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2012年2月22日 (水)

ビギンの平和ソング「金網移民」

 BEGINの島唄シリーズ3作目「オモトタケオ3」の『沖縄三線で弾くビギンの唄本』を買った。その中にはじめて見る、聴く曲があった。「金網移民」という。どういう意味なのか? 不思議な題名だなと思っていた。

 歌詞を見ると、なんか意味ありげだ。「♪道路にお重をならべたら フェンスに向かって両手を合わす」と歌われる。あれ、これって、米軍基地に向かって手を合わせることになる。ん?? 移民というと、南米やハワイ、北米などすぐ頭に浮かぶ。沖縄は戦前から、たくさんの移民が海を渡ったからだ。でも、どうも、海外に出ていった移民のことではない。そこで、歌詞をつぶさに読み込むと、これは、米軍基地によって故郷を追われた人たちのことを指していることがわかってきた。

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 歌詞の全文を紹介する。

 はるかボリビア ペルーより ふるさと遠く 金網移民 呼べば振り向く距離なのに あなたはいまなお 帰れない
 そこから何が見えますか うた三線はありますか 一年一度の仕送りを 果たすために働いて 肝苦りさ(チムヌグリサ) 肝苦りさ(チムヌグリサ) わした金網移民
 道路にお重をならべたら フェンスに向かって両手を合わす 日傘を持つのはお孫さん あなたはいまなお待ちわびて 
 ほこりを巻き上げバスが行く 泣きたいほど青い空 平御香(ヒラウコウ)が全部燃えるまで
もう少し 側にいて 肝苦りさ(チムヌグリサ) 肝苦りさ(チムヌグリサ) わした金網移民
 そこから何が見えますか うた三線はありますか 一年一度の仕送りを 果たすために 笑ってる 肝苦りさ(チムヌグリサ) 肝苦りさ(チムヌグリサ) わした金網移民
 012

 沖縄戦のあと、生きるために不可欠の宝の土地を住民は米軍に奪われた。。先祖伝来の土地は、目の前にありながら、金網で仕切られて入れない。だから「はるかボリビア ペルーよりふるさと遠く」と歌われる。それが金網移民である。戦前戦後、南米に多くの移民が渡ったが、距離は遠いけれど、時間とお金をかければ、故郷の沖縄に帰れる。でも、基地に故郷を奪われた住民は、県内に住んでいても帰れない。

 

006 基地の中には、先祖のお墓もある。住民が祈願してきた大切な御嶽(ウタキ、拝所)、湧水もある。
 「道路にお重をならべたら フェンスに向かって両手を合わす」というのは、基地の中にあるお墓にむかって、料理を詰めた重箱を供え、うーとーとー(祈る)することを表している。写真にみえるのは、金網の中にあるお墓である。これは、米海兵隊の普天間飛行場の中を見たものである。基地のそばにある佐喜眞美術館の屋上からのぞくことができる。

075   写真は普天間基地内にある喜友名泉の金網の外で祈願した跡。金網の中に入れず、外で線香を焚いた様子がうかがわれる。

 「一年一度の仕送り」とは、沖縄では、祈願するさいに、線香を束にした平御香を燃やすとともに、あの世で使うお金「うちかび」を燃やす。先祖がお金で不自由しないように、燃やして渡すのである。これが「一年一度の仕送り」の意味である。
 

005_2    この写真も、普天間飛行場の中である。お墓が道路わきにある。
 「金網移民」は、こうした金網で土地を追われた住民の情景を描いている。そこには、戦後67年がたち、日本に復帰して40年がたっても、いまだに先祖伝来の土地に帰れない、人々の苦しみ、悲しみ、不条理への抗議の心が、ビギンらしい表現の中に、巧みに歌い込まれている。
 「肝苦りさ(チムヌグリサ) 肝苦りさ(チムヌグリサ) わした金網移民」。この言葉は、「肝」とは心のことであり、心の痛み、苦しみ、悲しみを表現するウチナーグチである。ここに、この唄の結晶があるのではないだろうか。

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コメント

「オモトタケオ3」が発売されたのはおととしでしたかね~。話題になるのは「パーマ屋ゆんた」「おもろまちで拾った恋だもの」「おばあ自慢の爆弾鍋」などですね。本を買わなかったら、「金網移民」はわかりませんでした。フェンスの中の「わしたシマ」「わったー家」は本当に南米移民より遠い場所です。自由に行き来できないのだから。シーミー祭のときは、普天間では米軍に許可をもらって、墓に入るそうです。米軍基地は島人の土地を銃剣とブルトーザーで奪われました。4・25県民大会のとき、テレビ報道で、「自分の目の黒いうちに、故郷の土地を踏みたい」といってたおじいちゃんがいました。普天間に住む方でした。そういう方たちのことこそ「金網移民」なんでしょうね。
BIGINは沖縄のことをつぶさに写し取って表現するので、素晴らしいです。

 そうですね。「オモトタケオ3」を買わなければ出会えない曲でした。ほとんど知られていないですよね。清明祭(シーミー)には、普天間基地に入れるようにはするというけれど、住民がお墓に行きたいとき自由に行けない。墓だけでなく、御嶽(拝所)、湧水(祈願の対象)にも自由に行けない。なにより、生まれ育った土地はみんな特別の思いがあるけれど、地球上のどの土地よりも遠い存在でしょう。
 BIGINの曲は、沖縄の庶民の肝心、生きる日常を見事に切り取ってますね。作曲家の普久原恒勇さんも、彼らの曲をとても評価しているけれど、その上でかつて「あまりグローバル化を狙わずに、自分の周囲や家庭に目を向けた音楽をつくったらどうか」とアドバイスしたことがあるという。そのアドバイスを受け止めたのかどうかわからないけど、つくった曲は見事に日常を切り取っていますね。若い島唄では、もっともウチナーの素顔が描かれていて、感心します。

僕は沖縄ワーホリで滞在したの台湾人、沖縄にてのアメリカ基地問題関心のでこの記事拝読いただくの後、さらにこの歌関するの事実認識する、ありがとうございます、この記事翻訳し、自分のブログ登載の許可をもらいますか?

タカシさん。コメントありがとうございました。
台湾の方が、沖縄のアメリカ基地問題に関心を持ってくれるとはうれしいですね。
ビギンの作ったこの曲は、沖縄の現実を知るのにはとてもよい歌詞だと思います。
翻訳してあなたのブログにアップするのは、OK。了解です。
このブログでは、ほかにも沖縄戦とその後のアメリカ占領下で作られた民謡を「戦世と平和の沖縄民謡」として紹介しています。よろしければそちらもご覧ください。

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