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2012年2月26日 (日)

愛と哀しみの島唄、その2

「ムシロ戸を下げて待っていて」とは?

愛しあう男女の、逢引きを歌った唄は数多くある。とくに男性が彼女の家にしのんで会いにいく様子がよく歌われる。「敷島タバク」という曲がある。敷島たばこは火がつきやすいが、染屋の一人娘はなかなか落ちないと歌い出す。だが、忍んで逢いに行く。

「♪わが家に来る時は 上座から入っても 下座から入っても 足音を立てないでよ 上座はおじいが 下座はおばあがいる 起きて寝たふりをしているから 私は中座にいます」。なぜ、寝たふりをしているのか、娘の監視をしているのか、よくわからない。でも最後は「♪遊ばす親は若くなって 遊ばさない親は カラスになれよ 罰が当たって」と歌うから、面白い。まあ一種の恋愛讃歌なのだろう。

八重山の新城(アラグスク)島にも「はいきだユンタ」という古謡がある。大要を紹介する。

「♪家の窓口には犬が寝ている、マヤ(猫)が寝ている、踏んで鳴かさないようにね。下部屋には母が、上座敷には父が寝ている、誤って踏んで『これ誰か』と怒鳴られないようにしてね。ムシロを敷き枕を並べて、抱いても竹床が音をさせないように注意して、乙女よ」。抱き合った時の様子まで大胆に描写している。古い時代の性風俗までよくわかるユーモラスな唄だ。八重山には他にも、白昼に山に行って抱き合う性行為をあっけらかんと歌った古謡もある。奔放な恋の様子が描かれている。実におおらかだ。

伊江島を舞台にした「仲村渠(ナカンダカリ)節」は、悲しい伝説のある唄だ。

「♪仲村渠家の側戸に すだれを下げておいたときは 大丈夫ですから それを確かめて 忍んでいらして下さい」

昔は、若者が彼女に家に忍んで行く時は、家の人に大丈夫か否かの合図として、すだれの上げ下げを目印にしたという。仲村渠家は旧家で、娘の交際にもうるさかったという。実は、この家の娘のマカトゥーは絶世の美女で、島の青年の憧れの的だったという。しかし彼女は海を隔てた伊平屋島に、松金という恋人がいた。彼に会うのに海岸に出かけたところを、運悪く村の青年に見られた。青年は嫉妬して「マカトゥーを見たぞ!」と叫んだ。見つけられた彼女は、恥ずかしさのあまり、断崖から身を投げたという。こんな悲劇の物語が残されている(仲宗根幸市編著『琉球列島 島うた紀行第三集』)。

いま私がとてもはまっている唄に「伊良部(イラブ)トウガニ」という曲がある。これも恋仲の二人を歌って、とっても味わいのある恋歌だ。宮古民謡を代表する唄である。でも節回しがとても難しく、難曲だと言われている。でもなんとか歌えるようになったので、わが家においでの方にはお聞かせします。

唄では、男は宮古島、女は伊良部島にいる。海で隔てられた間柄である。

「♪伊良部島と宮古島・平良(タイラ)の間の海に 渡れる瀬があればよいのに」

「♪渡る瀬はなくても 舟があるじゃないの 小舟で通って下さい」

「♪夕暮れ時には あなたを愛しく思うよ 寝間の板戸は 開ける際に音がするので ムシロ戸を下げて待っていてね」

 海で隔てられても、恋する二人には障害にならない。逢引きを重ねた様子がうかがえる。「板戸は音がするからムシロ戸を下げていて」というくだりなど、思わずクスッと笑いがこみ上げる。余談ではあるが、先島などでは、昔の貧しい百姓の家は、板の戸はつけられなくて、ムシロを戸の代わりに吊るして使っていたそうである。この唄に登場する女性の家は、板戸を使っているので、あまり貧乏ではない家だったのだろうか。

 彼女の家に忍んで行くことを、俗な表現では「夜這い」と言った。昔のこうした習慣を『八重山民俗誌』(喜捨場永洵著)から見てみよう。

「心に秘めた女性の家に夜這いをすることも度々あって、親の知らない間にいつしか夫婦同然の仲になることもあった。そこで遂に親同志がこれを後日に認めるということであった。その内に子供が産まれると、男は女の家で起居し、女の家の農事にも加勢をするなど母権制社会の時代を少しくとどめていた。そこで佳き日を選んでごく簡単な結婚式を後日に取り行うといういわゆる『連れ子結婚』の風習があった」。

 008            夕暮れ時

恋に命まででかけて

「クラハ山田」という唄は物語になっている。

恩納村(オンナソン)山田に住む巫女(ミコ)のクラハは美人で有名だ。彼女を思う男が忍んで通ってきた。「宿を頼もう。煙草だけでも吸わせて下さい」。遠くから来て疲れているというので、やむなく家に入れると「あなたを思い遠くから来た。煙草を吸いに来たのではない。思いを語りたい」。女は「話す言葉はありません。親兄弟に聞かれたら大変です」と拒むが「ああ、聞き届けてくれないなら、死んだ方がましだ」。あまりの熱烈な愛の告白に胸をうたれたのか、彼女は「命までかけての思いなら従います」と受け入れる。男は「七夜に及び通って、思いがかなった。通わなければ、かなわなかった」と喜ぶ。

「愛を受け入れてくれないなら死んだ方がまし」というのは、いささか唐突な感がある。でも激しい愛情の表現なのだ。恋に命をかける唄は、沖縄では珍しくない。

「桑むい節」という唄は、こう歌う。

「♪桑つみを口実に 私は山に登っていますから 貴方は草刈りを口実に来て下さい そこで真心で語り合えれば 私は骨になって朽ち果ててもかまわないわ」

沖縄でも、明治から昭和にかけて養蚕が奨励された。蚕のエサである桑の葉をつむのは主に若い娘の仕事だった。「終日、親の監視下にあった当時の女性にとって、公認の桑摘みは、期せずして『自由と解放』をもたらしてくれた」という(上原直彦著『語やびら島うた』)。それにしても「骨になって朽ち果ててもよい」とは、なんという女性の情念だろうか。

「月ぬまぴろーま節」もとっても情緒ある唄だ。「月の真昼間(マピィローマ)」とは月が上天にあり、まるで昼間のように照らされる時をいう。なんと、素敵な表現ではないだろうか。

「♪月が真夜中に頭上に来た時は最も干潮で 乙女が人目忍んで来る潮時でもある」

「♪お月様に祈願して 夜空の星に『夜半参り』して 恋する人に逢わせて下さい」

「♪思いを寄せる人に逢わせてくれないなら いっそ私の命を捨てましょうか」

「夜半参り(ヤファンメリ)」とは、夜中に女性が男装をして拝所に参り、彼に逢わせてほしいと祈願することだという。命をかけても逢わせてほしい願う恋心は、半端じゃない。

「命どぅ宝」と、何よりも命を大切に思うウチナーンチュ(沖縄人)が、恋の炎が燃え上がれば、もう命も惜しまないとは、なんという激しい情熱だろうか。

心変わりすれば刀刃(カタナバ)にかける

 見染めあった二人が、永遠の愛情を誓った民謡は、星の数ほどある。私の通っている民謡三線サークルで、来年二月の地域福祉まつりで演奏する課題曲をすでに特訓しているが、その中に「肝(チム)がなさ節」という唄がある。「肝」は心という意味である。009         ヒット曲「肝かなさ節」を歌う饒辺愛子さん

「♪彼がする可愛がりは 肌の可愛がり 年を重ねるに従って 心の可愛がりになる 心から可愛いでしょう 思いが可愛いでしょう」

「♪世間は急流のような 夢の間であっても お互いに心で 可愛がりあってこその浮世である」

恋する二人の愛情は、「肌の可愛がり」から、さらに「心からの愛情」になってこそ、いつまでも深く結ばれることを歌い上げている。

命をかけるほど愛し合う男女の間だけに、どちらかが心変わりするのは、絶対に許せない。ちょっとギクッとするような歌詞が含まれているのが「十七八節」という唄だ。

女「♪私は遊び好き、貴方も遊び好き 互いに遊び好きだから遊ぼう 夢の浮世(ウチユ)を語り合って遊ぼう」

男「♪もし貴女の心が変わって 私をすそにするならば 刀刃(カタナバ)にかけて恨みを晴らすよ 貴女の心が変わらないようにね」

女「♪貴方が腰に差す刀の鞘が 二つあるけれど 夫を二人持つことはないですよ 貴方の心も変わらないでね」

心変わりすれば刃にかけて恨みを晴らすとまで言い切る。これほど激しい感情を詠んだ唄は、さすがにあまり見かけない。それだけ真剣な恋であることの証と言えるだろう。

愛情のシンボルは「手巾」

沖縄民謡では、女性が好きな男性に愛情のしるしとして贈る物がある。それは手巾(てぃーさーじ)、はやくいえば手拭いである。曲によって手布と書いたり、手拭と書いたりするが同じことである。

「加那よー」という唄では、次のように歌われる。

「♪加那よ 貫木屋(ヌチヂヤ)ぬ 離屋(アサギ)よ 加那よ 手拭(ティサジ) 布立てぃてぃ」

「♪加那よ 我が思る里によ 加那よ 情呉(ナサキクィ)らな」。

意訳すると、「貫き木のある家(金持ちの家)の離れ屋に 布を織る機を置き 愛する人のため手拭を織り 私が慕う彼氏に 手拭を贈り、愛情をあげたい」。

このように手巾は恋歌には、欠かせない「愛の表現」である。早弾きの軽快なこの唄は、毛遊びの場では定番の曲となっていた。

なぜ、手巾が愛情のしるしなのか。現代では、手拭はもちろん、布地や衣服はありふれた存在であるが、昔は布、織物がたんなるファッションではなかった。古来、布はどこでも女性が織ってきたが、そこには途方もない長い時間と労力を注がれた。いわば布は女性の精魂が込められていた。だから、沖縄では、手巾は女性の愛情を表現するものであった。女性は手巾をいつも携えていたそうだ。そして、手織りの手巾を恋人に贈ったという。とくに、女性から恋人に思いを込めたしるしとして、花染めの手巾を贈る習わしがあったそうだ。八重山では嫁入りの際には持参したとも聞く。

石垣島の「月夜浜節」は、こう歌っている。

木綿畑は一面真っ白で月夜浜のようだ。木綿花から良い糸を紡ごう。出来た繊維は細くて美しい。「♪吹けば飛ぶような 最上品の手巾を織って 貴方を持ちましょう」

沖縄ではまた、女性は男の兄弟「えけり」を守る「おなり神」と言われる。映画「男はつらいよ フーテンの寅」でいえば、妹さくらは、兄の寅さんを守る「おなり神」なのである。

女性が贈る手巾は、「霊力(せじ)」を持つと信じられていた。だから、男たちが旅する際には、姉妹である女性は手巾を贈った。「男たちが旅に行くとき、自分を保護する霊力体として、肌身をはなすことがなかった」という(宮城栄昌著『沖縄女性史』)。このように、手巾は愛情のシンボルであり、霊力をもつ「お守り」のような存在であった。女性の心魂が込められているという点では、どちらも共通するものがある。

012

芭蕉を使った織物の芭蕉布を作る様子を、芭蕉布の古里といわれる大宜味村喜如嘉(オオギミソンキジョカ)の芭蕉布会館に行った際、ビデオの映像で見たことがある。芭蕉の幹から糸を取り出し、機織り機で布に織り上げる。気の遠くなるような根気強い手作業だ。これを見ていると、一枚の布には女性の汗と涙が込められ、とても尊い産物であることがよくわかる。織り上げた手巾に魂が込められているというのも、なにかわかる感じがした。

恋歌では、布だけでなく布を染めることも愛情の表現としてよく使われる。布地に染めることから転じて、彼氏や彼女の愛する心を染めるというように、愛情の表現として使われる。とてもロマンチックな表現ではないだろうか。日本の共通語でも「見染める」という表現があるのも、なにか似通ったものがあるのだろうか。

例えば「思鶴小(ウミチルグヮー)」という唄は「♪あなたと私は結ばれて 染めて染めあった 二人だから あの世までも いつの世までも 二人はいっしょだよ」と歌う。

「石くびり」という情け唄は「♪忘れようとするが 心に深く思い染めて あきらめることができず わが心が痛むだけです」と歌う。

愛情を「染める」ことに関連して、民謡でしばしば「浅地(アサジ)に染める、に染める」という表現が出てくる。ズバリ

「浅地紺地」という唄もある。

「♪紺地染みゆとぅ思てぃ 染みたしが浅地 染みらわん浅地 色やちかん、色やちかん」

はじめは、浅地とか紺地というのは、着物の染め方や色の一種のことだとばかり思っていた。それはとんでもない思い違いだった。浅地、紺地というのは、着物の染めの一種ではあるが、着物の染色で、浅地は薄く染めるので、転じて恋愛をさす場合に「浮気」を意味する。紺地は濃く染めるので「本気」を意味する。つまり、恋や愛情の度合いを示す代名詞になっているのだ。だから、先の唄の意味は「本気だと思って 身も心もささげたのに 浮気だった 尽くしても 心は離れていくばかり」となる。

紺地

   これは芭蕉布ではなく、南風原の琉球絣を織っているところ

Photo          伊江島にある歌碑は「仲村柄節」となっていた

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