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2012年2月28日 (火)

愛と哀しみの島唄、その5

人頭税のもとで幾多の哀史

役人と島の女性をめぐる唄は、現地妻のケースだけでなく、まだまだたくさんある。そこには、沖縄という離島特有の哀史というか、悲劇の歴史が隠されている。とくに、宮古島、八重山など先島では、人頭税(ニントウゼイ)の重圧が住民を苦しめた。琉球王国を一六〇九年に侵略した薩摩は、早速、琉球の検地をおこない、薩摩への貢納の種類と量を決めた。琉球王府は毎年、多額の貢納を薩摩に出すようになり、とても財政が窮迫した。一六三七年、宮古、八重山の人口を調査し、それまで本島と同じだった税制を変え、田畑の面積にかかわりなく、人間の頭数で税を割り当てる人頭税を実施し、島民の貢納は重課された。この人頭税は、明治三六年(一九〇三年)に正式になくされるまで、なんと三〇〇年近くも先島の住民を苦しめ続けた酷税であった。

人頭税は、役人など除く一五歳から五〇歳までの男女にかけられた。粟による貢租、女性には布の貢布、労役の代償の夫賃米、公費、村費がかけられた。人頭税の過酷さを物語るエピソードは数多い。

人口が増えればそれだけ税が加重されるので、妊婦に岩の割れ目を飛ばせて人口の調節をしたとか、嬰児殺しが横行したという。滞納すると拷問にかけられる。拷問器にかけられ障害が残った人も出た。債務が増えすぎて、奴隷のような名子(ナグ)に転落する人も多かった。明治の後半まで、この南島に人頭税と奴隷のような存在があったことは、まだ全国的にはあまり知られていない。人頭税が廃止された裏には、廃止を求めて立ち上がった宮古島の人たちの勇気あるたたかいがある。それを歌った民謡もあるが、もうここでは省略する。

人頭税にまつわる哀歌は、女性による布の貢布にかかわるものが多い。宮古の場合を見てみたい。女性はみんな貢布の義務があり、士族の女性は簡単な白上布を担当し、平民の女性は難しい紺地の上布を担当したという。

上布とは、麻織物の着物用の布である。江戸時代は、武士の正装は麻織物だった。沖縄で作られた宮古上布、八重山上布を、薩摩では「琉球上布」と呼んだ。宮古上布の三分の二は、琉球王府から薩摩に運ばれたという。これが「薩摩上布」と呼ばれて、将軍にも献上され、京都、大阪から全国にも流通していったそうだ。NHKの大河ドラマ「篤姫」に見るような、薩摩の殿様や篤姫らの優雅な暮らしや衣装の底辺には、琉球の女性の悲哀が横たわっていたのである。

宮古では、各村の「ぶーんみゃー」と呼ばれた番所には、染屋と織布小屋があった。「ぶーんみゃー」とは宮古方言で、上布を織る屋という意味である。布を作るに当たって、各村の村頭の采配で、糸づくり、織り手、藍染めの分野に分かれて作業したという。

織り手は村の織女の中から、上手な織り手を選んで、貢布を織らせた。選ばれた人は他の課役は免除されるが、上布を織りあげるまで数カ月間、朝早くから夕方まで、番所に詰めて作業する。薩摩に献上する上布は検査がとても厳しかった。もし悪い品質の布を出せば、織女、村役人全部の責任であり、上役まで罷免されたという。Photo_2     地機を織る女性(石垣市の博物館で展示されていた写真)

だから悲痛な思いで機織りにあたった。「その労苦は文字通り想像を絶するもので、織女の肉は落ち、色は青ざめて、毛髪まで抜け落ちたといわれる」(『伊良部村史』)。

番所で織機にあたる女性は「貢布織女(コウフオリメ)」と呼ばれた。厳しい検査の際は、織女たちは「検査が始まって終わるまで 織女たちはひざまずいて神に念じつつあやぐを歌ったものである」(同書)という。

ひどかったのは、検査の役人が職権を背景にして、目をつけた織女を手に入れようとする横暴がまかりとおったことである。

「村の役人の多くも平良(宮古島)親国の出身であるから、単身村に赴任してきては、その任期中に多くの可憐な乙女にアカサ(赤ちゃん)を生ませるということがごく普通のなりゆきであった」「この貢布座の役人の無理無体を退けることができない地方村々の織女たちが、しばしば役人の子をはらんでその始末に困るものが限りなくでた」(同書)。

抵抗する女性の姿を伝える

人頭税の重圧と役人の横暴のなかで、島の女性たちは、ただひたすら虐げられたばかりではなかった。

宮古の「上地ぬ主ぬ布納み(ウイズヌシュヌヌヌウサ)アーグ」という唄は、役人による貢布のきびしい検査の様子をリアルに伝える。「アーグ」は通常は「あやぐ」という。宮古歌謡の一種で、美しく歌い上げる綾言葉というような意味だ。

「♪どうか尊い方の上地の主様 私の布をお受け取り下さい」

「♪カナガマよ お前の布には汚れがついているぞ」

「♪上地の主様 汚れのつかない布などございません」

「♪どうか上地の主様 子をいつくしむ慈悲でお納めください」。

女性たちは検査の日が近づくと、神仏に祈り、役人の機嫌をうかがう人もいる。その心労は大変だったという。唄からは、精一杯の抵抗をする女性の姿がうかがえる。

「石嶺ぬあこう木ぬアーグ」という唄は、より感動的な内容である。伊良部島の話だ。

美貌と才知にたけたダニメガという女性に惚れた役人は、自分の側に仕えよと命じてきた。ダニメガは「沖縄(本島)に上って大親主になって戻ってきたらお受けしましょう」と断った。ところが役人は沖縄に行き、しかも出世して帰ってきた。さあ困ったダニメガは、役人の求婚に対しこう歌って答えたという。

「♪石嶺のあこう木は 石に気根を巻きつけ 根を張っています 私はもうすでに結婚し 夫とともに深く根をおろしています」。こう切り返された役人はついに諦めざるを得なかったという。 

検査の合格、不合格を決定する役人の要求を拒否したら、彼女だけの問題ではなく、村全体の貢布の検査にも影響が及ぶことが心配された。かといって、検査のために身を売ることは絶対に許せなかったのだろう。この唄に込めた叫びが聞こえてくるようだ。

もう一つ、「豆が花(マミガパナ)」という唄も、理不尽な役人への抵抗を歌ったとってもいい曲だ。

「♪朝咲く豆の花のように 夜明け前露を受け咲く花のように 豆の花は一時だ」

「♪おいおい前里のおやじ お前の娘を俺にくれろ」

「♪私の娘のマカマドウは 位の高い役人様とは 身分が違います」

「♪男と女は一緒になれば 身分の違いは 気にならないものだ」

「♪私の娘は年もまだ一七歳で 肌を見れば まだ子どもですよ」

「♪言うことを聞かないと 二〇ヨミ織らせるぞ 細い糸つなぎをさせるぞ」

「♪二〇ヨミ織らせてもよい 細物でも織りますよ(でも娘はお断りします)」。

人頭税時代の実話物語だという。この「二〇ヨミ」というのは、最も細かい上布で精密な織りものだという。紺細上布を仕上げるには、クモの糸のような細い糸を紡ぐ高度な技術が必要とされ、難しい作業だったようだ。役人に刃向えばどんな仕返しがあるかもわからない。でも、傲慢な役人にひるまず、毅然として抵抗する親と娘のけなげで、勇気ある姿は、感動的である。いまこの唄を練習しているところだ。旋律も三線の音色もとっても味わいがある。叙情的というよりも、凛とした美しさがある。

実は、この唄には歌詞が二通りある。もう一つの歌詞は、まるで役人と娘のかかわりなど無関係に、ただ豆の花の成長を歌っただけの曲である。なぜ、こんな二種の歌詞があるのか、だれかが改作でもしたのだろうか。絶対、実話の歌詞で歌うべきだと思う。

竹富島には、上布の原料となった苧麻=いらくさをめぐる悲しい話をもとにした曲がある。苧麻とはイラクサ科の多年草で、茎の皮から繊維をとり、糸を紡ぎ織る。夏の衣服そして最高の素材だといわれる。唄は「中筋ぬぬべーま節」という。

Photo_3         竹富島

中筋村のヌベマは村一番の美女だった。人頭税の時代、竹富島に赴任した与人・玉得は島に水ガメもなく、御用布の原料・苧麻もない。そこで隣り島の新城島(パナリ)の与人・新垣に水ガメと苧麻を分けてくれと頼むと、新垣はその代償に賄女を世話してくれと要求した。竹富の与人は、村番所に勤めていた男の一人娘のヌベマに目をつけ、新城島の与人の賄女となるよう命令した。彼女は、水ガメと苧麻を得るための人身御供となった。涙のうちに娘は親と別れて、嫁いで行ったという。

「♪いかなる理由でヌベマをやったのか 何人のゆえに新城島へ嫁がせたのか」。

この一節には、胸にこみ上げる思いが込められているようだ。親も番所に勤めていたので、役人の要求を拒否できなかったのだろう。これも人頭税下の離島ならではの悲劇である。なぜ一人娘を送らせたのか、役人への強い非難と抗議の意思が感じられる。

役人を笑い飛ばす庶民の心意気

役人と地元女性をめぐる唄は、哀歌ばかりではない。なかなか面白いというか、興味深い唄がいろいろある。その一つが、本島北部にある「汀間当節(ティマトゥブシ)」である。

「♪汀間と安部の境、川の下の浜に下りて汀間の 丸目加那と請人(ウキニン)神谷との恋の話は本当かな 真実(マクゥトゥ)かな」

「♪神谷の言葉は何だと言ったか 年明けて四、五、六カ月あたりになったら使いが来るので 辛抱して待っていてくれ よくやったぞ丸目加那」。

こんな風に唄は続く。これも実話が背景になっている。「請人」というのは、王府への上納物を取り立てる役人のことである。神谷も実在の人物だという。

首里の役人・神谷と美しい娘・加那が恋をした。村人に恋仲を知られるのを恐れて、二人は汀間村と安部村の境にある川下の浜で密会を重ねた。いつしか村人が知るところになった。加那に恋していた村の青年は、あの手この手で二人の仲を裂こうとする。相手が役人で勝ち目がない。青年たちは、二人の恋路を唄にしてはやしたてたので、神谷はいたたまれずに、「また迎えに来るから辛抱して待っていてくれ」と首里に帰った。加那は一人泣くばかりだった。村人は神谷の薄情さと加那の軽薄さを「よくやった」とあざけり笑った。

前述の上原直彦氏はこう解説する。「相手が役人では『力』では勝てない。そこで、武器にしたのが゙歌゛。ふたりの仕業をたくみに詠みこんで、はやらせたのである。今風にいえば、役人のスキャンダルをはやり唄にし、公にすることによって抵抗したことになる⋯⋯『島うた』という ゙花゛は立派な武器になりえたわけだ」(『語やびら島うた』)

権力をもつ役人が、若い村の女性を誘えば、娘も、役人に田舎の若者にはない魅力を感じて、恋することもあっただろう。でも地元の青年が、あこがれの美女を奪った首里の役人に、嫉妬心や強い反感をもつのは、ごく自然のことだ。それにしても、唄を武器にして役人をいたたまれないようにするとは、庶民の見事な抵抗術である。

役人と地元の娘との恋を冷やかす唄は、宮古島でもいつくかある。例えば「平安名(ピャンナ)ぬまちゃがまがアーグ」。平安名のマチャガマは美人で、役人のいる番所に通う。「口説かれるなよ」と言うと、彼女は「口説かれません。自分の村から男を探すので」という。でも、マチャガマの股引を見れば、難破した船の赤毛布、黒毛布を掌ほどの大きさで覆っているだけ、と皮肉る。役人の愛人になった彼女への嫉妬と面当ての悪口の唄だ。

「中立(ナカダティ)ぬみがままがアーグ」という曲も役人と美女のミガママの恋仲に嫉妬した唄だ。役人は亀浜親という。「♪亀浜親の手拭は、ミガママの下着にして、ミガママの下着は、亀浜親の手拭にする」と、冷やかす。あまり品が良くないが、これらも、やはり役人が職権を利用して、地元の美女を惑わすことへの、庶民なりの風刺である。

もう一つ紹介しておきたいのは、津堅島(ツケンジマ)を舞台にした「取納奉行(シュヌブヂョウ)」という唄だ。津堅島は、本島中部の勝連半島の沖にある。いまはニンジンの産地で「キャロットアイランド」と呼ばれている島だ。取納奉行というのは、税金を定めるためにやってくる役人である。津堅島にも役人がやってくるときの騒動を描いている。長いので、簡略にする。

「♪意気込む取納奉行はいついらっしゃるか 津堅の崖に登って浜を見たら奉行がお越しになる 浜に着くと奉行が言うことには 今日は娘を取ってくれよ 津堅の頭(カシラ)たちよ 奉行の相手の娘に誰がなるか 津堅神村祝女殿内(ヌンドンチ)のカマドに頼もう あれほどの奉行の前に近寄るのに 下着も下袴も着けない者を行かせるのか 下着、下袴を貸せば行くか 応じれば金儲けができる いやいやすると尻をぶたれるぞ 根殿内(ニードンチ)のばあさんが娘に同伴して お宿に連れて行くのだ 五人の娘たちは お宿で男女の語らいをして 奉行はお喜びされた 奉行の贈り物は 匂い髪付け、紙包など数々あった 他の役人の贈り物は手拭い、指輪だけ 貧乏役人は取り持った甲斐もない」

税金を定める役人といえば、島の人々にとっては恐れられる存在だろう。その権力をカサにきて接待の女性を連れて来させるという、身勝手な姿が描かれる。やっぱり唄は品があまりよくない。でもそれが、庶民の唄のおおらかで、面白いところだ。なにかユーモアがある。役人への風刺の精神が漂っている。曲も早弾きの軽快なテンポで、演奏しても楽しい。

023      2012離島フェアーで八重山民謡を歌うお兄さん

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