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2011年9月25日 (日)

浦添市沢岻の拝所を巡る、その1

 浦添市といえば、琉球の中山王の発祥の地である。沢岻(タクシ)にも由緒ある拝所や史跡があるので、巡ってみた。
 沢岻は、国道330号線の東側の高台にある。

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 史跡浦添御殿(ウドゥン)の墓は、ちょうど復元整備工事の最中で、立ち入れなかった。

 18世紀の国王、尚穆(ショウボク)王の次男・朝英、三男、朝喜が葬られているとか。
 復元工事のためか、石段にも一つ一つ番号が振られている。

 すぐ隣に、沢岻按司墓があった。按司(アジ)とは豪族のような地域支配者だった。沢岻には、沢岻世の主と呼ばれる按司がいて、沢岻の村建てをしたと伝えられるそうだ。「世の主」とは、いくつかの按司を統率する有力な按司を指す。012 按司墓は、相当古い。石積みが墓だろうか。そのわきにはガマがあり、やはり石がたくさん入れられている。古い時代の墓なのだろう。017  按司墓の上に、拝所のようなところがあった。そこになにやらいわれが刻まれているが、よく読めない。

016 沢岻初代の王が努めた⋯⋯ 今帰仁より島作⋯⋯ 沢岻世の主の火の神あり
 こんなように読めるが、意味がよくつかめない。今帰仁とかかわりがありそうだ。
 東樋川(アガリヒージャーと読むだろうか)の碑がある。最も高い地点にあるので、こんなところで水が出ていたとは信じられない。でも樋川の名があれば、その昔はここでも水がわき、樋から水が流れ出ていたのだろう。

015  少し歩くと、沢岻拝所があった。鳥居が建っていて、拝所は階段の上にある。

023_3  聞くところによると、かつてあった拝所が宅地造成で立ち退きになり、合祀されてこの沢岻拝所ができたとか。
024 上がっていくと、合祀された祠があった。右端には「根所」とある。左側6つは、御嶽(ウタキ)らしい。「東之お嶽」「金満お嶽」「中之お嶽」「西之お嶽」「火水の守」というのもある。御嶽とは、神が降りてくる神聖なところである。
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裏に回ると、別の香炉など並んでいた。こちらは、ヒージャーやカー(湧水)が4つ。トン(殿)が4つと合計8つの香炉が集められている。027 湧水のあるヒージャー、カーは住民にとって命037_2 の源である。だから、水の湧くところは祈願の対象であった。「トン、殿」は、御嶽の神を祀る拝殿のような所である。これらを集め合祀しているようだ。
 
 さらに西に少し行くと、カニマン御嶽があった。そこに上がる階段は、なんと狭いことか。

まるで水路かなにかのようだ。とにかく、沢岻は、高台にあるのに、その高地でも一段と高い場所に拝所がある。だからみんな階段で登らなければいけない。

 沖縄の集落はどこも、南向き斜面の一番高い場所に御嶽があり、その前面に集落が広がっている。沢岻も同じだった。

 ここにもいくつもの碑がある。南山拝所、金満按司添、金満御嶽。どれもよくわからないものばかりだ。ただし、金満(カニマン)と名のつく御嶽などは、那覇市の小禄を始め、各地にある。 038 調べてみると、カニマンとは鍛冶屋に関係があるらしい。いや、鍛冶そのものを意味するとも聞く。鍛冶職人を祀ったところもあるらしい。

なぜ鍛冶が崇められるのだろうか。沖縄は、鉄を産出しないので、鉄が沖縄にはいってきたのは、大和より相当遅れた。鉄でつくった農具は、農業の生産力を飛躍的にアップさせた。だから、鉄製農具は、とても貴重であり、重要だった。040 上の写真は、金満御嶽の碑である。
 沢岻世の主と呼ばれた按司の息子の金満按司は、農民に農具を配ったという伝承があるとか。ここの金満御嶽と金満按司添の碑がそういう伝承のものなのだろう。この伝承は、ネットで書かれていることの受け売りだが、現在のところこれ以上は、知る資料がない。

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コメント

沢岻の拝所は地元の人にもよく知られていない様ですよね。エイサーの道ズネーが行われる、自治会館前の「タチミチ」さえ、そのすぐ近くにいた人に聞いたのに「さあ、聞いたことないねえ」と言ってました。ましてや古い拝所の由来など、なんだか日常生活とは無関係に過ごしている感じ。でもあそこにどういう人だかわからないけど、按司が築城していたことは確かですね。でもなんで御願する対象をいっしょくたにしちゃうんでしょうね。

 沢岻は、新しい宅地造成がされ売りだされていたけれど、拝所のある古い集落は、もともと住んでいる人が多いだろうに、なぜかあまり知らない人が多かったですね。おじい、おばあたちにとって、拝所は御願のため身近なところだと思うけれど。
 いくつもの拝所を合祀すると、由来とかわからなくなり、すこし味気ない感じがします。
沢岻グスクがあったというけれど、どのあたりかよく分からないままでした。

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