大漁唄がない沖縄の不思議、コメント
東京在住 Kさんから、次のような意見が寄せられたので、要旨を紹介します。
いつもながら新しい問題意識をもってチャレンジする心意気に敬服します。微小な経験から討論に参加します。
知人Oさんの恩名村にいる両親のお宅に泊めてもらったとき、Oさんのおじさんが漁師だというので食事をしながらひとしきり漁の様子を聞きました。興味深い話でした。
おじさんの漁の仕方は浦島太郎のような個人的なもので、月の出ている夜中にひとりで海岸に出かけ、先祖伝来の秘密の磯で釣りをしたり、漁具を仕掛けたりするというものでした。翌日、とれたさかなを近所に売って歩くという素朴なものです。沖縄では、日常、食料としての魚には名称はなく、すべて「さかな」だそうですね。いちいち名づけていては面倒なほど多彩なのでしょう。
Oさんのおじさんのような漁の仕方が昔からかなりあるのだとすれば、そもそも「大漁」という事態はおこらないし、必要もなかったでしょう。たくさんとれば運ぶこと、売り切ることが難しくなります。その日ぐらしをするうえでは、わずかな漁獲量で十分なのだと思います。
Oさんの子どもは恩名村の浜辺にちょっと出かけるだけで、モズクを拾ったり、小さなタコを捕まえたりします。その日は家族みんなでそれをおかずにするのです。
つまり沖縄では、ほとんどの人にとって海は身近で、収獲は日常的なのです。
そこからは「大漁」という発想は出にくいのではないかと思います。
もうひとつ考慮する必要があるのは気象条件で、沖縄は年中、暑い日が多く雪は降りません。これは冷凍保存が昔から不可能だったということです。
私のふるさとは京都・伏見です。伏見の山里、醍醐では昔から雪を穴倉に保存して、アイスクリームのような食品をつくり宮中に納めていたそうで、たいへんおいしく「醍醐味」の由来はここにあるとのことです。雪で川魚を冷凍保存することもあったことでしょう。
沖縄でも日干しや、くん製にする保存法はあったでしょうが、生のさかながいつでも食べられるのに、わざわざまずい干物に人気はなかったのではないでしょうか。個人的な好みですが、私は、干物は敬遠ですし、伊豆七島のクサヤに至ってはノーサンキューです。
保存、運搬、交換をしやすく、租税として搾取するうえでも便利なのは、穀物などの農産物です。農業普及の理由がここにあり、漁業といえるほどのものは限られていた理由も上記のようなことがあるのではないかと私は思います。
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