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2012年4月18日 (水)

琉球村を探訪、その1

 私が通っている三線サークルで、4月恒例の遠足というかピクニックがあった。行き先は琉球村。県内各地から、古民家が移築されている。国・登録有形文化財になっている。

001  初めて行った。国道58号線から旧国道に入る。恩納村山田にある。うっそうとした森が続き、その昔、フェーレー(盗賊)が出没したのもうなづける。「フェーレーはいつまでたんだろうね」とHさんに聞くと「明治までいただろうね」とのこと。

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 入り口すぐに旧仲宗根家がある。築約200年。読谷村の座喜味(ザキミ)から移築した。
 屋根のシーサーがとっても面白い恰好だった。

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旧島袋家。名護市羽地より移 築した。築約120年。

004  大きなカメがいくつもある。おばあたちは懐かしそうにみる。「これで天水を貯めたよ」というのは宮古島出身のおばあ。もう90歳近い。「この前も愛媛行ってきたよ」とまだ元気、元気。「うちでは水汲んできてこれに貯めてたよ」と元バスガイドのHさん。今帰仁村出身だ。
 生活には欠かせないカメだった。話が少し異なるのは、水事情が多少違うのだろ。

 豪農の家だった、旧島袋家では、三線の体験をさせていた。なぜか、教えるのはチョンダラー(京太郎)、エイサーでは道化役である。013  旧西石垣家は石垣市から移築した。築約80年。まだ新しい方だ。機織り体験や漆喰シーサーの絵付けもさせている。

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 旧比嘉家。南城市玉城百名から移築した。築約129年。女性が琉舞の練習をしていた。 

017  カメがあるのは、泡盛の古酒をつくるさい、古い泡盛に少し新しい泡盛を入れて「仕注ぎ」をする。そのやり方を説明していた。そこでなぜ、踊りの練習なの? 見せるためではない。

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 旧大城家。那覇市首里から移築。王府の重臣、与那覇親方(ウェーカタ)の邸宅。築約200年。ここでは、お茶を飲ませていた。でも入り口でおじさんが変わった三線を弾いていた。

023  三線の胴は一つで、棹が二本ある。それに下の棹は6本の弦を張れる6弦。上の棹は通常の3弦だ。「下の棹は本調子、上の棹は2揚と調弦を変えて使い分けているのですか?」と質問した。答えは違う。「下はね、早弾き、上は情け歌をする。聞いてみてごらん。合っているだろう」とさっそく、下の棹で早弾きを弾き鳴らし、上で「涙そうそう」をつま弾いた。

 なるほど。サークルのメンバーはみんな三線をやっているから、興味しんしん。応えるのも嬉しそうに話す三線おじさんだった。

022  旧大城家を支える柱は、曲がった木を生かしている。長いくなるので、このあとは、次にしましょうね。

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コメント

琉球村は20代に行ったことがありますが、その当時は古民家はなかったんじゃないかなあ。せっかく文化財の古民家を移築してあるんだから、ガイドさんがそれぞれいればいいのにねえ。その家ごとの子孫もいるんじゃないですか?そういう人の話も聞きたいです。沖縄の古民家は1番座、2番座、裏座、台所、フールとだいたい決まってるから、問題はそこでどのような人が暮らし、どのように生活していたかが分かった方がより理解が深まるんじゃないでしょうか。
 2棹ある三線、めずらしいですね。早弾用と情け唄とを弾き分けるというのは、どうして2棹あると便利なんですかね~。
 わざわざお金出して見に行くところじゃないですかあ?

 古民家が移築されたのは、1981年から1984年で、古民家があるから琉球村が成り立っているでしょう。20代だとまだ古民家にあまり関心がないから記憶に残らなかったでしょう。
 古民家の間取りなどの説明は見えなかったですね。各家でなにか催しをしているので、家より催しに目が行きますね。
 棹が2本ある三線は、東京とか高い旅費を使って演奏にいくので、これ一本ですぐ弾き分けられて便利だとか。でもケースに入れるのに苦労するそうです。だから弦を巻くクイは規格外の短いものを使っていました。

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