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2011年11月26日 (土)

三線名人の少年に驚く、離島フェアー

 離島は芸能が盛んだ。特設ステージでは、3日間にわたり離島出身の島唄歌手をはじめ、島の伝統芸能などが披露された。

009  といっても今回はステージはほとんど見ていない。それより、特産品販売の各コーナーのなかで思わぬ三線名人に出合った。竹富町の三線を売るブースに通りかかると、少年が三線を手にしていた。どうやら売り物の三線のチンダミ(調弦)をしている。三線の糸を巻き上げ音を上げながら、竿の部分を耳に当て音を聞いている。その様が堂にはいっている。チンダミがうまくできるかどうかで、三線の腕前も分かるぐらいだ。

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 チンダミができたかと思うと、いきなり早弾きの曲を演奏し始037 めた。なんと「ヒヤミカチ節」である。戦後うちひしがれていた県民を奮い立たせた民謡である。私も毎日のように練習しているが、まだ満足できる腕ではない。でも少年は、見事なバチさばきで、弾きまくった。たぶん、「安波節」など入門的な曲でも弾くだろうか、と見ていたのが恥ずかしい。私が通う民謡三線サークルでも、この曲をこれだけ弾ける人は、1,2人しかいないハズ。

 続いて、少年が弾きはじめたのは「イラヨイ月夜浜」というbeginが歌っている曲だ。これも私はやっと弾きながら歌えるようになったばかりだ。でも私の譜面(工工四)は、シンプルなやさしい編曲。だが彼が弾くのは、もっと技巧的で味わいのある編曲だ。いやこれもかなわない。

 「僕は何歳なの?」「11歳」。「三線は何歳から弾いているの?」「2歳から」。いや、恐れ入りました。2歳から三線を弾けるのか! もう9年のキャリアがあることになる。どうやら、竹富町の関係の子どもらしい。親やおじいちゃんらが弾いていて教えたのだろうか。将来、どれほどの歌三線の担い手になるだろうか。楽しみである。

 与那国町の織物など販売しているブースの前を通ると、またもや三線を抱えたお兄さんがいるではないか。しかも、小さな格子柄の着物姿である。「与那国ではこの着物を着ますか。八重山ではよく縦縞柄の着物を見るけれど?」ときくと、「与那国はこれですね」という。「もう弾くんですか?」「ああ、すぐ弾いてみますよ」というので、そのまま待っていた。

023  やはり女性の人とチンダミ中(調弦)だ。チンダミが終わると始まった。
 「ん、これは与那国ションカネだ」と分かり、いつの間にか一緒に歌っていた。この曲は、島に赴任した役人と現地妻の別れを歌った曲である。私の弾く譜面(工工四)は、本島用に編曲されたもの。でもいま弾いているのは、少し違う。やはり味わいがある。歌もいい声で、とっても上手い。

 「いま歌ったのは、与那国ションカネの元歌になる、『ドゥナン・ションカニ』という曲です。歌詞は、この織物の美しさを歌っています」と言うではないか。与那国の唄者ならではの芸であった。

 すぐ側には、ミニステージがあり、女性の民謡歌手が歌っていた。与那覇歩さんという方だ。特設ステージに出る前に、このミニステージに立っていた。

032  与那覇さんも、与那国島の人だ。「次は、与那国に昔からある唄で『与那国小唄』を歌います」と紹介して歌い出した。早弾きでテンポのよい曲だ。ただ、この曲は大和の「○○小唄」という音楽とよく似ている。与那国は台湾に近いし、戦前は台湾を日本の植民地としていたので、日本人がたくさん台湾に行っていた。与那国にも大和的な音楽が流入し、大和的な雰囲気を持つ民謡が生れたのかもしれない。これは与那国小唄を聞いた時からの私的な推測である。

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 2日目の特設ステージには、伊江島出身の知念こずえさんが出演した。伊江島の民謡を歌っていたが、通りがかりに見た程度だ。着物も髪型も琉装の彼女がそのあと離島食堂に食事にきた。小さな子どもと彼女のお母さんらしい人と3人連れだった。子育てをしながら歌い、こういうステージに出演するのに祖母、母、子の家族で出かけてくる姿が、とてもほほえましい感じがした。上の写真の左から2人目が知念さんである。

008  各島の伝統芸能が次々、披露された。その中で目についたのが粟国島(アグニジマ)の踊りだ。終わった後、踊り手がもう一度、舞台に登場してインタビューを受けた。なんと中学生の2人組だ。島の伝統芸能をしっかり受け継いでいる。
 ただ、中学三年なので来年春に卒業すると、島を離れて那覇市の高校に進学する予定だ。離島で高校があるのは、石垣島、宮古島、伊良部島、久米島など一部だ。その他の離島は、中学校を卒業するとみんな、親元を離れる。まだまだ一人で島を出るのはさびしい年頃だ。島を離れても、伝統芸能は忘れないだろう。

005 最後に、離島フェアーには、沖縄以外に奄美市も出店していた。沖縄と共通する物産もあるが、沖縄にはない物がたくさんあった。

 離島の新しい特産品の研究や開発はスゴイ。毎年新たな特産品が出てくる。島の活力とエネルギーを感じさせられる。というわけで、今年も楽しめた離島フェアーであった。

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コメント

養蜂屋のことをアップするんじゃなかったんですか?
三線名手の少年は、おじいちゃんもお父さんも三線はやってないそうです。自分で三線やろうと思って手にしたそうですよ。でも2歳でそんなこと思って、しかも実行できますかね~。もしできたとしたら天才ですね!
少年がいたところはちょうど竹富の三線屋の前だったので、店としてはずっと彼に店の前で弾いててもらったら、ちょうどいい「呼び込み」になるので、店の人も歓迎してましたね。
 与那国の唄者の人もセミプロじゃないですか。あの人が着ていた着物の帯が与那国織りの柄のひとつだそうですね。与那国織りのコースター1枚500円だったから、欲しかったな~。
 あの方の声もなかなか張りがあってよかったですね。女性の方がもう少し声が出るといいと思いました。
 離島にもたくさんの唄と唄者がいて、これが見られるのも離島フェアの魅力ですね。でも会場内の小さな舞台は去年はなかったような・・・。あれは意味があるんでしょうかね~。

 少年は親、おじいが教えたんじゃないんですか。ならすごいですね。たしか、竹富町の芸能を披露する人たちの控室に出入りしてたので、そういう方に習っているんでしょう。もしかして、舞台にも登場したかも。私はもう舞台は見ていないけれど。でもこういう少年は1人、2人ではない。県内にたくさんいるんですよね。昔は、親は子どもに三線をやらせなかったそうです。正業につかず、アシバー(遊び人)になるのを嫌がって。でもいまは子どもに三線やエイサーなど芸能習わせるのは普通になってますね。
 与那国の兄さんは確かにセミプロの腕ですね。八重山はとくに芸能が盛んだから、これからももっともっと育ってくるんでしょう。離島フェアーは特産品を買うのと芸能が魅力ですね。

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