ユバナウレ考、その1
ユバナウレ考
沖縄民謡は、本体の歌詞に続いて囃子(ハヤシ)が入るのが通常である。いろんな囃子があり、歌を盛り上げるのに、欠かせない存在である。大和の民謡とは異なる、とてもユニークな囃子がたくさんある。
有名なのには「安里屋ユンタ」の「マタハーリヌチンダラカヌシャマヨ」とか、「唐船どーい」では「ハイヤセンスルユーイヤナー」、「かいされー」では「ジントヨー」、八重山の「トゥパラーマ」だと「ツンダサーヨー ツンダサー」など代表的なものだろう。囃子が入らないと物足りなさを感じるほどだ。
囃子は、「ジントヨー」は「本当だよ」など、意味がはっきりしているものもある。でも、聞いても意味がよく分らない囃子がある。それぞれ、由来があり、語源はあるだろう。でも、いざその意味を探るといろいろな説があり、はっきりしないことが多々ある。だから、あまり詮索しないで、歌を盛り上げる役割だけを重んじればいいかな、と受け止めている。
そんななかで、とても興味をひかれる不思議な囃子がある。「ユバナウレ」である。八重山民謡でも、宮古民謡でも、いずれもよく登場する。これは、漢字で書くと意味は分りやすい。「世ば直れ」と書く。つまり「世の中が直れ」「世の中が良くなれ」となる。「世が良くなれ」という意味だけではなく、「豊作の世になれ」「豊年の世になれ」というような願いを込めて使われている場合もある。
私がいま歌っている民謡では、八重山の「安里屋節」に使われている。原歌は竹富島の歌である。「安里屋のクヤマは、生まれたときから美人だった」と始まり、一節ごとに「ユバナウレ」が繰り返される。
宮古民謡の「豊年のうた」でも、「ユバナウレ」と同系統の「ユヤナウレ」が繰り返される。こちらは、豊作、豊年を願う歌詞である。だから、この曲では、歌の題名通り、囃子は「豊作の世になってほしい」という意味になるだろう。
それにしても、民謡の囃子にしては「ユバナウレ」は、その言葉の意味を考えると、たんに音楽を盛り上げるというだけではない。なかなか社会的な意味と背景がある囃子である。琉球王府の時代に生きた人々の願望が込められている。興味深い囃子である。
「ユバナウレ考」と題したが、たいして「考」というほどのものではない。「世は直れ」という意味は、はっきりしているが、八重山と宮古の民謡、古謡で、「ユバナウレ」がどのように使われているのかを、実証してみたいという思いである。
資料として『南島歌謡大成』の八重山編、宮古編の中から拾ってみた。同書は原文と訳文が掲載されているが、囃子以外は訳文で要旨を紹介する。ただし、囃子の「ユバナウレ」は、島によって、歌によって少し表現の違いがあるが、歌の味わいを残すため、原文通りで、カタカナ表記を基本とする。
八重山編
八重山の民謡、古謡といっても、いろんな種類がある。歌謡の種類によって、囃子があまりつかないものもある。囃子がついても、さまざまな種類がある。「ユバナウレ」がつくのは「ユンタ」に多い。ユンタとは、「作業労働歌を中心にした叙事的歌謡である」「人々の生活にまつわる農耕、家造り、船作り、航海、貢納等々はもちろんのこと、労働の苦しみや恋の喜びなどまでユンタの中に取り込まれている」のである(外間守善氏の解説)。庶民の暮らしにつながりが深い歌謡だからこそ、「ユナバウレ」のような囃子が多く使われたのだろう。次に紹介するのは、そのユンタである。
「まへらちぃゆんた」(石垣島新川)
「♪マヘーラチィ(女名)の ハイヤースーリー 乙女の イラヨイサヌ 生まれはね ハーリーユーバナウレ」と歌う。次のような歌意である。五歳の時に親と別れ、七歳の時に母親と別れていた、自分だけで暮らすことができず、叔母、いとこ叔母のもとに行き 付け人だと思われ、下女と叱られて、朝井戸に下りて水を持ってこい、鍋、釜を据え、ご飯を据え、山に入り薪を取って来い、畑に出てこいと言いなさる。そして親、兄弟をしのぶ。幼くして親と別れた女性の辛い人生が歌われている。囃子は、「良い世の中になってほしい」という哀切をおびた願いが込められている。
「くんのーらぬぶなれーま」(同新川)
「♪古見(地名)の浦の ヨイサ ブナレーマ(女名) ヨイサ イラヨイユバナヲル」と歌い出す。次のような歌意である。美与底(ミユシク、古見の異称)の乙女、初夏になったら怜悧(賢い)者が生まれ、貢布の主になり、浜晒しで晒しなさり、浜晒しの美しさは、自分の貢物を取り持つ。短いので意味がつかみにくい。
同じ内容の曲でも、石垣島平得の「古見の浦のぶなれーま」では囃子は「ユバナウレ」ではなく、「ヤリクヌショーシーヌ」が使われている。
「崎山ゆんた」(石垣島石垣)
「♪崎山の新村を建てたのは サーヨイサ シュラヨイヌ ハリユバナウル」と歌い出す。次のような歌意である。崎山の新村を何故に建てたのか、波照間島の下八重山の内から男子六名、女子八名が分けられ、誰の上と思っていたら、私の上になってしまった。許して下さい。許すことはできない、と泣く泣く分けられ、立った。ニクイ頂(地名)に登り、生まれ島を見上げ、生みの親の真顔を見ようとすると、目に涙が出て見えない。
途中から歌詞の流れも、曲調も変わる。崎山の新村がましだ、港に魚が寄ってくる、乙女に網を紡がせ、網を打たせよう、という内容である。前半とは真逆の歌詞になっている。後半では、「ユバナウル」の囃子も消えている。
この曲には、波照間島の村を分けて、住民を分けて石表島の崎山に開拓のため強制移住させた「島分け」の犠牲になった庶民の嘆きと抗議の叫びが込められている。「世ば直れ」という囃子がピッタリと合う哀歌である。でもそれが、後半は移住して住んで良かったというから、不自然極まる。とってつけたような歌詞に変わっている。
「東(アガル)かーら」(石垣島川平)
「♪東から来る船は 我が世の船 ウヤキ世バナウレ」と歌い出す。歌は次のような趣旨だ。東から来る船は、方壁には粟俵、方壁には米俵を積んで来る、粟では粟酒を、米では米神酒を造り、親戚をお招きして祝いをする。ここでは、囃子は、「豊かな世を」と願う意味で使われている。
「やまばれーぬしぃくぬやーゆんた」(同川平)
「♪山原村の底の家のムスビャーマ(女名) ヤラトウバ ハエハリヨウ ユバナウレ」と歌い出す。次のような歌意である。今夜は遊ぼう、底の家に遊ぼう。遊ばない、わが親は計算細かいので。走廻蟹(パルマーカニ)さえ浜を下りて遊んでいる、我等もみな遊びましょう。女性に遊ぼうと誘うけれど、なかなか応じない。そんな様子が歌われている。ここでは、囃子はあまり意味のある使われ方ではないようだ。
「安里屋節」(石垣島)
「♪安里屋のクヤマは とても美しく生まれた ウヤキヨーヌユバナウレ」と歌い出す。美人のクヤマさんは、目差主(メサシシュ、助役)、与人(ユンチュ、村長)から賄女になるよう望まれたが、役人は嫌です、島の男を夫に持った方が後のためになるはずだよと歌う。一~四番までは「ユバナウレ」が囃子として繰り返されるが、「島の夫を持つ」という五番になると、囃子は「ヘイヨーシュラヨー」と変わる。クヤマさんが、赴任した役人より島の男を選んだので、もはや「世ば直れ」という必要性がなくなったのだろうか。このあたりがなかなか興味深い。囃子がたんに歌謡の効果を上げるためだけではなく、しっかり意味付けがあることがうかがわれる。
ただし、前に「愛と哀しみの島唄」で紹介したが、離島に赴任する役人の賄女になれば、いろいろと特典があったので、望んでなる人もいた。竹富島のクヤマさんも実際にはそうだったという。だから抵抗するクヤマ像は、権威をふりかざす役人への民衆の反感がつくりだしたのかもしれない。
「しぃむきどう」(石垣島登野城=トノシロ)
「♪下側の 南側の ハイヤーサー 美人 ハーイヨー ハイヤーヨー ヨーバーナーウリー」と歌い出す。美人は幼い時から親を知らない夫を持ち、言葉を言うたびに夫はいないという、自分の衣装を取り立て、中の道を走り下り、見上げると思っている愛しい人が来る、ここに立ってはならない、私の家に下りて語ろう。こんな筋の歌詞だがいま一つ、意味あいがつかめない。なにか哀しい女性の物語が秘められているようだ。
「しぃむばれーゆんた」(石垣島平得)
この曲も、五歳の時に親に捨てられ、叔父、叔母を頼ったけれど下男、下僕とされ、かぶる笠は縁がない、着物は袖がない、父がいれば縁のある笠をかぶり、母がいれば袖のある着物を着ただろうに、と歌う。「ハーリヌ世バナホリ」と囃子が入る。「まへらちぃゆんた」と似た歌詞である。不幸な女性への同情と幸せになってほしいという願望が、この囃子に込められているのだろう。
「くんやちぢゆんた」(石垣島宮良)
「♪古見岳の頂上 片一方の場所に ハリユウバナウレ」と歌い出す。次のような歌意である。九年母木(クニブ木、ミカン)を植え、あさぎ家の中に、美しい畳を敷き、絹幕を吊り、どの親(お役人様)をお招きする、わたし女頭(ブナズ、役職名)乙女のお伴をする、寝床までも。役人が村の女性に寝床までお伴をさせていた様子がうかがえる。理不尽なことは直してほしいという思いが込められえいるのだろうか。
「名佐真屋<ゆんた>」(竹富島)
「♪なさま屋の御門に 茉莉花を 咲かしなさり ヨーバナーブーレー」と歌い出す。この曲は、なさま屋の門の茉莉花の花折にかこつけて、愛しい人を見て来よう、という内容である。哀しみや苦しみはない。恋歌である。「ヨバナウレ」の囃子は好きな人と結ばれるように、という願いが込められているのだろうか。
「んだろまゆんた」(竹富島)
「♪チンダラヨー ンダロマ(女名)の ヨホー 乙女の生まれは ヨーバナブーレ」と歌い出す。次のような歌意である。幼い時から美しい生まれをして、女郎をするとは思わなかった、私を笑ったからといって私の体をもってくれるものか、笑う者の目に日傘をさしてみせよう。不幸な生まれをし、女郎に落ちた女性を歌っている。
ただ悲運を哀しむだけではなく、女性をあざ笑う者に対して、笑う者の目に日傘、耳に皮草履をはかせる、と厳しく立ち向かう。遊女を歌う民謡は、哀しい運命を嘆く曲が多い。こんなに開き直って生きる女性の姿を描いた歌は他に知らない。囃子は、薄幸の女性が幸せになってほしいという願いが込められているではないか。
「正月ゆんた<綱引き歌>」(黒島)
「♪今日の日を元にして 黄金の日を元にして ウーヤキ ユバナウレ ソリユバナウレ」と歌い出す。黄金の日を元にして黒島の男たちは心を一つにもち、今年の世を祈願しよう、豊作になったらみんなの名前を鳴り響かせよう、その果報を願おう、という歌意である。この曲では、囃子は豊年の祈願の意味で使われている。
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