が高まってよかったです。来年はビールと弁当持参ですね!

 みんなで演じ、みんなで楽しむというのが、豊年祭の芸能でしょう。那覇の老人福祉センターのチャリティーコンサートなんかも、みんなで演じ、終われば見る側に回ります。あれだけの演技をするには、毎日、夕方からは公民館に集まって稽古したんでしょうね。ニービチ(結婚式)の余興でさえ、相当稽古するほどですからね。
 地謡といえば、志多伯は舞台の横にわざわざすだれのようなもので隠して演奏してたけれど、隠す意味はないのにね。あれだけの芸能を交代なしで演奏するのは超人的ですよ。交代といっても、これだけの演目を上手に演奏できる人は、この地区で芸能が盛んでもそんなにいないのかもしれないね。
 芝居の効果音は、太鼓一つで十分に効果を出していました。来年は、組踊を見たいですね。

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