「遊びションガネー」の元歌
首里のアルテで、宮古民謡の名手Tさんを中心として歌三線好きが集まった。民謡専門の人もいれば、ギターと三線の両方を弾ける人もいる。ウクレレ、マンドリンも登場。マンドリンで早弾きの「唐船ドーイ」も奏でた。それぞれ、味わいがあり、楽しいひと時だった。
私は、「遊びションガネー」を歌ってみた。恋歌であり、上手く歌うのは難しいが、好きな歌の一つである。和訳で紹介する。
「♪愛しい人の面影が立たなければ 忘れられる時もあるだろうに 」
「♪気楽に遊んだ人の面影は あまり思い出すことはないけれど 愛しい貴方の面影は朝に夕に浮かぶ」
「サーサースーリ ションガネー」の囃子が入る。
カメラを忘れたので、写真がない。今夜の半月の写真である。
集まったみんなが、それぞれ好きな曲を歌った。そのなかで、八重山民謡唄者のsonoさんが「遊びションガネー」の元歌である、パナリ島(新城島)の「前ぬ渡節」を歌ってくれた。
この曲の歌詞を「沖縄音楽大全データベース」から和訳で紹介する。
「♪離(新城島)の前の渡(海) 波照間島の北の渡 スーリ ションガネ スーリ ショウライ」
「♪糸を延えて(その上から) ご招待する 布を延えて(その上から) お供する 囃子」
元歌だけに旋律は似ている。でも、微妙に違う。元歌は「遊びションガネー」と比べて、少しコブシを回すような表現がある。でも替え歌の方では、削がれてもう少しシンプルになった感じだ。sonoさんのきれいな声と歌のうまさと相まって、元歌の方がとても味わいがある。
歌詞はまるっきり違う。「遊びションガネー」のような恋歌とは何の関係もない。新城島の王府時代の日常の暮らしの中から生れた曲だ。
ある人の解説だと、新城島では米が作れないので、西表島に渡って米作り行っていた。その安全と役人の離島航海の安全を歌ったものだとのこと。ただ、ここで紹介した歌詞は、西表島ではなく、波照間島になっている。昔は、波照間島からも西表島に米作りに出かけていた。同じ歌で歌詞がいろいろあるのだろうか? その関係はまだよくわからない。
八重山民謡は、本島で編曲し、歌詞を変えて、別の歌にした曲が20曲以上あるそうだ。ただ、編曲してよくなてっているのもあるかもしれないが、概して元歌の方に味わいがある。
その典型が子守唄である。「あがろーざ節」は、本島では「子守節(クムイブシ)」となっているが、「あがろーざ節」は、歌うととっても味わいがあり、私も好きな名曲である。「子守節」になると、似て非なる曲となる。あまり歌う気持ちがわかない。不思議だ。
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コメント
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「前の渡り節」のタイトルは、歌詞と対応していますが、恋歌の方は、歌詞とタイトルの「遊びションカネー」の対応がよくわかりません。なぜあの歌詞で、「遊び」という表現を使うのでしょうか?
新城島は今は無人ですか?あの島も人頭税で苦しめられた歴史がありますよね。
投稿: いくぼー | 2012年5月 1日 (火) 08時19分
遊び、とは「歌、三線、踊りなど楽しむ」ことをいうので、そういう意味で使われているんじゃないですか。歌詞との対応はよく分からないですね。「ションガネー」は、「しょうがない」から来ているそうですが、沖縄民謡では「与那国ションガネー」など哀しみなど表現する情け唄に使われます。
新城島は無人ではないでしょう。2009年に13人住んでいました。昔は、人頭税でジュゴンを納めたことで知られてますね。
投稿: レキオアキアキ | 2012年5月 1日 (火) 08時31分