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2012年2月 8日 (水)

沖縄の花だより、その4

喜如嘉のオクラレルカ

 芭蕉布の里でしられる大宜味村喜如嘉(オオギミソンキジョカ)で、4月になると、オクラレルカが見ごろである。山間の水田は、薄紫色の花が一面に広がっている。
 
 オクラレルカは、花菖蒲の一種だ。本来は、葉を生け花用として、本土に出荷しているという。水田なのでもともとはお米を作っていた。でも、いまは休耕田となっている。オクラレルカを栽培して、コメは作っていない。

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 前年も見に来たが、なんか 115_3 前年より葉の丈が長い感じ。花の咲きもよい。年によって、咲き方にも差があるようだ。 店では、5本100円で売られていた。見ていると、おじいがまだ花が開かない蕾の茎を切り取って集めている。どうするのかと思うと、蕾そのものを売るため、束にしてバケツに入れていた。
「蕾はどれくらいで咲くんですか?」と尋ねると「もう今夜から咲くよ」という。随分早く咲くんだ。オクラレルカだけではなく、コスモスも咲いている。
 122 コスモスといえば、秋桜と書いて大和は秋の花と思い込んでいるだろうが、沖縄は春に咲く。花菖蒲もコスモスもつつじもだいたい同じ頃さくのだ。オクラレルカの咲く中に、別の花があった。ポンテデリアというらしい(左上)。売店でも売っていた。 もう一つ、生け花に使う茎のようなものも植えていた。フトイという(右下)。118
 「おや?」と思う看板があった。それは、「ネコをはなすな!」と注意喚起をしている看板だ。沖縄ではネコは「マヤー」と呼ぶ。はじめて見た時は、意味不明の感じがしたが、よく見ると簡単である。つまり、ネコをはなすと野鳥がせっかく飛んできても、
ネコにやられてしまうということだろう。 
野鳥がたくさん水田には来るそうだ。フトイの間にも、鳥がやってきていた。
042 「喜如嘉のターブク(水田)みんなで守ろう」と呼びかけている。喜如嘉小学校の子どもたちが設置したものだ。
 このとてものどかで穏やかな田園風景の集落に、昭和初期、村長の専横に怒りを爆発させた喜如嘉の青年男女が中心となって、山原(ヤンバル)を揺るがす「村政革新運動」があった。
 なぜ静かなこの村で、炎のように激しい運動が燃え上がったのだろうか。
 沖縄では、昭和初期に入ると「ソテツ地獄」といわれた経済不況に見舞われた。当時、大宜味村は、県内の42町村の中でも、税金が戸数割総額で第5位、一戸当たり平均で第2位、納税戸数で第20位という重税で村民は苦しめられていた。そんな時、村当局が公用林を売るという事件が起こり、これが怒りの発端になった。
 1931年(昭和6)、村政革新同盟がつくられ、25歳以下の青年のほとんど全員が参加したという。村当局の無謀な財政政策に反対し、役場費の削減、村長らの給料の削減、不当な夫役や寄付金の廃止から、村長の辞職勧告も要求した。さらに既成の村の組織に代わる住民組織の結成や消費組合の結成、初の農村メーデー実施など急進的な運動に発展した。それだけに、警察の徹底した弾圧を受けた。
 この運動は「昭和初期の社会運動史のうえで特筆されるべき重要な意義をもっていた」。『喜如嘉誌』はこう記している。昭和初期に、この山間の花の集落で、庶民によるたくましい抵抗の歴史があったことに驚かされた。
054_2  花を見て歩いていても、ついつい、その土地の庶民の暮らしと民俗、歴史に関心を持ってしまう。これもよくもわるくも一つの習性なのだろう。喜如嘉には、芭蕉布会館がある。いまでも、芭蕉から線維を取り出し、芭蕉布を織りあげる作業をしている。 

 94歳のウトさんが育てるあじさい園
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梅雨の時期、毎年みごとなあじさいを咲かせる沖縄北部の本部町にある「よへなあじさい園」を2011年5月に訪れた。山肌に20万本といわれるあじさいが、ちょうど満開の時期を迎えていた。毎年、見に来ているが、今年はなにか青の色が例年よりも、鮮やかに感じる。圧倒されるような彩である。

例年より寒い日が続いたので、開花は少し遅れ気味だった。まだ少し早いかな、と心配したが、心配は無用。いまが一番の見ごろだろう。この日は、土曜日とあって、たくさんの人たちが来ている。子ども連れ、それも、お母さんと子どもとおばあちゃんという組み合わせが多い。お父さんの姿は少ない。このあじさい園は、饒平名(ヨヘナ)ウトさんが、一人でコツコツとあじさいを植え、育ててきたものである。
003 ウトさんは、ことし94歳だという。おりしも、すぐ目の前を歩いているのは、ウトおばあちゃんではないか。連れ合いが声をかけたら、やっぱりウトさんである。「お元気そうですね。長生きの秘訣はなんですか?」

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 「そうねえ。畑仕事をずっとやってきたことと、食べ物は好き嫌いなく、なんでも食べることかねえ」と笑いながら答える。笑い顔がとてもチャーミングだ。「いつ94歳になられたんですか?」「大正5年(1916年)生れだから、12月15日が誕生日だよ」という。
 「もうすぐカジマヤーですね」「いやあ、まだまだ」と答えた。
カジマヤーとは数え年で97歳になったお祝いだ。童心にかえる意味で風車(カジマヤー)を持たせることから、この名称になっている。ウトさんは「まだ」というが,年内に12月15日で95歳になるから、もうすぐだ。
 左上は、ウトさんのお家。まだ草取りなどはやるそうだ。いま連日、たくさんの人が花を見に来るので、あじさい園の中にある茶店のあたりにいると、声をかけられるようだ。

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 「あじさいの青はどうして青なの?」。こういう掲示をしてくれていた。それによると、あじさいの花の色は、土壌の性質で決まる。花がブルー(青)は、酸性土壌。花がピンクはアルカリ性土壌だということである。あじさい園を回ると、本土ものあじさいのコーナーもある。沖縄のあじさいと本土ものはどう違うのか、あまりたいした違いはなさそうだ。
 
あじさい園は、実はあじさいだけではなく、他にもたくさんの花が咲き誇っている。名前もよく知らない花が多い。
 「マグニスカ」「コートダジュール」「マナナス」「ビョウヤナギ」「」各種ベゴニア「緋桐(ヒキリ)」「八重クチナシ」などなど。まあ、あじさいだけではない、花園なのである。

夜に咲く幻想的なサガリバナ 023

長い梅雨が明ける6月下旬ころに、咲きだす幻想的な花がサガリバナである。和名はサワフジという。サガリバナの名は、大きな花の木から、つるが長く下がってきて、そのつるにたくさんの蕾がつく。写真のように、その蕾は太陽が沈み、夜になると花開くのである。朝には、花びらが地面にたくさん落ちている。花の命ははかない。でも毎夜、新たな蕾が開き、新たなつるが伸びてくる。わが家近くの漫湖公園には、この花木がたくさん植えられているのでうれしい。


 年に一度、若夏(ワカナチ、初夏)の頃に咲きだし、真夏には終わるのが普通である。でも、年によって、夏の終わり頃また咲くことがある。この花は、東南アジアの熱帯や亜熱帯のマングローブ林の後背地や川沿いの湿地に自生する。日本では奄美諸島から南に咲く花だ。
 2010年には、6月に一度咲いたが、8月になってまた咲きだした。花はピンクと白がある。写真は午前3時ころ撮ったものだ。001

 甘い芳しい香りを放っていた。こんないかにも、南島らしい、幻想的な花を2度見られるのはうれしい。
 2011年には、不思議にもなんと11月に3度目の開花をした。まあ、気候的には、11月に入っても夏日になるくらいだから、不思議ではないかもしれない。
 那覇市の北にある西原町に、国史跡に指定されている内間御殿(ウチマウドゥン)を見に行ったとき、見事なサガリバナの大木に出会った。これまで見たなかでは、最も大きい巨木である。しかも枝葉はきれいな半円形を描いていて見栄えがする。天然記念物にも指定されているようだ。

 071 この巨木のサガリバナが咲いたら、壮観だろう。一度は見てみたいと思う。だが、なにしろ夜中しか咲かないので、遠くまで見に行くのは一苦労。だから、いまだに実現はしていない。



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