戦世と平和の島唄、その6
「時代の流れ」 島唄の名手として、聞くたびにほれぼれする唄者に嘉手苅林唱(カデカルリンショウ)がいる。彼の唄に「時代の流れ」という唄がある。「♪唐(トウ)ぬ世(ユ)から 大和ぬ世 大和ぬ世から アメリカ世 ひるまさ変たる 此ぬ沖縄」と歌い出す。 沖縄は、琉球王朝の時代、国王は中国の皇帝の臣下となり、国王が亡くなると皇帝の使者である冊封使(サッポウシ)が来て次の国王を任命していた。中国に仕えた時代を「唐ぬ世」という。 ちょうど四〇〇年前の一六〇九年、薩摩に侵略された。つまり大和の支配下にも入った。それから中国と大和の両国に属していた。「大和ぬ世」の始まりである。そして、一八七九年(明治一二年)には、明治政府が琉球藩を廃止し、沖縄県を設置する「琉球処分」を押し付け、琉球王国は滅びた。完全な「大和ぬ世」である。 一九四五年に沖縄戦が終結し、軍国日本が敗戦を迎えると、沖縄は日本から切り離され、米軍の占領支配となった。つまり「アメリカぬ世」である。 小さな島国だった琉球・沖縄は、たえず大国の影響や支配を受けてきた。「世」というのは、一つの時代を特徴づける独特の表現である。唄は「中国の時代から大和の時代、大和の時代からアメリカの時代、不思議に変わってきたこの沖縄」という意味だ。唄はこのあと、「♪昔銭(ンカシージン)ぬ計算(サンミン)や 一貫二貫どさびたしが 今や計算まで変て」。つまり、昔はお金の計算も一貫、二貫(二銭、四銭)と言ったのですが、いまや計算まで変わってしまった、と歌う。 沖縄は特に、米軍による占領の下で、日本通貨は通用せず、米軍が発行する緊急通貨のB型軍票(B円)になり、その後ドルとなり、さらに、日本に復帰してからは円というように、たびたび通貨が変わったのである。唄はこの後も、時代の流れ、変化とともに沖縄の社会と風俗が様変わりした様子をユーモアたっぷりに歌っている。 同じく時代の変化を歌った曲に「戦後数え唄」がある。こちらも、沖縄民謡の大御所で早弾きの名手・登川誠仁(ノボリカワセイジン)が歌っている。訳さなくても分かるぐらいだが訳しておく。 「♪一つ人々 聞ちみそり 時代や変わてぃ アメリカ世なてぃ 沖縄ぬ島や 乗い物びけい バスからハイヤー 多くなてぃ 用事かりくり車ぬ上から」=一つみなさん 聞いておくれ 時代は変わってアメリカ支配の世の中になった 沖縄の島々は 乗り物ばかり増えた バスからハイヤー・タクシーが多くなり あれこれ用事をするにも車の上からだよ。 「♪五つ移民ぬ人ぬ達(チャ)や 故郷離りてぃはるばるとぅ あがと大和からん 沖縄に来(チ)ゃるたみに 沖縄ぬ人口ん 多くなてぃ 豊かにないびさ 沖縄ぬ島や」=五つ移民に出かけていた人々が 故郷を離れはるばると遠くに行っていたが 帰ってくるし、大和に行っていた人々も 沖縄に帰って来ている 沖縄の人口は多くなっている これからは豊かになるだろう 沖縄の島々は。 「♪九つ心(ククル)や広々(ヒルビル)とぅ お金は天下の廻りもの 富貴(ウェーキ) 貧乏(ヒンスウ)や 坂(ヒラ)ぬ下(ウ)り上(ヌブ)い 皆さん互に働らちゃい 心合わちょてぃ 御立(ウタ)ちみそり」=九つ心は広々と持とう お金は天下の回りものだよ 金持ちや貧乏と 坂を下ったり上ったりすることもあるだろう みなさんお互いに 大いに働こう 心合わせて 立ち上がろうよ。 ここでは、時代の変化を、ユーモアを交えて歌っている。それだけにとどまらず、「心を合わせて立ち上がろう」と呼びかけているのが、戦争による犠牲と荒廃にくじけないウチナーンチュのたくましさと心意気が出ているところだ。 これぞウチナーンチュ魂 その精神を見事に表現した唄に
「♪名に立ちゅる沖縄 宝島でむぬ 心打ち合わち 御立ちみそり ヒヤ ヒヤ ヒヤヒヤヒヤ ヒヤミカチ ウキリ」=名前の知られたこの沖縄 宝島なんだから 心を一つに合わせて 立ち上がろうではないか 奮い立とう!
「七転(クル)び転でぃ ヒヤミカチ起(ウ)きり 我(ワ)した此ぬ沖縄 世界(シケ)に知らさ (あとは同じ)」=七転び転んで 奮い立って起き上がろう われらの沖縄を 世界に知らせようではないか。
この唄は、アメリカに移民として渡っていた今帰仁(ナキジン)村出身の平良新助(左写真)が、一九五三年ころロスアンゼルスから沖縄に帰って来て、郷土の過酷な状況を目にし、人々に希望と誇りを取り戻そうと思って、この歌詞を作ったそうだ。これに名高い古典音楽家の山内盛彬(セイヒン、右下写真)が共感して作曲したという。演奏はかなり難しい曲だが、歌ってみると、とっても曲に込めた思いが伝わってくる。
さて、沖縄は、二七年間におよぶ「アメリカ世」から、一九七二年(昭和四七年)に、日本に復帰し「大和ぬ世」に戻った。米軍の居座りはそのままだが、形の上では日本の憲法の下にはいった。先に紹介した「時代の流れ」などの唄は、まだそこまではふれていない。それに、戦争と平和のことも直接の主題にはしていない。
しかし、嘉手苅氏は、実は世の中の移り変わり、「時代の流れ」に鋭く切り込むような唄を歌っている。沖縄が復帰する三、四カ月前に「下千鳥」という民謡のメロディーにのせてこんな唄を歌ったという。上原直彦氏が、嘉手苅氏と一緒に三線をつま弾いていて、聞いたと言って紹介している話である(『島うたの周辺 ふるさとばんざい』)。
「♪下ぬ居てぃ上ん 成り立ちゆるたみし 下ぬねん上ぬ ぬ役立ちゆが」=下人民があってはじめて成り立つお上 下人民を無視した お上にどれ程の意味あいがあろうか。
「♪あたらわが沖縄 品物ぬたとぅい 取たい取らったい 上にまかち」=ああ、わが生り島沖縄 まるで売り物買い物の品物のようだ 人民の意志は全く反映されず アメリカに売り渡したり 買い戻したり お上まかせだ。
「♪思みば身ぬ毛だち 戦世ぬ哀り またんく戻ち あらばちやすが」=思えば身の毛もよだつ あの戦争の悲惨さよ 日本に戻れば また戦争に巻き込まれはしないか不安だ。
「ダーグに丸みらり 大舟ぬ心地 戦世ぬあわり 肝(チム)にかかてぃ」=復帰すれば 団子のように丸められ 大きな舟に乗った心地はするが なぜかあの戦争の悲惨さが心にかかる。
歌詞の訳は上原氏の訳にそいながら少し簡略にしている。上原氏はこの唄を聞いた時の印象を次のように書き残している。
「駆使された言葉は決して上品なものではないが、日常語で移りゆく゛時゙をうたっているだけに、異様なまでの迫力で聞く者を圧倒し、彼のもつ『怨念』いわゆる『怨み節』に慄然としない訳にいかなかった」
たしかに、支配者の都合によって沖縄を品物扱いのようにし、そのためいかに民衆が振り回され、辛酸をなめさせられたが見事に表現されている。「怨み節」というのだろうか、すごみさえ感じさせる唄だ。その意味で、先の「時代の流れ」というタイトルの唄の続編に位置しているといえよう。だが、実は続編と言うより、本質編とでもいうべき唄ではないかと思う。
ここで余談であるが、林昌の人柄を示すエピソードを紹介する。上原氏がかつて、林昌との一問一答で聞いたことがあるという。「問 好きな人、まず歴史上の人物」「答 歴史上? みんな死んでいて、つき合いがないから⋯⋯居ない」「問 生きている人では」「答 瀬長亀次郎」。(上原直彦著『島うたの小ぶしの中で』)沖縄人民党委員長の亀次郎は、戦後の米軍の強圧的な支配に対抗し、沖縄県民の心を代表するシンボル的な存在だった。林昌も反骨的な精神の持ち主で、大いに共感するところがあったのだろう。
「戦争はじめたのは誰か」
この上原直彦自身が、作詞家であり、戦争そのものをテーマとした唄を書いている。「命口説(ヌチクドゥチ)」という。あの戦争は「身ぬ毛立ちさみ 恐(ウス)るしや 此の世ぬ地獄や」と歌い出す。歌詞は一一番まであり、全編を通して「身の毛もよだつ」沖縄戦の実相を語り、何のため戦争を起こしたのか、誰が戦争を始めたのか、と鋭く問う。
「♪四、艦砲射撃 雨霰(アミアラリ) あたら生(ンマ)り島 散々に 火の海火の山 なちねらん」=艦砲射撃が雨あられのように降り注ぎ 惜しくもわが生まれ島はさんざんに 青い海も緑の山も焼かれてしまった。
「♪八、いかに物言(ムヌイ)やん 草木やてぃん 命あるたみし 焼かりりば アキヨアキヨとぅ 泣かなうちゅみ」=いかに物を言わない草木だって 命があるからには 焼かれれば ああ、あわれと泣かないことがあろうか。
「♪九、戦争起(ウ)くちゃし 何(ヌ)ぬ為(タミ)か 戦争始みたし 誰(タル)やゆが 神ぬ仕業か 人故(フィトゥユイ)か」=戦争を起こしたのは いったい何のためなのか 戦争を始めたのは誰なのか 神の仕業か人間の仕業なのか。
「♪一〇、戦世んしぬぢ みるく世ん 迎(ンケ)えるさみとぅ思(ミ)ば ありくりとぅ 国ぬユサユサ 果てぃやねらん」。この部分の訳はあとから書く。
最後に「あぬ戦争 エイ! 子や孫に 語らとてぃ 何時ん忘りるな 命口説」と終わる。いつまでも戦争を忘れずに子や孫に語り継ごう、と平和への願いを込めている。
この唄を歌ったのは山内昌徳という唄者だ。彼自身が、徴兵され中国の戦線を転戦し、命一つひっさげて帰った体験者だ。戦後は戦ったアメリカに雇われ軍作業につき、ときに倉庫から軍用物資を取り「センクヮ」(戦果)を上げる、という生活をし、複雑な心境だったそうだ。でも常にあるのは「戦争を恨むと同時にもつ反戦の姿勢と、今ある命の尊さと讃歌である」という唄者だった(上原著、前掲書)。
十番の歌詞の中で、「国ぬユサユサ(ゴタゴタ)」のくだりは、これだけでは何を指しているのか意味がわからない。この一節を詠んだのは嘉手苅林昌の母親だという。沖縄が日本に復帰して自衛隊が駐屯するという動きを聞いて作ったそうである。だから、訳するとこうなる。「あの戦争も終って、もう平和な世の中になるだろうと思えば、自衛隊だ、軍隊だと国中がゆれにゆれる。イヤな予感!」。これも、上原氏が紹介していることである。
作詞家・ビセカツ(備瀬善勝)は、平和の島唄をいくつも作っていることで知られる。「やさしい心を武器にして」(普久原恒勇作曲)という曲も、なかなかすごい唄だ。ヤマトグチの歌詞でわかりやすい。
「♪戦さの嫌いな 人が住み 戦争を放棄(ヤメ)た この邦(クニ)に 誰が決めたか 基地がある やさしい心を 武器にして 平和な邦を 造ろうよ 平和な邦を 造ります ※手をつなごう 世界をつなごう 人間の輪で 人の和で」
「♪希望に燃える 島人(シマンチュ)に 自然の恵み 満ちている 平和の誓い 忘れずに やさしい心を 武器にして 理想の邦を 築こうよ 理想の邦を 築きます ※繰り返し」
「♪小さな島から 反戦を 大きな声で 呼びかけりゃ 地球を救う もとになる やさしい心を 武器にして 協和の世紀 迎えよう 協和の世紀 迎えます ※繰り返し」
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