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2011年10月17日 (月)

多良間島にある平敷屋朝敏の墓

 政治犯として処刑された琉球の悲劇の文学者・平敷屋朝敏(ヘシキヤチョウビン)のお墓があるという。沖縄本島には、いつくか碑はあるがお墓は見たことがない。朝敏とその一門のお墓があるのは、八重山と宮古諸島の中間に位置する多良間島(タラマジマ)である。

 朝敏に関心があっても墓のことは知らなかった。『宮古の史跡をたずねて』という宮古郷土史研究会発行の冊子を読んでいたらその記述に出合った。
 朝敏(1700~1734年)は、琉球の歌三線、踊り、台詞の総合芸能である組踊でも、唯一といわれる恋愛物「手水の縁」をつくったことで有名だ。
 当時の封建道徳で、士族は結婚は親が決めるという原則だった。だが、「手水の縁」はその封建道徳を乗り越え、自由な恋愛を成就させる画期的な組踊である。
 その朝敏は、1734年に当時の名高い政治家である蔡温一派を批判したとみられる文書を、薩摩藩吏の館に投書したため、磔の刑にされた。長男の長良は多良間島のそばの水納島(ミンナジマ)、弟の朝助は多良間島に流されたという。
  朝良は、その後水納島から多良間に移り、弟と仲良く暮らすことを許されたけれど、弟は成人にならずして早死にしたと伝えられる。朝良は、成人して多良間のナカツト屋の娘と結婚、子孫繁昌したという。その一門の墓が「里之子墓」で、多良間村字仲筋にある。私はまだ、多良間島には行ったことがないので見る機会はない。でも冊子には写真が掲載されているので様子はわかる。

 この墓には、1935年に朝敏夫妻ほか5人の遺骨が納められた。遺骨の護送は、沖縄本島の門中(ムンチュウ、父系の血縁組織)の一人、大宜味氏とマクルヤーの饒平名(ヨヘナ)長健氏によってなされた。008         朝敏の妻が詠んだ琉歌の歌碑。宮城島にある。 

 うるま市の平敷屋公民館のホームページの記述は、少し内容が違う。
長男の朝良は多良間島、次男は与那国島、三男は水納島に流刑にされた。三男は幼少であったので多良間の長男が引き取って養育していたが夭折したといわれる。朝良はナカット(嵩原家)の女をほめにとって一家をたて、その長男の「まからー」はマクルヤー(饒平名家)の元祖となった。次男の「じらー」はヤマトヤー(平安名家)を立て、長女はウルカヤー(石原家)に嫁いだという。

 多良間村のホームページに掲載されている歴史年表では、宮古郷土史研究会と同じく、長男は1734年に水納島、次男は7年後、多良間島に流刑されたと記述している。
 どちらもいわば当事者の自治体、自治会の公式見解である。いまのところ、どちらの見解が史実であるのか、わからないので、両論併記としておきたい。

011    組踊「手水の縁」の舞台となった瀬長島に建てられた平敷屋朝敏の歌碑

 大事なことは、朝敏の息子が多良間島に流されたが、朝良とその長男まからーは、首里にもたびたび往復して、首里文化をもたらしたことだ。組踊「手水の宴」は、多良間島では1897年(明治30年)頃まで上演されていた。台本の写本は、多良間島郷土資料室に保存されているという(『宮古の史跡をたずねて』)。 多良間島では、「八月踊り」と呼ばれる豊年祭がある。三日間にわたり、組踊をはじめ狂言、舞踊など伝統芸能が披露される。国の重要無形文化財にも指定されているほどだ。

 朝敏と家族は骨になって息子とその子孫たちと、同じ墓でいっしょに眠っている。一度、行ってみたいものである。

 

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コメント

そうだったんですか。多良間は小さい島だけど、見るものがたくさんありますね。朝敏のお墓まであったということは、息子たちが島にいかに根付いたかという証ですね。
 八月踊りでは「手水の縁」は上演されないのでしょうかね。
 多良間の人にとっては朝敏は身近な存在かもしれないですね。薄幸の文学者であっても、亡くなった後、多良間では島人から慕われたんじゃないでしょうか。
 朝敏の妻の骨もここにあるんですか。
 多良間は御願所もいろいろあるみたいだし、一度行ってみたいものです。
 う~ん、やっぱ、8月踊りのツアーに行けばよかったかなあ。

 「手水の縁」は八月踊りで、これまでに上演されたことはあるでしょう。台本の写本も大切に保存されているほどですから。朝敏夫妻ら5人の骨が移送されたというので、妻まなび、それに妻のもとに残された女の子の骨がこの墓に葬られてのでしょう。
 八月踊りは、一度見る価値のある芸能ですね。

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