宇栄原の拝所を歩く
那覇市の宇栄原(ウエバル)を歩いた。小禄地区では、字小禄や具志(グシ)を歩いたが、宇栄原はまだだった。「宇栄原は軍用地に接収されていないため昔の道や集落のかたちが残っています」(「週刊レキオ」2011年11月24日付)とのことだった。
この地区の高台のような位置に、宇栄原自治会館がある。立派な建物だ。すぐ隣に「上ヌ御嶽(ウタキ)」があった(下)。これは下方にある「下ヌ御嶽」と対になっているようだ。
住民にとって大切な御願(ウガン)の拝所である。建物の中には、石が据えられている。
その隣は、「門中の御嶽」と呼ばれている。門中(ムンチュウ)は、男系の血縁組織である。とくに門中の名前は記されていない。祠の中には、サンゴ石のようなものが祀られていた。こちらはなぜか敷地がやたら広い。
この側に眺めの良い「宇栄原公園」がある。さすがに、慶良間列島の島々も見える。
ところが、突然、バリバリバリ!とけたたましい爆音がすると同時に目の前を戦闘機が低空飛行で飛び去った。「なんだ!この低空飛行は!」と驚いている間もなく、立て続けに2機、3機と飛びたつではないか。 考えてみると、宇栄原は、那覇空港に近い。航空自衛隊が同空港を使い、しょっちゅう戦闘機が離発着している。このあと、旅客機も飛び立った。いやいや昔の雰囲気を残す集落で静かな環境かと思いきや、毎日、戦闘機の爆音にさらされる。住民は、えらい迷惑だろう。
話がそれた。宇栄原公園は、公園は狭いが、隣接して広い建物がある。何かと思えば亀甲墓である。
「三戸門中之墓」とある。門中が共同で使う墓。眺めの良い場所にある。
自治会館の建物に戻った。建物の前に、「高前原公園」がある。こちらには、いくつもの拝所などがある。 こちらは「地頭火神」という。
公園の中ほどに立派な拝殿がある。「下ヌ御嶽」(上)である。コンクリートの柱は大きいし、赤瓦の屋根のつくりも頑丈そのもの。なにか、ギリシャのパルテノンの神殿を思わせる。
御嶽の本体も立派である。上にあった「上ヌ御嶽」と比べても、ダントツの拝所である。経費も相当かかっているだろう。
隣にはやはり「火の神」があった。
高前原公園は、傾斜になっているが敷地はとても広い。御嶽や火の神は、長く住民の信仰の対象だろうが、いずれも説明板が何もない。だから、残念ながら由来、歴史などまったくわからない。
拝所とともに、井戸(カー)がいくつもある。津真田カー、マチガワカーなどある。でも説明したものがないので、どれが何というカーなのか分からない。
石積みの円筒はいずれも井戸である。上に鉄柵が張られている。子どもたちが遊ぶ場だから危ないから入れないようにしている。
こちらは、高い場所を下った傾斜地だけれど、斜面から湧水が出ているカー、ヒージャー(樋川)はない。いずれも、平地を掘り下げて水源をえた井戸ばかりである。湧水のない土地だったのだろうか? 公園の入り口にも、公園名を記した大石のそばに円筒形の井戸がある。
そばにおばあちゃんが座っていたので聞いてみた。
「この辺りには、昔は5,6軒家があった。だからこのあたりで井戸を苦労して掘ったようだよ。井戸はその向うにもあり、4つくらいはある。みんなここの井戸で水を汲んで使ったよ」
公園を出て、ナカミチを抜けていくと、カミガー(上)がある。そばにいたおばさんに、カーのことを訪ねたが「私はここの人間ではないからわからないよ」。そばに石が置かれている。拝所だろうか?
隣には小さな広場があった。「西ヌアシビナー」だろう。アシビナーとは「遊び庭」と書く。いまは子ども用の遊具が置かれている。かつては、ここでいろんな祭と芸能で楽しんだのだろうか?「遊び庭」という言葉、場所があること自体が、素晴らしいことだ。前川守賢のヒット曲に「遊び庭」がある。この歌を聞くと、アシビナーの雰囲気が目に浮かぶ。
というわけで、それぞれの由来などわからないまま終わった。小禄地域にある字小禄、具志、宇栄原などいずれも、御嶽など拝所をとても整備して立派な拝殿をつくっている。もともと那覇市に合併する前は、小禄村だったので、古い民俗、伝統を大事にしていることが感じられた。
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コメント
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宇栄原は「いーばる」と発音しますね。下の御嶽を探して歩いていた時、保育園から出てきたおばあちゃんにレキオの「宇栄原マップ」を見せて、ありかを尋ねたら、「ああ、これはいーばるマップね。あんたたち偉いね」と褒められました。あのあたりは拝所が密集しているのに、なんの説明書きもないのは、他の小禄地区と同じですね。繁多川は地域の拝所やカーについて、自治会で説明板を設置して、案内マップを独自に作製、普及しています。そういうとりくみを地元自治会でやってほしいですね。公園にいたおばあちゃんが、下の御嶽は「拝みに来る人がしょっちゅういるよ」と言っていたから、地域に根差した拝所には間違いないのでしょうから。
それにしても、あの地域は那覇空港に近くて、離着陸する戦闘機や旅客機のエンジン音が相当うるさいです。
昔ながらの集落が残っていると言っても、あとから空港ができて、あんな爆音にさらされるのは、たまったもんじゃないですね。
それから門中墓がありましたが「三戸門中」って書いてありました。三戸って沖縄の苗字にはないと思うんだけどな~。不思議です。
投稿: いくぼー | 2012年3月 3日 (土) 09時37分
古い集落だから、道も入り組んでいて聞かないとなかなか分からない。宇栄原の人にとって、拝所はよその人を案内するものではなく、自分たちが拝みをする場だから、なにも説明板なんか必要ないんでしょう。ただ、地元でも若い人には伝えていかないとわからないから、そういう意味で説明するものがあっていいと思います。
自衛隊機は、わが家でも飛び立つのが見えて、うるさいと思うのに、あれほど間近では、うるささ指数は相当なものでしょう。
三戸の苗字は聞かないですね。なぜでしょうねー。
投稿: レキオアキアキ | 2012年3月 3日 (土) 09時50分