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2012年3月30日 (金)

琉球舞踊は恋の琉歌に満ちて、その2

愛する人に布を織り贈る

恋歌の中身にはいっていきたい。「安冨祖流琉球舞踊地謡工工四第1巻」を中心に、川平朝申氏著『おきなわの歌と踊り』、玉城節子氏著『翔舞―琉舞に魅せられて』など、他の著書も参考にして、紹介したい。

愛しい彼や彼女に大切なものを贈りたい、そして抱いている思いを伝えたいという心情はいつの世も変わらない。舞踊曲にもそんな曲がいくつもある。

わずらわしいかもしれないが、琉歌の魅力を少しでも味わうために、琉歌そのものと歌意を紹介するのを基本としたい。

081

              志多伯豊年祭で踊られた「かせかけ」

「かせかけ」という舞踊曲から見たい。「かせかけ」は、恋する人に着物を贈るため女性が糸を紡ぐ姿を描く。その中の「干瀬節(フィシブシ)」はこう詠う。

「♪七読(ナナユミ)と二十読(ハテェン) 綛掛(カシカ)けて置(ウ)きゆて 里が蜻蛉羽(アケズバニ) 御衣よ(ンシュユ)すらね」。

「細かく細かく糸を綛いで あなたのために蜻蛉(アキツ、とんぼ)の羽のような 薄くてきれいな御衣(ミゾ、着物)を作って差し上げましょう」という歌意である。

とんぼのことを「あきつ」というのは、日本では万葉集にも出てくる古い言葉だ。それが沖縄では生きている。彼氏のことは「里」と呼び、彼女のことは「無蔵(ンゾウ)」と呼ぶ。「無蔵」は女性のイメージとはかけ離れている。なぜ、こんな言葉が彼女を意味することになるのだろうか。もともとの語源をたどると「無惨」だという。「無惨」から「かわいそう」になり、「かわいそう」が「可愛い」に変化した。さらに沖縄では「可愛い」から「彼女」に転化して、「無蔵」と呼ぶようになったらしい。ややこしい。

同じ舞踊曲に組まれた「七尺節(シチシャクブシ)」は、こんな琉歌である。歌意も紹介する。

「♪枠の糸綛(イトカシ)に 繰り返し返し 掛けて面影(ウムカジ)の 勝(マサティ)て立ちゅさ」

「糸枠に糸を繰り返し巻き付けていくにつれて あなたの面影がますます立ち勝ってきます」

 「♪綛掛けて伽(トゥジ)や ならぬものさらめ 繰り返し返し 思(ウミ)ど勝る」

「糸作りの仕事で思いを紛らわそうと 枠に糸を繰り返し返し巻きつけるのですがあなたへの思いの方が強くなるばかりです」。

 「かせかけ」は、写真で見るように、両手に糸巻きを持ち、糸を操る所作を美しく踊る。「ときめく思いを美しい布に織りあげて、愛する人に贈るという麗しい習俗はいにしえからあって、乙女たちは丹精を込めて糸を紡ぎ、布を織ったのである」(大城學氏著『沖縄芸能史概論』)。沖縄では、愛しい人に手巾(ティーサージ、てぬぐい)を織り贈る習慣があったことは、「愛と哀しみの島唄」でもふれたところだ。

次に「本貫花(ムトゥヌチバナ)」という舞踊曲は、「貫花」という花びらで作るレイのような花飾りがテーマだ。「金武節(チンブシ)」はこう歌う。

「♪春の山川に 散り浮ぶ桜 すくい集めてど 里や待ちゅる」

「春の山川に散って浮かんでいる 桜の花びらをすくい集めて あなたを待っています」

「白瀬走川節(シラシハイカーブシ)」も、似た内容である。

 「♪白瀬走川に 流れゆる桜 掬(スクティ)て思里に 貫(ヌ)ちゃいはけら」

「白瀬走川の流れに浮いている桜の花びらを すくい集めて糸に貫き止め 恋しい人にかけてあげたい」

 桜の花びらをすくい集める。二つの曲に共通している。ただし、ここで少し疑問がある。沖縄の桜と言えば、ピンク色のカンヒザクラである。これは、ソメイヨシノとはまったく異なる。花びらが釣鐘のように垂れていて、散るときもボタっと釣鐘状の花びら全体が落ちる。ソメイヨシノのように花びらが、風に吹かれて一枚一枚舞い散る風情はない。沖縄にはソメイヨシノはない。カンヒザクラで貫花が作れるだろうか。川面に花びらが浮かぶ風景も見たことがない。

この歌は、桜が川面に舞い散る花びらの美しい情景を歌に詠む、大和流の美意識が持ち込まれたのではないか。そんな気がする。日本では、桜の美しさを歌った曲は山ほどあるけれど、沖縄では桜を歌った曲はきわめて少ない。そこには、カンヒザクラしかないという「うちなー桜事情」があるのではないだろうか。

 むんじゅる平笠で惚れさせよう

「むんじゅる」という舞踊曲は、恋歌ばかりを集めている。

「早作田節(ハイチクテンブシ)」はいくつも歌詞がある。ここではこんな琉歌である。

 「♪若さひとときの 通い路の空(スラ)は 闇のさく坂も(ヒラン) くるまとう原(バル)」

「若い時の恋人のもとに通う道は 闇夜のけわしい坂道であっても 砂糖車(サーターグルマ)の通るような平坦な道に思えるものだ」。

砂糖車とは、回転させてサトウキビを絞る車のこと。牛に引かせていた。

「むんじゅる節」はこんな琉歌だ。「むんじゅる」とは麦わらで作った笠のことである。

「♪むんじゅる平笠美(チュ)らものや 美童(ミヤラビ)ま頂(チヂ)にちい居して 花染手巾(ハナズミティサジ)や前(メー)に結(ムシディ)で 二才惚(ニーセーフ)らしむぬ」

「むんじゅる平笠のきれいなことよ 娘の頭にちょこんとのせて 花染手巾は帯の前に結び 若者たちをひきつけ惚れさせようか」

「♪照喜名坂(テルキナフィラ)からヨウをなよ むんじゅる平笠かぶるなよ 津波古(チーファヌク)の主(シュ)の前(メー)が な打(ウ)ち惚(フ)りゆんどー」

「番所のある照喜名の坂を通る時は娘さんよ むんじゅる平笠をかぶるなよ 役人の津波古さまがさらに惚れるぞ 気をつけなさいよ」

 この曲は粟国島が舞台である。そこの照喜名という所は、島の娘さんに恐れられた代官詰所があった。津波古というのは役人の名前である。「役人の津波古には気をつけろ」と注意を喚起している歌詞だ。

役人が職権を背景にして、村の美しい娘に目をつけ自分の意のままにするとか、賄女(現地妻)にしたことは、「愛と哀しみの島唄」で詳しく書いた。

次の「揚芋の葉節(アゲンムヌファブシ)」も、むんじゅる笠つながりになっている。

「♪里が張て呉(クィ)てる むんじゅるの笠や 被(カ)んでわん涼(シダ)さ 縁(イン)がやゆら」

「あなたが作ってくれたむんじゅる笠は美しく 被っても涼しいことよ 二人は結ばれる縁なのでしょうか」。

これらは、むんじゅる平笠を被って踊る、情緒豊かな歌と踊りだという。

056        首里城にあがった満月

 

月の美しい夜は

 月の夜は、若いカップルにとって出会いの時である。舞踊曲にも、月の夜をテーマにした曲集に「瓦屋節(カラヤーブシ)」がある。そこには3曲入っている。

「ながらた節」はこんな琉歌である。

「♪でちやよ押(ウ)し連(チ)れて ながめやい遊(アシ)ば 今日(チュウ)や名に立ちゆる 十五夜(ジュウグヤ)だいもの」

「さあ、一緒に連れ立って月見にでも行きましょう。今日は名高い十五夜ですもの」

「瓦屋節」は次のような琉歌だ。

「♪押す風も今日や 心有(ククルア)てさらめ 雲(クム)晴れて照(ティ)らす 月(チチ)の清(チュラ)さ」

「そよ吹く風も今日は心あるもののごとく 空は雲がすっかり晴れて 照り輝く月が美しい」

「しょうんがない節」も月を眺める歌詞である。「しょんがねーぶし」と読む。

「♪月もながめたい でちやよ立ち戻(ムドゥ)ら 里や我が宿に 待居(マチュ)らでもの」

「月もたっぷり眺めた さあ、連れ立って家に戻ろう あの方は私の家で待っているだろう」

「月の夜節(チチヌユーブシ)」は、別の曲集に入っているが、月の夜つながりで紹介したい。歌詞は5番まであるが、もう恋歌の極地のような唄である。

 「♪月の夜も夜(ユル)い 闇の夜も夜い 里が参る夜(メルユル)ど な夜さらめ」

「月夜ならば あなたが私の方へ忍んで来て下さい 闇夜ならば私があなたの所へ忍んで参ります」

「♪指輪(イビナギ)の情 さす間(エダ)の情 頭毛(カシラギ)の形見 幾世までも」

「指輪の愛情は 指にさす間だけの愛情であるが 髪の毛の形見(共に白髪になるまで変わらない愛情)こそ永遠の形見である」。こんな具合である。

空気が澄み、星空も月も美しい南の島では、月の夜は若い人々の恋を誘ったというのは、とてもよくわかる。旧暦が生きている沖縄では、「今日は十三夜」とか「今日は十五夜」とか、「いま月がとてもきれいだ」などとすぐ話題になる。

 

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