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2011年11月

2011年11月29日 (火)

更迭ではすまない田中沖縄防衛局長発言

 それにしてもひどすぎる。沖縄防衛局の田中聡局長の発言にはあぜんとした。
 米軍普天間飛行場の辺野古移設に向けた環境影響評価書(アセスメント)の年内提出を一川防衛相が明言していないことについて聞かれて、「これから犯す前に犯しますよと言いますか」と発言したという。
 女性の人権にたいする恐るべき感覚マヒ。たとえ話にしても、まともな人格をもっていれば口にできない内容だ。それに加え、基地建設に反対する沖縄県民は、レイプの被害を受ける女性と同じ立場にされている。県民へのひどい侮辱でもある。しかも、辺野古への新基地建設と評価書の提出に、どんなに沖縄県民が反対していても、あくまで強引に進めようという意図をも包含している。幾重にも、絶対に許すことはできない発言である。

 防衛省も、ことの重大さを察知して、早々と局長更迭を決めた。しかし、ことは田中局長の更迭だけで終わらせるわけにはいかない。もともとこういう人物を承知の上で派遣してきた任命責任が防衛相にある。
 それに、暴言はたんに田中個人の資質の問題だろうか。多少の表現の違いはあっても、防衛省内には、女性の人権無視や沖縄県民への差別感覚、日米合意にはどんなに反対があってもごり押しするという強権的な感覚があるのではないだろうか。田中発言も、多少突出してはいても、省内の雰囲気の表れではないだろうか。そんな気がしてならない。

 沖縄県民は、田中局長の更迭でことは終わりと思う人はほとんどいないだろう。防衛省と政府への不信は根深い。今回の暴言問題も、田中局長の更迭で終わらせるのではなく、まず何よりも県民が反対する評価書の提出をやめるべきである。さらには、アメリカ国内でさえ、「辺野古移設はもはや不可能」という声が大きな流れになろうとしているとき、日米合意を根本から見直すべきではないか。

 もう一つふれておきたいことがある。「犯す前に言うか」という田中局長の発言は、防衛局が呼びかけた、那覇市内の居酒屋での約10社の報道陣との非公式の懇談会の席上で出たものだ。新聞などの報道を見る限り、この発言を報じたのは「琉球新報」1社である。他社は、翌日になり後追い報道をした。いくら非公式の懇談会といっても、このようなひどすぎる問題発言は、見過ごすことができない。「琉球新報」もそういう記者感覚で、報道することに踏み切ったのだろう。その報道姿勢は、立派だと思う。もし、こんな暴言が飛び交っても、非公式だからどこも報道しないのなら、こういう防衛局呼びかけの居酒屋での懇談会は、報道機関と防衛局とのなれあいにつながりかねない。防衛局と報道陣の悪なれ、癒着は絶対にあってはならないだろう。そんなことも、考えさせられた。

2011年11月27日 (日)

離島フェアー、番外編・蜂蜜

 沖縄は「蜂蜜天国」だと前にブログに書いた。離島フェアーでも、いくつも蜂蜜を売っていた。「これ、中国産じゃないよ。国内でつくった蜂蜜よ」と強調していた。

020  写真の蜂蜜屋さんにも、アカシア、クリ蜜、国産百花蜜などいろんな種類の花からつくった蜂蜜が並んでいた。試食もできるので、いろんな蜂蜜をなめてみた。

 その時、後ろに貼り紙があるのに気づいた。

019  「どなたか南部で蜂箱設置のための土地を貸して下さい」と書かれている。へえー、養蜂家は、蜂箱を置く場所をこうやって探しているんだ。自分の土地、島だけでは、とても蜂箱は足りない。そういえば養蜂家は、日本列島をエリアに養蜂をしているのだろう。

 でも、離島から本島に蜂箱を置く場所を探しているとは、なんか意外だった。でも考えてみれば、離島は狭いから、本島で場所が欲しいというのは、当たり前かもしれない。

 「蜂蜜のことを書かないの?」とコメントがあったので、番外編として紹介しました。

002         今年の産業まつりで展示されていた蜂蜜(コハマのハチミツ)

<追記>
 ついでに養蜂についてよく知らないので、ネット情報で少しだけ調べてみた。
養蜂は、花を求めて移動する移動養蜂と定置養蜂と両方のやり方がある。定置養蜂は、文字通り同じ場所に蜂箱を置き、次々に咲く花の蜜を集める。移動養蜂は、花の開花時期に合わせて国内を移動する。

 蜜蜂集めに適した花は蜜源植物と呼ばれる。レンゲ、ソバ、シロツメグサ、アカシア(ニセアカシア)、セイヨウタンポポ、ヤグルマギク、ハナミズキ、ニレ、エンドウ、ヒマワリ、カボチャ、クリ、ソラマメ、その他いろいろある。
 いま特定の花だけから蜜を集めた蜂蜜が人気があるそうだ。でもどうやって特定の花から集められるのか、不思議だった。それはミツバチの特性を利用しているそうだ。ミツバチは一か所に集中して蜜を集める習性があるため、特定の花の蜜だけ集めてつくることが可能だという。それで「アカシア」とか名付けて売っているわけだ。027          北中城村で1月に咲いていたヒマワリ。ミツバチがよく集まっていた

 大和では、5,6月頃から花を求めて北上する。北海道にも行く。移動養蜂は、特定の花を求めて、通常一か所に15日を目安に各地を転々と長距離の移動をするという。なかなか大変な仕事のようだ。沖縄は1月からヒマワリが咲きだし、夏まであちこちで咲いている。年中いろんな花が咲いているので、養蜂には適しているだろう。でも沖縄にアカシアはない。沖縄の養蜂家も、北上するのだろうか。

2011年11月26日 (土)

三線名人の少年に驚く、離島フェアー

 離島は芸能が盛んだ。特設ステージでは、3日間にわたり離島出身の島唄歌手をはじめ、島の伝統芸能などが披露された。

009  といっても今回はステージはほとんど見ていない。それより、特産品販売の各コーナーのなかで思わぬ三線名人に出合った。竹富町の三線を売るブースに通りかかると、少年が三線を手にしていた。どうやら売り物の三線のチンダミ(調弦)をしている。三線の糸を巻き上げ音を上げながら、竿の部分を耳に当て音を聞いている。その様が堂にはいっている。チンダミがうまくできるかどうかで、三線の腕前も分かるぐらいだ。

036  

 チンダミができたかと思うと、いきなり早弾きの曲を演奏し始037 めた。なんと「ヒヤミカチ節」である。戦後うちひしがれていた県民を奮い立たせた民謡である。私も毎日のように練習しているが、まだ満足できる腕ではない。でも少年は、見事なバチさばきで、弾きまくった。たぶん、「安波節」など入門的な曲でも弾くだろうか、と見ていたのが恥ずかしい。私が通う民謡三線サークルでも、この曲をこれだけ弾ける人は、1,2人しかいないハズ。

 続いて、少年が弾きはじめたのは「イラヨイ月夜浜」というbeginが歌っている曲だ。これも私はやっと弾きながら歌えるようになったばかりだ。でも私の譜面(工工四)は、シンプルなやさしい編曲。だが彼が弾くのは、もっと技巧的で味わいのある編曲だ。いやこれもかなわない。

 「僕は何歳なの?」「11歳」。「三線は何歳から弾いているの?」「2歳から」。いや、恐れ入りました。2歳から三線を弾けるのか! もう9年のキャリアがあることになる。どうやら、竹富町の関係の子どもらしい。親やおじいちゃんらが弾いていて教えたのだろうか。将来、どれほどの歌三線の担い手になるだろうか。楽しみである。

 与那国町の織物など販売しているブースの前を通ると、またもや三線を抱えたお兄さんがいるではないか。しかも、小さな格子柄の着物姿である。「与那国ではこの着物を着ますか。八重山ではよく縦縞柄の着物を見るけれど?」ときくと、「与那国はこれですね」という。「もう弾くんですか?」「ああ、すぐ弾いてみますよ」というので、そのまま待っていた。

023  やはり女性の人とチンダミ中(調弦)だ。チンダミが終わると始まった。
 「ん、これは与那国ションカネだ」と分かり、いつの間にか一緒に歌っていた。この曲は、島に赴任した役人と現地妻の別れを歌った曲である。私の弾く譜面(工工四)は、本島用に編曲されたもの。でもいま弾いているのは、少し違う。やはり味わいがある。歌もいい声で、とっても上手い。

 「いま歌ったのは、与那国ションカネの元歌になる、『ドゥナン・ションカニ』という曲です。歌詞は、この織物の美しさを歌っています」と言うではないか。与那国の唄者ならではの芸であった。

 すぐ側には、ミニステージがあり、女性の民謡歌手が歌っていた。与那覇歩さんという方だ。特設ステージに出る前に、このミニステージに立っていた。

032  与那覇さんも、与那国島の人だ。「次は、与那国に昔からある唄で『与那国小唄』を歌います」と紹介して歌い出した。早弾きでテンポのよい曲だ。ただ、この曲は大和の「○○小唄」という音楽とよく似ている。与那国は台湾に近いし、戦前は台湾を日本の植民地としていたので、日本人がたくさん台湾に行っていた。与那国にも大和的な音楽が流入し、大和的な雰囲気を持つ民謡が生れたのかもしれない。これは与那国小唄を聞いた時からの私的な推測である。

010

 2日目の特設ステージには、伊江島出身の知念こずえさんが出演した。伊江島の民謡を歌っていたが、通りがかりに見た程度だ。着物も髪型も琉装の彼女がそのあと離島食堂に食事にきた。小さな子どもと彼女のお母さんらしい人と3人連れだった。子育てをしながら歌い、こういうステージに出演するのに祖母、母、子の家族で出かけてくる姿が、とてもほほえましい感じがした。上の写真の左から2人目が知念さんである。

008  各島の伝統芸能が次々、披露された。その中で目についたのが粟国島(アグニジマ)の踊りだ。終わった後、踊り手がもう一度、舞台に登場してインタビューを受けた。なんと中学生の2人組だ。島の伝統芸能をしっかり受け継いでいる。
 ただ、中学三年なので来年春に卒業すると、島を離れて那覇市の高校に進学する予定だ。離島で高校があるのは、石垣島、宮古島、伊良部島、久米島など一部だ。その他の離島は、中学校を卒業するとみんな、親元を離れる。まだまだ一人で島を出るのはさびしい年頃だ。島を離れても、伝統芸能は忘れないだろう。

005 最後に、離島フェアーには、沖縄以外に奄美市も出店していた。沖縄と共通する物産もあるが、沖縄にはない物がたくさんあった。

 離島の新しい特産品の研究や開発はスゴイ。毎年新たな特産品が出てくる。島の活力とエネルギーを感じさせられる。というわけで、今年も楽しめた離島フェアーであった。

2011年11月25日 (金)

「届け! 島々からの恵み」離島フェアー開く

「届け! 島々からの恵001 み」をキャッチフレーズに離島フェアー2011が今年も沖縄セルラーパーク那覇で開かれ、初日から出かけた。3日間の日程だ。

 開会のセレモニーがあるので、開場は午後1時なのに、離島食堂はその前から賑わっている。

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 離島食堂ならではのメニューがある。久高島のイラブー(海へび)料理だ。でもまだ食べたことがない。いつか食べたいがいまのtころはまだパスだ。

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 離島フェアーでは、渡名喜(トナキ)島のモチキビを買うのが恒例だ。お米を炊く時、少し入れて炊くと、とても美味しい。
 オープンとともに、つれあいがまっすぐに島のブースにかけつけた。なんとお目当てのモチキビが見当たらない! 「モチキビはないですか?」と聞くと、「ええ、今年は台風の影響でモチキビはできなかったんですよ」と言うではないか。ここにも台風の被害が及んでいたとは!
 粟国島ならあるのかな、と思って回ってみた。だが、やっぱり「台風でやられて⋯⋯」と同じ答え。二つの島とも本島に近いので、本島直撃の台風の被害をもろにうけたのだ。

 もう諦めて、他の店を見たり、食事をしていた。でも帰りにもう一度回っていると、波照間島の店があった。「波照間ならあるかも」と思って見ると、モチキビが並んでいるではないか。「おお、あるある」と大喜びして「3袋下さーい」と買い求めた。波照間島は、最南端の島だけに、今年は幸いにも台風の被害がなかったそうだ。

038_2   離島といえば黒糖。多良間島では恒例の黒糖のブロックを積み上げて販売していた。でもあいにくその前に、すでに隣の店で多良間黒糖を買っていた。写真は少しブレている。021  離島の泡盛の試飲は楽しみの一つ。なかでも与那国島の花酒は離島フェアーでしか試飲できない。舞富名の新酒と古酒(クース)の両方を飲んでみた。どちらも60度あり、口に含むとフワッと蒸発する感じの味わいだった。他では絶対に味わえない酒だ。

016 泡盛では、伊是名島に「金丸」という泡盛がある。琉球を統一した尚巴志の王統を倒して、第二尚氏の王統を打ち立てたのが金丸である。伊是名の出身で、国王になると尚円王を名乗った。金丸は、農民の出身で、水争いで島を追われて本島に渡り、その後王府に仕え、遂には国王になった人物だ。尚円以降、琉球王朝は安定し発展したので、いまでは島の誇りとなっているのだろう。

022  石垣島では、試食したジーマミー豆腐(ピーナッツ豆腐)が、看板通りとてももちもちしている。他のとは一味違った味。さっそく買い求めた。家で飲む時は、ジーマミーが欠かせない。石垣の店と言えば、石垣牛。石垣に旅行した際、買いたかったけれど、買えなかったので、迷わずゲットした。015 宮古島とえばなぜか渦巻きパンが有名。渦巻のなかにクリームが包みこまれている。最近は、本島でもパンメーカーが作っている。でも食べてみると、やっぱり本場、宮古の方が、クリームの甘さが控えめで美味しい。「食べれば宮古」である。018  宮古島と言えば、今や超人気者となっているのが、交通安全、飲酒運転根絶を呼び掛ける「宮古島まもるくん」である。そのフィーバーぶりから、なんと今年の離島フェアーで「島おこし

奨励賞」まで受賞したのである。014 029

 「宮古島まもるくん」が、本島に渡ってきたのは初めてだろうか。昨年は見ていないから、そのハズだ。

 離島食堂では、魚のてんぷら、宮古そばを食べながら、当然、オリオンビール。それに今回は、伊江島でつくりだしたラム酒「イエラム」を試飲したが、もっと飲みたくなり、ミニボトルを買い、ストレートで飲んでみた。37度ある。サトウキビからつくるラムは、本来は沖縄にはピッタリの酒だろう。残念ながら写真はない。

007  まだ離島の芸能にふれていない。長くなるので次にしましょうね。

2011年11月23日 (水)

八重山教科書問題の県民集会に出かける

八重山の公民教科書問題で、右派的な育鵬社版の採択を許さず、東京書籍版を採択した八重山全教育委員協議の決定を認めさせようと、県民集会が11月23日嘉手納町かでな文化センターで開かれた。

001  痛苦の沖縄戦を体験した沖縄で、旧帝国憲法を美化し、現憲法の改悪を誘導するような教科書を採択する愚行を絶対に許すわけにはいかない。こういう思いを持っていたので、集会にかけつけた。午後2時の開会時間に到着すると、まだ次々会場に人が入っていた。

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 わずか10日前に、沖縄県教祖や連合沖縄、統一連、沖縄から平和教育をすすめる会など7団体が呼びかけたものだった。急な呼びかけにもかかわらず、主催者によると1000人が参加し、関心の高さを示した。

008_2 010_2  実行委員会から沖教祖の山本隆司さんが挨拶した。
会場には、育鵬社の公民教科書の表紙の写真に大きな×印がつけられたポスターが張られていた。
 表紙の日本地図は、なんと沖縄県が消されている。これは偶然ではない。あえて沖縄を日本地図に入れないのはなぜだろうか。右翼的勢力は沖縄はアメリカに提供しているので、日本には入れないというのだろうか。そういえば玄葉外相が、先日も、それに似た発言をしていた。

 この一点だけをとらえても、到底こんな公民教科書を沖縄の子どもたちに渡すわけにはいかない。
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八重山からは4人が参加して、実情を報告してくれた。石垣市の子どもと教科書を考える八重山住民の会の藤井幸子さん、竹富町西表島から竹富町の子どもに真理を教える教科書採択を求める会の仲村貞子さん、与那国町から保護者の稲川宏二さん、学校現場から石垣市中学校社会科教員の上原邦夫さんが発言した。

014_2 それぞれ、育鵬社版教科書を採択させるため、いかに石垣市の玉津教育長らが強引な手法で押し付けようとしてきたのか生々しく告発し、「八重山は一つ。東京書籍版を選んだ9月8日の全教育委員の協議の決定こそ正しいもの」「育鵬社版を絶対に教育現場に持ち込んではいけない」と切々と訴えた。

 高嶋伸欣さんは、世界の主要国では、教科書の採択権は学校にあり、学校単位で採択できないのは日本だけだと話していた。

 県民集会では声明を採択した。会場正面に掲げられた3本の垂れ幕が集会参加者の共通の要求を示している。005  写真をみれば分かるが、念のためスローガンを紹介する。
1、9月8日八重山全教育委員協議の決定を認めよ
1、「戦争賛美、沖縄差別」の育鵬社公民教科書採択を許すな
1、文部科学大臣の「竹富町有償発言」を撤回せよ

 このスローガンは、沖縄県の教育委員会を含めて県民の総意と言うべき内容である。自民党の右派勢力と石垣市、与那国町の一部勢力が手を結んだ右派的教科書採択の策謀は、県民からはまったく孤立している。文科省の圧力にはなんの道理もない。
 9月8日の全教育委員が協議して行った東京書籍の公民教科書採択の決定を認めるしか合理的な解決の道はないはずである。県民集会はそのことを強くアピールする場となった。

2011年11月22日 (火)

トックリキワタが咲かない

 南米桜の異名をもつトックリキワタが咲かない。通常だと、10月には満開になり、年末まで咲き続けている。ピンクの鮮やかな花だ。沖縄のカンヒザクラと同じような色なので、毎年目を楽しませてくれていた。

056  まったくゼロというわけではない。11月後半になって、少しだけ咲いている木が目につきだした。でも、例年満開の花を咲かせていた「トックリキキワタ通り」と呼ばれるほど咲いていた通りの街路樹も、チラホラくらいしか咲いていない。緑の葉っぱが樹木を覆っている。

 咲いているところを見ると、なぜか日陰になっているところが多いようだ。日がよく当たる場所は葉っぱが生い茂っていて、花はない。あっても少ない。

020  前にも書いたことだが、トックリキワタは南米原産の面白い花木だ。写真のように、根本はくびれて幹が膨れて、まるで徳利のようである。春には、ボールのような実を付け、それが割れると中から、真っ白な棉が出てくる。名前の由来の通りの花木である。018_2  例年なら下の写真のような見事な花が咲いている。昨年は、なんと9月末にすでに咲いていた。それがなぜか今年は咲かない。沖縄に移住して7年目だが、初めてのことである。

004  タクシーの運転手にも聞いてみた。「そう、台風の影響があるだろうねえ。潮を被って葉っぱは大分枯れたからね。それに、この花は少し寒くならないと咲かないから、この前まで暑かったから、それもあるだろう」とのことだ。

 なるほど、台風の塩害による街路樹の潮枯れは、いまごろこんな花木にも影響を与えているんだ。同じ街路樹でも、夏に真っ赤な花を咲かせるホウオウボクは、一度潮枯れして葉っぱが茶色になったけれど、そのあと新芽がふき出して、もとの緑を復活させた。そのうえ、赤い花が例年以上に咲き誇り、真夏のホウオウボクの並木通りは、暑苦しいほど咲いた。

 012  でも花が終わると、そのあといっせいに虫がわいた。それでホウオウボクの街路樹は、枝葉をバッサリと伐られて、いまは少し哀れな姿になっている。

 台風の当たり年だった今年、その余波はいまだに車にも花の街路樹にも及んでいるのである。

2011年11月21日 (月)

芸能チャリティー公演開く

 毎年恒例の芸能チャリティー公002演が那覇市民会館で開かれた。赤い羽根共同募金運動の一環である。市内の老人福祉センターで芸能を楽しむおじい、おばあたちが日頃の練習の成果を披露する場となっている。

 出演者は総勢600人にのぼる。琉球古典音楽から民謡、琉舞、民踊、日舞、コーラス、カラオケなど、さまざまな芸能が3時間余り、次々に披露された。

 事前にチケットがそれぞれの老人福祉センターの教室、サークルを通じて売りさばかれた。見に来る人は、圧倒的におばあをはじめ女性が多い。出演するおばあ、おじいの家族、親戚なども詰めかける。

002_2

 午後2時の開会前に会場前は長蛇の列となる。午後1時に開会になると、どっと押し寄せてみるみる会場は埋まった。

 私の通うセンターの民謡三線サークルは、2年に1回、他のもう一つのセンターと合同で演奏する。それに向けて春ごろから課題曲を毎回、練習してきた。

 すでに金曜日に市民会館の舞台で、リハーサルをやって、座る位置も確認ずみだった。

009  幕明けは、恒例のかぎやで風節、それにかたみ節、安波節の3曲。各福祉センターから古典音楽を習う人たちが合同で演奏した。筝や横笛、太鼓が入り、琉舞を艶やかに舞う。私は、古典はやっていないので出ない。でも同じサークルの仲間がたくさん出演した。

018          おばあたちの踊り。舞台正面に据えられたカラオケの機具がとても邪魔だ!

 踊りは多いが、歌三線(民謡)はわれわれメンバーだけ。13番目の出番だったが昼前から控えていた。二つの福祉センターの出演者は合計40人。いよいよ出番がきた。

004  前に筝の女性が並び、歌三線はコの字型にならんだ。曲目は「二見情話」「めでたい節」の2曲。「二見情話」は、沖縄戦で捕虜となった人たちが名護市の二見にあった収容所に入れられた時の想い出を歌にしたもの。二見の美しい風景、あたたかい地元の人たちへの思いと別れを歌っている。
 最後に「♪戦場(イクサバ)ぬ哀り いちが忘りゆら 忘りがたなさや 花の二見よ」と歌う。「戦争の哀れはいつか忘れられるだろう 忘れられないのは花の二見の美しさだよ」というような歌意である。
 続けて「めでたい節」を歌った。会場が広いので、思いっきり声を出すが、声が吸い込まれるようだ。自分の声だけは聞こえるが他の人の声は聞こえない。でもなんとか歌いきった。

 「ジョウトー、ジョウトー、ちょっと早かったけれどね」と先生も満足そうだ。三線の音もよく合っていた。民謡は人気があるので、会場からも大きな拍手をもらった。

 舞台の他の芸能はほとんと見ていない。だからここにアップした写真もほとんどは、つれあいが撮影した。つれあいの情報によると、聴衆が一番わいたのは、85歳のおばあのカラオケと小学生の琉舞だったそうだ。

026 写真の人が85歳の佐辺千代さん。カラオケ大会で70歳代以上の部でチャンピオンらしい。「早春賦」を歌ったが、歌い出すと会場を圧するような張りのある声を響かせたという。

  047 小学生による琉舞「高平良萬才」(タカデーラマンザイ)は、敵討ちの組踊で演じられるものだ。踊り手は宮古島の下地小学校、歌三線は那覇の銘苅小学校、筝は糸満市の潮平小学校、太鼓は那覇の首里中学校の子ども、生徒たち。みんな違う土地と学校だ。それに、この演目は、大人でも難しいといわれる。

043  踊りは堂々としたものだ。歌三線も3曲ほどを続けて歌うが、一人で演奏し歌いきった。恐れ入る腕前だ。それに別々の土地と学校なので、合同で練習する機会はほとんどないはずだ。なのに、見事に演奏し、踊った。ちょうど我々の出番の一つ前だったので、舞台そでに控えていて、演じるのを横から全部見ていた。おじいたちも、「いやあ、これはすごいねえ」と見事な歌三線と踊りに驚いていた。

 もう一つのビックリは、識名老人福祉センターの「かりゆし祝いばやし」という踊りだ。

022  なにしろ踊り手42人のうち、90歳以上が16人もいるという。90歳を超えてもこんなに元気に踊れるなんてスゴイ!の一言だ。老人福祉センターに通っているお年寄りは元気である。元気でないと通えない。いつまでも元気で踊ってほしい。

 

2011年11月17日 (木)

台風被害、いまごろ車に

 わが愛車、ホンダフィットのボディに小さなサビのよなものがいくつもついているのに気付いた。「なんだこれは、どうみてもサビだ。まだ買って3年余りなのにもうサビがつくなんておかしいなあ」と思い、ホンダの販売店に電話して聞いてみた。

 「それはもしかすると台風の時、砂や小石が強風で車体にあたり、傷つけたところに水が入りサビが出ているかもしれません。今年、本島を直撃する台風がいくつもあったので、そういう車のサビの訴えが他にもいくつかきていますので、店に持ってきてみて下さい」とのこと。

 「ええっ、台風でそんな被害があるんですか! 明日すぐに車を持って行きます」と予約した。翌日車を持って行き、見てもらった。
 「やはりサビですね。とりあえずサビを削って、少しみっともないけれど、サビが広がらないように、応急の修理をしておきましょう」とのこと。1時間ほどでできるというので、さっそく依頼した。

 1時間後に取りに行くと、修理が完了していた。「駐車場が砂利の場所では、風で小石が車体にあたり傷つけるので、人によっては、車全体にサビが出た例もあります。この車も、十数か所、針で突いたような傷があり、中の方まで水がしみてきていました。応急の手当てはしましたが、まだサビが出てくることがあるかもしれません。その場合は、もう車全体の塗装をやり直した方がいいですよ。台風被害であれば、任意保険が適用になりますから」という。

 応急の修理は、サービスでやっていただけたので助かった。ボディをよく見れば、応急修理がわかるので、少しみっともないが、背に腹は代えられない。サビを広げないことが第一だからだ。
 でも安心できない。なにしろ、今年最強の台風は、5月に襲った2号台風だった。たぶんその時に傷つけられたのだろう。台風の後は、すぐに洗車はしてきたが、塗装面に傷つけられていては、洗車しても意味がない。それが半年もしてからサビになって出てくる。これからまだ出ないとは限らない。

 車のこんなサビ被害も、台風の常襲地帯である沖縄ならではのことだ。台風が通り過ぎて外見上、なにも被害らしいものがなかったからと安心できない。「台風恐ろしや」である。

2011年11月14日 (月)

「ホーメルで今日は」ゲストに饒辺愛子さん

 ラジオ沖縄の民謡番組「ホーメルで今日は」がイオン北谷店で開かれた。今回のゲストは、饒辺(ヨヘン)愛子さん。とても気さくで愛嬌がある民謡歌手だ。019  番組の顔である盛和子さんは、愛子さんを「お姉さん」扱いにする。年齢ではどちらが上か、分からない。盛さんは、情感のある情け唄が得意であるが、愛子さんはヒット曲「肝(チム)かなさ節」で知られるように、明るい曲が得意だ。この日は、情け唄を披露した。あまり聞いたことがない曲だった。007  愛子さんがなぜ北谷での公開放送に来たのか? 盛さんによると「愛子さんは車に乗れないから、バスで行けるところじゃないとダメということで、北谷に出ることことになった」とのこと。いかにもウチナーの民謡歌手らしいではないだろうか。
 愛子さんは、沖縄市で民謡酒場「なんた浜」を開いている。もう40年ほどになるそうだ。「なんた浜」は、宮良康正作曲の名曲で、愛子さんの持ち歌の一つ。でもこの酒場は、民謡ショーの始まりは夜の10時から、午前4時頃まで営業しているとのこと。とても行けない時間だ。

012  2曲目に人気曲「肝かなさ節」を歌った。題名は「心が可愛いでしょう」というような意味。恋歌である。愛子さんは、もう三線は手放して、舞台を降りてきて、歌いながら踊る。歌詞の最後に繰り返される「肝がなさらやー、うみーかなさらやー」というカ所に来ると、聴衆にマイクを突き出して、一緒に歌わせる。会場は大盛り上がりである。サービス精神が旺盛である。

 011  というのも、彼女は人気歌手の元ちゃんこと前川守賢と2人で、1993年から、在宅の寝たきり高齢者を慰問する「笑顔宅配サービス」を実施している。主催は沖縄市社協である。デイサービスなどにもこれない寝たきりの人にとって、お年寄りにとても人気がある2人の歌手が民謡の「宅配サービス」をしてくれるのは、どんなに嬉しいことだろう。たしか一昨年だったか「琉球新報活動賞」を受賞したことがある。

013 盛和子の息子「のーりー」と掛け合いで「桃売りアン小」(モモウイアングヮー)を披露した。譜面を出さずに歌い始めたが、忘れて歌詞集を引っ張り出して歌った。プロでもいつも歌っている曲でもなければ、覚えきれないのは当然だろう。ご御愛嬌の一幕だった。

003  盛和子さんは「比翼節」(フィユクフシ)他を歌った。この「比翼」とは何のことか分からなかった。これは、雌雄それぞれの目と翼が一つずつで、常に雌雄が一体で飛ぶという中国の伝説上の鳥のことだという。唄は「比翼」を題にしているが恋歌のようだ。歌詞をまだ見ていない。 

 最後は恒例のカチャーシーである。おばあ、おじいが次々に立ち上がり踊った。踊った人にはみんなホーメル製品がもらえるので、踊って楽しい、貰ってうれしいカチャーシーなのである。

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2011年11月 8日 (火)

腰痛が一夜で消えた

 ブログをしばらく更新していなかった。それは風邪に加え腰痛に悩まされたからだ。風邪で2,3日寝ていると、寝てる姿勢でも腰が痛くなり出した。その時はまだ、起きれば歩くのに支障はなかった。ところが、土曜日の朝、起きると立ち上がるのにも激痛が走る。歩こうとすると、また激痛。腰骨の少し上あたり、背骨の右側のあたりがやけに痛い。もともと腰痛とは無縁だった。こんな腰が痛いのは生れて初めてだ。かといって、腰に何か負担をかけるようなことはしていない。なのに、ギックリ腰のような痛みだ。

 といっても、まずは風邪の治療をしなければいけない。朝一番で近くの病院に車で行った。歩くのにも、腰の曲がったおじいが歩くように、前かがみになり、ソロリソロリとしか足を出せない。ただ、イスに座れば痛みは感じない。なんとか、風邪を医者に診断してもらい、薬をもらった。ただ、つれあいも風邪で同じ病院にかかり、順番待ちが長いうえ、肺炎の疑いがあり、検査て午後までかかった。

 終わってから、腰も診てもらいたいと思っていくつか病院を回ったが、もうどこの整形外科も土曜日の午後はやっていない。ただ、救急医療で、沖縄赤十字病院で整形外科も当番があることが分かり、そちらにかけつけた。先生は外科の医者が掛け持ちしていた。診断では、「腰の筋肉の痛みですね。骨ではないので、レントゲンも撮る必要はないでしょう」とのこと。「ぎっくり腰ですか?」と聞くと「まあ、それに近いでしょう。長引くこともあるかもしれないので、痛みが続けば専門医で診てもらって下さい」とのことだった。サロンパスのような貼り薬と痛みどめロキソニンをもらった。

「ああ、これで腰痛が長引けば最悪だなあ。まあ来週、専門医に診てもらうことにしよう」とハラを決めて、とりあえず薬を飲み、腰に湿布薬を貼った。「なぐさみ程度だろう」と思いながら。

 ところが、寝るころになり、なにか痛みが軽く感じるようになった。そして一晩寝ていたら、寝てる姿勢でも痛みがない。「でも起きれば痛いだろうなあ」と観念しながら、起き上がってみると、なんとまあ、腰痛がまるっきり消えているではないか。「不思議だ。腰の痛みがなくなっている!」と言っても、連れ合いはまだ半信半疑。信じない。「でも整形でしっかり診てもらわなければダメよ」と言う。そうはいっても、痛みがなければ診てもらう意味がない。それから数回、湿布薬を貼り替えただけで治療は終わりとなった。

 不思議なことに、突発的な腰痛が消えただけでなく、この数カ月の間、朝起きた時やパイプいすに座って三線を弾いていると、腰が少し痛くなることがあった。ところが、そうした腰にまつわる痛みもすべて、いっぺんに消えてしまったのだ。なぜ痛みは消えたのだろうか?薬が効いたのか、自然に体の回復力で治ったのか。真相ばよくわからない。

 痛みが消えたといえば、6年前にも同じような体験をしたことがある。沖縄に移住して数カ月で、腕がしびれだした。やがて、首のところ、頸椎が痛みだした。寝るとき、歯磨きをしてガラガラとうがいをするとき、頭をそらせると激痛が走る。床屋でひげ剃りをする時も痛くて困った。整形外科で首つりをしたがよくならない。首つりが悪いという話もあり、いや首つりの角度が悪かったともいわれた。МRIを撮ると、頸椎の軟骨がすり減って神経が周りの骨にあたっているのが原因だと診断された。整形でいろいろ治療をしたが治らない。

 ところが、折しも歯医者で治療のため、歯茎に麻酔をした。その夜、一晩寝て朝起きると、なんと首の痛みが消えているではないか。軟骨がすり減り神経が当たっているなら、一夜で治るわけがない。体の神経はつながっている。歯茎に麻酔をしたことが、なにか変化をもたらしたのかもしれない。この後、整形外科と歯医者、ペインクリニックで医者にこの体験を話して、「ありうることでしょうか?」と質問した。どの医者も「それはありえない」とは誰も言わない。痛みが消えたことは事実だ。「ありうるかもしれない」とだれも否定はしなかった。

 というわけで、首や腰の痛みが、なぜか一夜にして消えるという結果を今回で2度にわたって体験したことになる。体の痛みはどうしようもないほどつらいものである。それが僅かの間で、消えたことは嬉しい限りである。なぜ痛みが消えたのか、よくわからないが、とりあえずは、病院の医者に感謝しなければならないだろう。つくづく人間の体の神秘を感じざるをえない。

2011年11月 1日 (火)

「自由ならん」とよく歌われるのはなぜ?

 沖縄民謡を歌い出して、すぐに「おや?」と思った表現がある。「自由ならん」という言葉である。大和の民謡はもちろんのこと、歌謡曲や演歌でもあまりお目にかからないセリフだ。これはとくにウチナーグチ(沖縄語)というわけではない。大和言葉の沖縄的な使い方というのだろう。「自由ならん」とは「思い通りにならない」というような意味で使われることが多い。

 この言葉が登場するのは、民謡でも恋歌、それも結ばれない悲恋の歌が多いように思う。すこし例を上げよう。
 琉球の女性二大歌人といわれる吉屋チルーの悲運を歌った「吉屋物語」がある。チルーが物心つかない少女の時、家庭の貧困のため那覇の仲島遊郭に売られていった。
 仲島では、琉歌で見染めた彼氏と愛し合いながらも結ばれない。そのことを、次のように歌う。008_2                  吉屋チルーの歌碑

「♪琉歌にちながりて 見染みたる里と 想い自由ならん 此の世しでて」
  (琉歌を通して見染めた彼と、愛し合っているのに思い通りにはならない、この世では)

 悲恋の歌だけではない。好きな人と思い通りに逢えない、ことを表現するときにもよく使われる。次に「白雲節」を紹介する。
 私の愛する彼女は、白雲のように見えるあの島にいる。鳥のように羽があり自由に飛べれば毎夜訪ねて語り合いたいという流れの歌詞だ。
「♪我がや思(ウ)み尽す だきに思ゆしが 渡海(トケ)ゆ隔(ヒ)ぢゃみりば 自由ねならん」(私は思い尽くすほど恋しく思っているが、海を隔てて離れているので思うようならない)

 ああこんなに思い焦がれているのに、彼女は白雲のように見える海を隔てたあの島にいる。だから、自由に逢うこともできない。そんな恋しさと悔しさが入り混じった感情が伝わってくる。

007            民謡には白雲がよく歌われる

 「情の唄」という曲では、なんと3回も「自由ならん」が使われる。よほどの悔しさだろうか。この曲は、思い合い、離れられない仲だったのに、彼氏が義理に縛られて、彼女と結ばれない。「私の思いをアダにするのか」と彼に迫る。彼は「義理に縛られる二人は思い通りにはならない。あれも、これも捨てられない。どうにもならない2人だ」と答える。男女の掛け合いの唄である。
 「♪思いあだなする 我んやまたあらん 義理に繋がりる 無蔵(ンゾ)と我んや 思いるまま 自由ならん」
 (貴女の思いをアダにする私ではない 義理に縛られ私と彼女は 思い通りに自由にはなれない)
 このように「思いるまま 自由ならん」が合計3回繰り返される。この場合は、愛し合っている二人だが、世間の義理にしばられて彼女と思い通りにならない不条理を歌っている。

 同じような男女の関係を歌った掛け合いの曲に「デンスナー節」がある。遊女らしい女性と遊ぶ男性が、彼女に「夫はいないのか」と問うと、女性は「夫がいればなぜあなたに情けをかけようか、私を思って下さい」と迫る。だが男はこう歌う。
「♪結ばていすしが 島居とてぃ我身や 待ちかにてぃ居てぃる 自由やならん」
 (結ばれたいのはやまやまだが、郷里には待ちかねている人がいる、自由にならない)
 これも家に縛られる男がなかなか踏みきれない心情を歌う。
 
 女性は恋に燃えれば身を投げ出しても愛するが、男は義理や家、仕事などから恋する気持ちはあるけれど、しがらみを抜け出せない。こんな構図の民謡はとても多い。男の身勝手もあれば、義理と恋の板挟みになるジレンマもあるだろう。

 「いちゅびー小(グヮ)節」では次のように歌う。「いちゅびー」とは野イチゴのこと。
「♪通るがな通てぃ 自由ならんありば 神仏ていしん 当てやならん」
(彼女を思って通い続けても、思い通りにならないのなら、神や仏といってもあてにならない)

 こちらは、女性に恋い焦がれても思い通りにならない男性の心情が謡われる。002           三日月はあまり民謡に登場しない。飾りの写真。

 直接には恋歌の形はとっていないが、恋歌に使われる琉歌がある。「白鳥小(シルトゥグヮー)」という曲で使われる。
 「♪千里(シンリ)陸道や 思れ自由なゆい 一里船道や 自由んならん」
 (千里離れていても陸上の道なら、行こうと思えば自由に行ける でも海で離れていれば一里の船道でも自由にはならない)

 この琉歌は「無情の月」という曲でも、そのまま使われている。琉歌をいくつもの歌にのせて歌うのは、沖縄民謡ではフツーのことである。
 現代で考えれば、離島にいて海を隔てていても、船や飛行機で行こうと思えば行ける。でも交通が不便な昔は、海を隔てた離島にいれば、逢うことはとても難しかったのだろう。

 「自由ならん」という語感は、自由に生きたい、自由に恋愛したいという気持ちの裏返しである。さまざまな事情で「自由」が阻止されることへの、悔しさ、情けなさ、憤り、切なさが込められている。ただの、悲しさだけではない。
 これが大和の演歌だと、愛しあう二人が思いを遂げられない、悲恋の場合、辛さや悲しみが前面に出て「これも宿命か」となる場合が多いように思う。

 でも沖縄民謡で「自由ならん」と歌うのは、自由に恋愛したいという激しい思いが前提になっている。この「自由ならん」という一言にも、南の島に生きる人々の恋への情熱の激しさが表現されているように私は思う。

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