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2012年2月 2日 (木)

知念城跡を再訪する

 南城市にある知念城跡を訪ねた。5年あまり前に訪ねたことがあったが、すっかり忘れていた。城壁を見ると思い出した。

070  今回は、城跡の西側というか裏側にある知念大川(チネンウッカー)の方から、坂道を歩いて登った。

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 知念大川は、琉球開闢の祖とされるアマミキヨがこの井泉の後ろの田と玉城の受水走水(ウキンジュハインジュ)に稲を播いたといわれ、稲作の発祥の地として琉球国王も参拝した聖地だとのことである。

 知念城(チネングスク)は、沖縄各地で按司(アジ)と呼ばれる首長たちが、武力で抗争を繰り広げていたグスク時代の前半期に築かれたという。

058  城跡の東南部は、クーグスク(古城)と呼ばれ、高さ1-2㍍の野面積(ノヅラヅミ)の古い石積みの石垣に囲まれ、内部はもう森になっているとか。実際にどの部分から古城なのか、よくわからない。

 西方に高さ3㍍の切石積(石がきれいに加工されている)の城壁をめぐらせた新城がある。写真で撮ったのはほとんど、新城の部分だと思う。城壁は、東に正門、北に裏門とアーチ型の城門がある。

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 アーチ門は、崩れ落ちないように木材を組んでしっかり支えている。

062  これは、城壁の内側から見たものだ。新城は、時代が2,3世紀下って、琉球が第二尚氏の時代になり、琉球の黄金期をつくりだした尚真王の異母兄弟にあたる内間大親が築いたと伝えられるが、真偽のほどは不明とのことである。それにしても、美しい曲線をえがいた見事な石垣である。072_2 不思議なのは、尚真王の時代といえば、各地に武装して割拠していた按司を首里に集めて、武装を解除して、中央集権制を強め、国内も平穏で安定した時代である。なぜ、こんな立派な城壁を新たに築く必要があったのだろうか。これだけの城跡を築くには、相当の資金と労力を要するにちがいない。

069  県教育委員会の設置した案内板には、知念城跡について次のように説明していた。
「古くは代々の知念按司の居所であったと思われるが、それがたんなる城郭ではなく『アマミキヨ』の伝説と尚真王の権威とが結びついた宗教的城という意味で重要です」。

 061  城内で珍しい物を見つけた。「焚字炉」(フンジロー)である。これは、昔は文字の書かれた紙はとっても大切に扱われた。だから、そんな大事な紙を焼くための炉があった。それが「焚字炉」である。やはり中国文化の影響だろう。明治時代には県内にまだ残っていたらしい。いまではもう見ることはない。

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 知念按司の墓の標識があったので、行ってみようとしたが、すごい藪の坂道のようなところを進まなければいけないのであきらめた。多分、右写真の岩山の下の方にあるのではないだろうか。

 ところで、沖縄のグスク(城)はどれくらいあるのか。『南城市史総合版』に次のような記述があった。1983年実地のグスク分布調査によると、沖縄本島とその周辺離島で223か所ある。そのうち北部は45か所、中部は65か所、南部は113か所と全体の半分はこの南部にある。南部のなかでも、糸満市43か所、南城市27か所と糸満市に次いで南城市が多い。これは何を意味するのだろうか。南部はそれだけ、按司たちの抗争が激しかったことの名残りなのだろうか。まだまだ、南山国の実相については、よくわからないことが多いようだ。

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コメント

知念城跡が復元されると、グスク内に建物ができる予定になってましたね。久高島を望む遙拝所も設けられることになってました。知念城跡はセイファー御嶽と近いから、国王や聞得大君が使ったんじゃないでしょうか。ほかにも第二尚氏時代に築かれたグスクってあるんですかね。南部にグスクが多く、それだけ按司が他より多く割拠していたのかどうか、レキオアキアキさんが研究してみる価値があるんじゃないでしょうか。沖縄のグスクってどうしてあんなに美しい曲線を描いた石積みができるんでしょうね。ああいうの見ると、本土の城なんてまったく興味がなくなります。芸術的な面において。

 いま復元工事の最中でした。グスクは各地にあるけれど、首里城以外には建物までは復元していないので、待たれますね。知念城跡と知念大川は、東御廻り(アガリウマーイ)という知念・玉城の霊地を巡礼する聖地に入っているので、御願(ウガン)に来たのではないですか。
 第二尚氏の時代は、軍事上は新たにグスクを築くことはないと思うけれど、知念城跡みたいに、古いグスクを拡張したりはしたんじゃないですか。
 郷土史家の間でも南山は謎が多いと言われてます。何しろ伝説はいろいろあっても、歴史を記した史料があまりないから、研究も難しいのでしょう。難題を持ちかけないでくださいよ。
 知念城跡は世界遺産にも入っていないけれど、石積みの見事さはひけをとらないですね。

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