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2012年3月27日 (火)

改作される沖縄民謡・仲筋ぬぬべーま節

 琉球王府の時代、八重山の離島や石垣島の遠島地にある村番所に役人が派遣されていた。単身で赴任する役人の世話をする「賄い女」(現地妻)をテーマとして唄である。
 竹富島の役人が、上納布の原料である苧麻と素焼き甕を得るために、産地である新城島(パナリ)の役人から条件として要求された「賄い女」の派遣を受け入れた。白羽の矢がたったのが竹富島の仲筋のヌベーマだった。「一人娘を送り出した親の自責の念と娘への憐憫の情が、ひきしまった旋律に乗せて描かれている」(當山善堂氏著『精選八重山古典民謡集』)。          

    写真は竹富島の集落風景Photo

 歌詞を訳文で紹介する(同書か

ら)。
 「♪仲筋村のヌベーマは その村の娘は 一人っ子の女の子であった たった独りの気に入り娘であった パナリ(新城島)の役人に嫁がせた 気に入りの夫に嫁がせた 何ゆえに嫁がせたのか いかなる理由で嫁がせたのか ブー(苧麻)を手に入れるために 素焼きの水瓶を得るために」

 問題は「気に入りの夫に嫁がせた」という歌詞だ。唄には、苧麻と素焼き甕を手に入れるため、たった一人の気に入りの娘を「賄い女」として出した親の無念の気持ちが込められている。「気に入りの夫」に嫁がせたのなら、喜ばしいはずではないか。無念の気持ちと矛盾する歌詞だ。

 當山氏によると、3番下の句の歌詞は、従来「肝ぬ夫 持つぁしょーり」と「うどぅぎゃ夫 持つぁしょーり」の二通りの歌詞があり、ここでは「肝ぬ夫」(気に入りの夫)を使用したとのことだ。「うどぅぎゃ夫」とは「損を被る夫・気に染まない夫」を意味し、「肝ぬ夫」とは正反対の意味になる。後者の「気に染まない夫」という歌詞が、この哀歌とはとてもよく調和する。

 古い明治年間の歌詞集はすべて「肝ぬ夫」であるが、大正年間から昭和40年代までの歌詞集は二つの表現が相半ばし、現在の工工四本(楽譜)はほとんど「うどぅぎゃ夫」を採用しているとのこと。

 當山氏は、この改作は八重山の民謡や民俗の名著を残している喜舎場永珣氏の「直接・関節の影響によって多くの歌詞本や工工四本では『ウドゥギャー』が主流になったのではないか」という仮説をたてている。

 當山氏は「うどぅぎゃ夫」(気に染まない夫)という表現は、「役人を指す言葉としては品がなさ過ぎ」という理由で否定的である。013     写真は水瓶ではない。与那国の花酒を入れた甕だ(2010年離島フェアー)

 當山氏の本書は、とても労作で学ぶところが多い。けれども、この部分の見解には同意しかねる。仮に喜舎場氏が「肝ぬ夫」を「うどぅぎゃ夫」と変え、その後これが主流となったとすれば、これはこの唄の主題にそった適切な改作だと思う。
 それに、この曲が本来、「親の自責の念と娘への憐憫の情」を歌った曲の主題からすれば、元歌の歌詞は「うどぅぎゃ夫」(気に染まない夫)だったのではないだろうか。それを誰かが、「肝ぬ夫」という真逆の歌詞に改作したのではないか。そんな気がする。
 もともとこの唄が作られた時、全体の歌意からみてとても違和感のある「肝ぬ夫」という歌詞だったとは思えないからだ。

 もしその通りなら、「うどぅぎゃー夫」という歌詞に変えたのは、元歌の歌詞を復元させただけということになる。まだ、私はこの曲は歌ったことがない。けれども、もし、「肝ぬ夫」という歌詞なら、歌うのにとても抵抗があっただろう。だから、この部分が変えられたのは、本来の唄の主題にそったよい改作だったと私的には思う。

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