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2012年2月18日 (土)

八重岳の桜並木をめぐる秘話

 沖縄のカンヒザクラの名所として知られる本部町の八重岳の桜並木は、いつ,、だれがつくったのか、これまで分からないまま見ていた。
 2012年2月18日付け「琉球新報」に、本部町在住の島袋貞三さんが「桜日和」と題するエッセーを投稿していた。これを読み、そのいわれがようやく分かったので、紹介しておきたい。011

 島袋さんの投稿文は要旨、次のようにのべている。
 八重岳には、芭蕉敷(バショウシキ)と呼ばれる集落があった。沖縄戦で、山は戦場になり、米軍の攻撃で焼き尽くされ、双方の兵士や住民ら多くの人々が犠牲になった。戦後、郷土の荒廃とすさんだ人の心を癒すにはどうしたらいいのか。1962年に町長になった渡久地政仁さんは、この課題に向き合い、63年、琉米親善委員会で当時の司令官にかけ合い2万ドルを補助してもらった。
 その金で八重岳の入り口から頂上に至る道路に桜の木を植えた。荒れた山だった八重岳を、桜の花によって癒やしの森につくり変えた。芭蕉敷の人たちにも協力してもらい、年々桜の木は増えていった。043

 八重岳のカンヒザクラを見るたびに、なぜこの山の道路沿いに桜並木ができたのか、知りたかった。桜の木は、それほど古くはない。戦後植えられたものかもしれないとは思った。このエッセーを読んでようやくわかった。
 八重岳も沖縄戦で戦場になったことは聞いていたが、桜並木ができたことにも、戦争の影響があったとは初めて聞いた。本部町の郷土を愛する渡久地町長と住民の努力があったからこそ、桜の名所が生れたことに、感動を覚えた。

 「戦争で犠牲になった人々の慰霊と、これから育っていく子どもたちの将来への希望を込めた桜並木になるように」と渡久地さんは願ったそうだ。いまや本部町の「日本一早い桜まつり」は、一大イベントとなり、多くの県民、県外観光客にピンク色の花の彩りと香りを届けている。これからは、八重岳の桜を見に行った時は、先人の苦労と願いに深く思いを寄せながら見たいと改めて思ったことだ。
 それにしても、こういう八重岳の桜並木の由来、先人の努力について、書かれた案内板などがなにもないのが残念だ。案内板があれば、見物に訪れる人たちにも広く知ってもらうことができる。ぜひ、町、観光協会などで設置を考えてほしいものである。

追記
 芭蕉敷の集落は、明治時代に住民が開拓で入り、集落をつくっていた。戦後も1950年に30戸ほどあったけれど、住民の流出が続き、75年に最後の住民が出て、無人の里になったそうである。

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コメント

本当に毎年ラジオやバスツアーで「八重岳桜まつり」の宣伝が大々的に行われ、大勢の人が見に行く場所なのに、あの桜並木にそんないわれがあったとは知らされていませんね。芭蕉敷の人たちは今、どのあたりで暮らしていらっしゃるんでしょうね。沖縄戦で元の姿かたちを失ったのは八重岳だけではなく、沖縄全島におよぶと思いますが、こういうふうに再生させられた努力は、ほかではなかなかないんじゃないでしょうか。アキアキさんがいうように本部町も桜並木の歴史を表示して、もっと知ってもらえば、桜を見る目も変わるんじゃないでしょうか。

 桜並木というのは、自然に花木が広がったのではなく、人々がこの場所に桜並木をつくろうという、明らかな意志があって初めてできるものだから、必ずそのいわれがあるんですね。名護グスクには、石段の下に記された説明板があります。大和では、岐阜の飛騨から富山に抜ける街道に、バスの運転手さんがこつこつ植えた桜並木があることで知られてます。
 先人が残してくれた誇るべき財産ですから、その願いを伝えるようにしてほしいですね。
 芭蕉敷の人々の行き先は知りませんが、山間部になるのだから、本部の町中や那覇の方面などに出た人が多いでしょう。芭蕉敷でなくても、サークルの仲間でも本部や今帰仁などから那覇方面に出ている人が多いですからね。

匿名なのに、私には誰だか分かる・・・(^_^;)ありがとう。。。

 オークリーさん。コメントありがとうございます。
匿名なのに、わかるというのは、どの部分を指すのでしょうか。もしよければ、もう少し詳しく教えてください。

私の義父 戦後 沖縄復興の為 米軍へ、入隊し 八重岳の桜の植樹に参加した 1人です
私も最近 その話を聞き色々 調べましたが あまり 知られてない話で 残念です

noriさん。コメントありがとうございました。
義理のお父さんが八重岳の桜の植樹に参加されたんですか。
そんな努力があって、いま私たちが毎年、八重岳の美しい桜並木を見ることができるんですね。
 桜並木の由来を多くの方々にもっと知っていただきたいですね。

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