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2011年10月12日 (水)

世界のウチナーンチュが集う

 海外に移民などで出かけた沖縄県出身者らが集う「第5回世界のウチナーンチュ大会」が13日から16日まで開かれる。海外の県系人は40万人を数える。大会はほぼ5年に1回開かれており、今回は23カ国・2地域から約5200人が参加する。

 沖縄は1900年初めてハワイに26人が移住して以降、南米、北米、南洋諸島をはじめたくさんの人たちが移民として出かけた。ハワイ移民を熱心に進めた金武町出身で、沖縄自由民権運動の闘士でもあった当山久三は「移民の父」を呼ばれている(下写真)。048  夢をもって出かけたけれど、移民先では大変な辛酸をなめながら、頑張った人が多い。成功した人がいる陰で、失意のうちに倒れた人もいた。沖縄は全国有数の移民県だ。背景には、離島ゆえの貧しさがある。沖縄戦の後は、米軍基地に土地を奪われ、やむなく移住した例もある。そこには、さまざまな歴史が刻まれている。

 いま県系人も2、3、4世の時代になり、日本と沖縄に仕事を求めてくる人も多い。ウチナーンチュは、移民先でもネットワークをもって、沖縄人としての誇りを胸に、沖縄語や文化、芸能の伝統を受け継いでいる。そんな中から、沖縄の芸能・民謡を習って、歌手としてデビューする人も何人もいる。

 ところで、移民については、さまざまな民謡が作られ歌われている。そんななかで、代表曲として、普久原朝喜(フクハラチョウキ)作詞作曲の「移民小唄」を紹介しておきたい。ほとんど共通語で書かれた詩なので、原文そのままで紹介する。

1、なれし故郷 沖縄の 想い出深き 那覇港 
  泣いて別れた 両親(フタオヤ)と 八重の潮路を 押し渡り

2、海山越えて はるばると 来たる月日も 夢の間に
  もはや1年 たちました 油断するなよ ネー貴男(アナタ)

3、立てし志望の 一筋は 岩もつらぬく 覚悟あれ
  金は世界の まわりもの かせぐ腕には 金ばかり

4、無理なお金も 使わずに 貯めたお金は 国元の
  故郷で祈る 両親に 便り送金も 忘れるな

5、人に勝りて 働けよ 金倹貯蓄も 心掛け
  錦を重ねて 帰る時 親の喜び 如何ばかり

 移民した県系人の間では、沖縄戦で郷土が焼け野原になり、身近な親兄弟や親類、友人・知人が犠牲になったことに、とても心配し、心を痛めた。戦後の復興にさいして、故郷の沖縄にお金や物を送り復興をさせようという運動も沸き起こった。有名なのが、ハワイの県系人が募金を集めた、豚550頭を沖縄に送り喜ばれたことだ。

 普久原朝喜の作詞作曲した曲に「懐かしき故郷」がある。朝喜は、大阪にいたので、郷里のことをとても心配してつくったようだ。だから、大和から沖縄のことを心配した歌詞だが、海外の県系人にとっても同じ思いだっただろう。この曲の歌詞と歌意を簡単に紹介しておきたい。

1、夢(イミ)に見る沖縄(ウチナー) 元姿(ムトシガタ)やしが 音(ウト)に聞(チ)く沖縄
 変て無(ネ)らん  行ちぶさや生れ島
 (夢に見る沖縄はもとの姿のままだが、便りに聞く沖縄は変わり果ててしまったという 
  行ってみたいなあ 生れ島に)

2、此処(クマ)や彼処(アマ)ぬ心配(シワ) 彼処や此処ぬ心配 心配ぬ果ねさみ 
  彼処ん此処ん 行ちぶさや 古里に
 (こちらもあちらも心配だ あそこもここも心配でならない 心配して果てしない 
  あそこもここも 行ってみたいな 古里に)

3、平和なて居(オ)むぬ 元ぬ如(グト)自由に 沖縄行く船(フニ)に 乗(ヌ)してたぼり
  行ちぶさや 生れ島
 (平和になったから もとのように自由に 沖縄に行く船に乗せて下さい 
  行ってみたいなあ 生れ島)

4、何時(イチ)が自由なやい 親兄弟(ウヤチョウデ)ん揃(スル)て うち笑い笑い
 暮すくとや 行ちぶさや 古里に
 (いつか自由にったら 親兄弟がみんな揃って おおいに笑って暮らせるだろう
  行ってみたいな 古里に)

 この民謡を歌っていると、故郷を離れて暮らすウチナーンチュの思いが胸を刺すように伝わってくる。とくに、4番まで来ると、「親兄弟揃ってうち笑い笑い」と歌いながら、おもわずウルウルとしてくることがしばしばある。名曲である。

 移民として出ていた人や移住した県系人らを歌った民謡はとてもたくさんある。全部は紹介できない。このブログでも「戦世と平和の沖縄島唄」(2010年6月)でいくつか紹介してあるので、関心ある方はそちらも読んでみて下さい。

 

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コメント

世界のウチナーンチュ大会には、世界各国からウチナーンチュ2世、3世、4世が集い、沖縄中が沸き立っていますね。夢見て海外に渡っても、開拓、差別、貧困など艱難辛苦を生き抜いた人たち。ラジオの「民謡で今日拝なびら」の上原直彦氏が言っていたけど、かつて移民した1世の合言葉は「生まれ島に送金を」だったそうです。どんなに離れていても、「わしたウチナー」のことは忘れない、というか、残してきた島があるからこそ、ふんばれたのかもしれません。
 それにしても、5200人の参加者のうち1000人がブラジル移民とはすごいですね。三線も海を渡ったそうですね。1世の三線が、代々受け継がれているとか。なかには王府時代の型の三線を持っている人もいるそうです。世界のウチナーンチュは、世界にウチナーの文化芸術も一緒に渡ったんですね。

移民で出て行った人は、ウチナーンチュ魂でがんばったんでしょう。県系人のアイデンティティとして、言葉や文化は大切にしたのでしょう。海外で親から沖縄語を学んでいた2,3世は、沖縄に来ると沖縄語は使わない、共通語で話すので、おかしいと思ったそうです。
 三線では、いま沖縄に来て民謡三線を習った2,3世の「クラウディア」さん、「ルーシー」さんとか、とても歌も三線も上手いですね。先日もブラジルから来て20歳代で舞踊と三線で教師の免許を取った女性も紹介されていました。ブラジルでは、恋心を抱けばストレートに表現するけれど、沖縄の「伊野波節」などの、恋心を抑えた表現が初めは理解しにくかったそうです。やはり県系人であっても、ブラジル人の血が流れているので、民謡を歌うのにも別の苦労があるんですね。

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