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2012年4月 5日 (木)

読谷村役場に建つ憲法9条の碑

 読谷村役場に初めて行った。「さとうきび畑」の歌碑の場所を聞くためであった。道筋を聞いて玄関を出ると、奇妙な石碑があり、目にとまった。

008  碑の中ほどに碑文が記されている。日本国憲法第9条「戦争の放棄」の条文全文だった。

007  戦争と武力は「国際紛争を解決する手段として永久にこれを放棄する」「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」と高らかにうたっている。

 同村は、1908年(明治41年)に読谷山(ユンタンジャ)間切(マギリ、現在の町村にあたる)から読谷山村となって以来、2008年で村政100周年を迎えた。

 この100年は、琉球王国から大和への世替りや2度の世界大戦、27年間の米軍統治時代を経て日本復帰への激動の時代だった。

 009  村政100周年を記念した「飛鳳」という碑が隣に建立されている。読谷村の歩みが刻まれている。年表もある。
 1943年、旧日本軍により北飛行場が建設された。
 1945年、米軍の上陸地点となった。
 1946年、村名を読谷山村から読谷村に改称した。

 日本軍が飛行場を建設したため、米軍から進攻と占領の目標になっただろう。4月1日、上陸すると読谷村一帯はたちまち、占領された。チビチリガマの悲劇に見たように、住民は多大な犠牲をこうむった。読谷村民の平和への願いは痛切である。憲法9条の碑は、村民の願いを反映したものだろう。

 2006年、読谷補助飛行場は米軍から返還になった。だが、トリイステーション(トリイ通信施設)があり、ここには悪名高いグリーンベレー(米陸軍特殊作戦部隊)が配備されており、村民は部隊の配備に反対してきた。平和を大切にする村に、トリイステーションもグリーンベレーもいらない。

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コメント

ずっと昔 読谷村舞台の原稿を出版関係の知人から頼まれ
ワープロ打ちのお手伝いした時 戦争の悲劇や 日本の国旗
の云々などが題材になっている原稿だったので
写真の碑を見て あの時の原稿の 部分的に強い印象が理解できるような
気がしました。

はやり 是非 紅芋タルトに誘われ 読谷村に行かねば。

ワカリンママさん。重ねてのコメントありがとうございます。
ワープロ打ちした原稿を読んでみたい気がしますね。昔、手伝った原稿が記憶にあるのは、よほど強いインパクトのある内容だったのでしょう。
 読谷村といえば、「やちむんの里」(焼物の里)でもあり、登り窯があって、たくさんの窯元があります。世界遺産の座喜味城跡もあり、見どころもいろいろですよ。行ける日がくるといいですね。

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