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2012年3月18日 (日)

ユバナウレ考、その2

 

「正月ゆんた<綱引き歌>」(黒島)

「♪今日の日を元にして 黄金の日を元にして ウーヤキ ユバナウレ ソリユバナウレ」と歌い出す。黄金の日を元にして黒島の男たちは心を一つにもち、今年の世を祈願しよう、豊作になったらみんなの名前を鳴り響かせよう、その果報を願おう、という歌意である。この曲では、囃子は豊年の祈願の意味で使われている。

「船越ゆんた」(黒島)
「♪伊原間村を建てた者は 船越村に分けた者は ササユワイヌ サスリ ユバナウリ」と歌い出す。移住で伊原間村を建てた者は、船越村に分けた者は(役人の名前をあげて)、この人たちが我らを分けたよ、次にはその人たちを分けてやろう、その時の主は頭(役職名)になるな、目差(役職名)になるな、と開拓のため強制移住をさせた人たちに、恨みの目を向けている。「ユバナウリ」はまさしく、「こんなひどい移住をさせたるような世の中は間違っている、直れ!」という叫びの声に聞こえる。 ただし、強制移住をテーマとして曲は、ほとんど恨みと抗議の歌詞は、途中から逆に移住したことを喜ぶ歌詞に変転する。この曲の場合も、恨みの歌詞の最後に、伊原間、船越にいて嬉しい、その時の主は頭になってくださいと真逆の内容になる。これもあまりにも不自然である。だれかが、作為的に曲の歌詞を変えたとしか思えない。

 考えてみると、この囃子も変である。「イワイヌ」という「祝い」の囃子と「世は直れ」という囃子は、本来意味が反対のはずだ。それが一対になっているからである。

 「船越ゆんた」とほぼ同じ内容で「舟越節」がある。この曲は実は、沖縄本島で琉球古典音楽の「祝い節」に編曲されている。小浜光次郎氏著の『八重山の古典民謡集』の琉球古典と八重山古典の類似曲一覧表に記されている。
 「祝い節」は、元歌と思われる「舟越節」の島分けの悲劇とは何の縁もない歌詞になっている。「お祝い事が続くよ この世の嬉しいことよ」という、めでたい歌詞が続く。ところが、囃子は「祝いぬ サー スリ ユバナウレ」が繰り返される。めでたい世を祝う歌詞だから「ユバナウレ=世は直れ」というのは、少し歌詞とはズレがある。多分、元歌の「舟越節」では「ユバナウレ」が使われているので、歌詞は換骨奪胎して、異なる歌詞にしながら、囃子だけは、元歌の「ユバナウレ」をそのまま残したのではないだろうか。本島で歌われる古典や民謡で「ユバナウレ」が使われるのは、少ない。私が知っているのはいまのところ「祝い節」と「夜雨節」がある。

「いんしがーぬ金盛ゆんた」(黒島)
宮古島の土豪、金志川金盛(キンスカーカナムリ)の与那国征討を歌った長大な歌謡の後半部分にあたる歌だ。新城島、黒島にだけこの歌は伝承されているという(「沖縄音楽大全データベース」)。

「♪金志川の ホーホーユバナオレ」と歌い出す。いんしがーぬ(金志川)の金盛は賢い者、国(村)を治めていこう、宮古島、八重山島は何事もなく、与那国島は帰されているので、思慮深い主に申し上げ、東崎に帰って来て、芭蕉の船を造り、明かりを灯し、刀を取り持ち、島の中央に飛んで行き、切りに切って行くと、二〇歳の乙女に行き会い、真首を抱いて飛びまわり、そのため与那国島は現存している。
 囃子は、金盛が立派な人物だと讃える意味がある。新城島には、金志川金盛の古墓があるそうだ。

次はユンタではない。豊年祭の歌である。

「ありぬ渡からの歌」(石垣島白保)

「♪東の海から船が来なさるそうだ ピヤガ ユヌトウホンガナシーヨ チヤユバユバ ユバナウル」で始まる短い曲だ。どんな船だろう、粟俵、米俵を積んで来られる 弥勒世(豊年)を恵まれてという内容である。囃子は、豊年を願う意味で使われているのだろう。

「いんきやらぬの歌」(同白保)

「♪いんきやらの加那叔父 ヒヤユバナウレ」で始まるやはり短い曲だ。網の目をつくり、下の浜に下ろし、フクラビ魚のとんま者、網を知らないで縛られ、スクラ魚の愚鈍者、網を知っており白保村の上に、弥勒世を恵まれ。こんな内容だ。珍しく魚を獲る話である。ここでは、囃子は、豊年の「弥勒世」を願う意味が込められている。

 これまで『南島歌謡大成』から紹介したが、これ以外にも『八重山古典民謡工工四』にも掲載されている。歌の訳文がないので、曲名と囃子だけを紹介しておく。 

「真栄(マザカイ)節」は「ウヤキヤゥヌ ユバナヲレ」、「上原ぬ島(ウィバルヌスィマ)節」は「ユバナヲレ」、「とぅまた節」は「シターリヤゥヌ ユバナヲレ」、「夜雨(ユルアミ)節」は「スリユバナヲレ」、「とーすい」は「ハリユバナヲレ」と歌う。「黒島節」は「ウヤキユバナヲレ スリユバナヲレ サースリユバナヲレ」と囃子が三回も繰り返されている。「しきた盆節」は「ウヤキユウバヤゥタボラレ」という囃子だが、これも「豊な世になってください」という願いの囃子であり、「ユバナウレ」と同じ趣旨だと思う。 

宮古編
宮古島と周辺諸島の民謡にも、「ユバナウレ」の囃子はよく使われている。なかでも「アーグ」「クイチャー」という歌謡に多い。それは「アーグ」「クイチャー」が民衆の生活の場で生まれた「生活労働歌」が多いからだろう。農作物の豊作や世の中の平和、航海の安全などを祈願するものなどがある。また歴史と伝説に登場する人物を讃える英雄讃歌もある。八重山の歌謡と比べて、こういう英雄讃歌が多いのも宮古の特徴である。それは、宮古島の歴史が反映している。

「雨乞いのアーグ」(池間島)

「♪クイチャー踊りが出たからには くとぅシっじゅーや なをれ(今年中は<世は>直れ<豊作になれ>」と歌い出す。このあとも、来年の世は勝り重ねて直れ、今年播く種の直れば(実れば)大きな家も小さな家も寄り集まる俵で富貴(金持ちになる) 直り世(栄える世)の雨加那志よ、と歌う。雨乞いによって、作物が実り、豊作になり、豊かになることをひたすら願う歌謡である。ここでは、「直れ」が「実れば」「豊作になれ」「栄える世」というように、豊作と繁栄の願いを込めた囃子として使われている。

「直り世(ノーイユー)の雨加那志」(同)

 この曲は、「雨乞いのアーグ」の中心部分を独立の歌にしたものだ。短い歌詞であり、後半部は、先に紹介したのと同じく、今年播く種が実れば富貴になる、クイチャー踊りが出たからには「今年の世は直れ(豊作になれ) 来年の世は勝って重ねて直れ」と歌う。

「池間マージメガ」(同)

「♪池間島に 布織村に生まれた 富貴なマージメガ 離れ(島)にいる マージメガ なうり(豊かな世に直れ)」と歌い出す。マージメガの立派な兄は火立番であるが伊良部島に行った、兄に代わって私が火立番をする。この後、歌詞はちょっと卑猥な表現になっていくので省略する。なぜ「なうり」の囃子なのか、マージメガを讃える意味があるのだろうか。

「山原の底家のヌチディ姉」(同)

「♪山原の底家(屋号)のヌチディ姉 なオり(豊かな世に直れ)」と始まる。ヌチディ姉は美しい生まれをしているから、貰い手がないだろうと言っていたら、大主は願いをかなえて下さる、神だから、私の島の二部落の男たちが貰い手にくるだろう、一人にだけ抱かれるのだ。こんな歌詞であるが、美しい可愛い生まれの女性がなぜ貰い手がないというのか不可解である。でも、売れ残ると心配するから、願いがかなうようにという意味で「なオり」の囃子が使われているのだろう。

「来間添う女メガ」(同)

「♪来間で評判なメガの よーなうれ やはら みやらびぬ よーなオれー」と始まる。囃子の意味は「豊かな世にしてほしい 物ごし柔らかな女の世直れ」。メガが生まれたが、母は意地悪、父は嫉妬深い者と言って、恋人と大声で話し、メガは一緒にならないといいながら、母の声、父の声であるから一緒になっていよう、メガが嫁いだ年に、大麦は一〇年分、一〇〇年分もできていたので母に献上しよう、父に差し上げよう、というような歌意である。これは、父、母の声に応えて嫁いだ女性が、豊かに、幸せになってほしい、という意味でこの囃子が使われているではないだろうか。

「マンチキとマンジャクがアーグ」(同)

「♪マンチキとマンジャクの 二人が かりヨすなオり(嘉例吉直れ)」と歌い出す。二人は幼いころから夫婦で、離れることがない夫婦だった、マイグムイという悪い邪魔者、夜這い人が入り、火で明るくしてみると薪の下に隠している、本当に怒った。これも、短い歌詞で歌意がつかみにくい。囃子の意味もよくわからない。

「かにつみがうえーに」(多良間島)

「♪沖縄の久米島に生まれた ヨナウーレ」と始まる。かにのメガのウエーニ(女名)は、五人の子、七人の子を生んだが女の子、また孕んだ。生まれた子はまた女、男の船乗りは生まれないが、男の子だと言って名前をつけ、親だけで育てた、学問も習わし、親の代理で唐に行った、水を浴びにと言ったら水は嫌い、女郎買いをと言ったら女郎は嫌いだと言いなさい。こんな歌意である。この曲の場合、囃子は「立派になれ」という意味だろう。

「土原の女按司のアーグ」(多良間島)

「♪土原の按司(アジ)は 女按司は名を揚げようと イルラが世や直れ」と始まる。大和への乗り出し、大和刃を取り持って、阿旦(アダン)山を薙ぎ開けて、日本屋を葺いて、女按司は鳴響(トヨ)もう。こんな歌意である。勇敢な女性の按司(豪族)を褒めたたえた曲である。ここでは囃子は、女性按司の名声を揚げ、立派になるのを願う意味で使われている。それにしても、沖縄本島では、女性按司の英雄談は聞かない。でも、与那国島には女性首長のサンアイ・イソバがいたことで有名だ。

036   離島フェアーの三線店の前で演奏してくれた子ども。メッチャ三線が上手い

024   2011離島フェアーで八重山民謡を披露するお兄さんたち

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