沖縄ジョン万次郎会の定期総会に初出席
沖縄ジョン万次郎会の定期総会が開かれて、初めて出席した。事業報告と計画、決算報告と予算案まで、しっかりと報告、提案された。報告の中に、私たち夫婦が新年会に高知県出身のゲストとして招待されたことも記されていた。
これからの行事予定では、万次郎会が後援する「今こそジョン万次郎の勇気と努力に学びましょう」の講演会(6月9日)や久高島探訪の研修(7月)、シンポジウム(8月)、文化講演会(9月)の開催、土佐清水市ジョン万祭(10月)、万次郎忌の集い(東京、11月)への参加も予定されている。 結成20年を超え、ますます旺盛な活動を進めている様子がうかがえる。
総会の後は、ジョン万次郎研究家の神谷良昌氏が「ジョン万次郎と牧志朝忠とベッテルハイムの遭遇」と題して講演した。プロジェクターを使い、新しく見つかった史料、エピソードを盛り込みながら、とても分かりやすく興味深い講演で、参加者を魅了した。
写真は、万次郎が琉球で半年間滞在した高安家。家の前に建つ衝立のようなものは、沖縄の家には必ずあったヒンプン。万次郎は、外に出る時はこのヒンプンを飛び越えて行ったそうだ。
6月ウマチー(祭り)の大綱曳きには、万次郎も参加した。神谷氏の原案、儀間比呂志さんの絵による絵本から。
神谷さんによると、万次郎が琉球に上陸したさい、聴取にあたったのが当時、王府で異国通事と外務次官のような役職にあった牧志朝忠だった。朝忠は、万次郎からアメリカの政治制度、一般の国民から大統領が選挙で選ばれ、任期は4年、大統領をおりれば一般の国民に戻ることなど詳しく聞いた。万次郎が上陸したさい、アドベンチャー号に積んでいた数冊の本の中で、初代大統領のジョージワシントンについて書かれたものを、朝忠はとても読みたかったので、夜通し本を筆写して、まだ終わらないので借りて読んだという。
その後、ペリーが琉球に来た際、通訳にあたった朝忠は、ペリーの部下が琉球に不当なことを要求したが、朝忠は、ジョージワシントンを生んだ国でこんな不当なことを押しつけていいのか、とただした。米側は、琉球のような小さな島で、ジョージ・ワシントンのことを詳しく知っているのに驚いて、ペリーに報告し、要求を取り下げた。
万次郎が朝忠にもこんな大きな影響を与えていたことなども、神谷氏は話した。
ベッテルハイムとは当時、イギリスから琉球に来ていた宣教師で、薩摩藩と王府は、万次郎がベッテルハイムと接触するのを恐れて、那覇市に連れて行こうとした万次郎を、隣りの豊見城市で一番遠い翁長に戻して留置いたという。
また、坂本竜馬がつくった亀山社中は日本で初めての株式会社だけれど、これは万次郎が伝えたアメリカの政治や社会の仕組みなどの情報を知って、竜馬がつくったものだったと話していた。
会には糸満市からも5人参加した。というのは、万次郎が上陸した糸満市の大度海岸に、万次郎がこの地に上陸したことを示す記念碑を建立する計画がある。出席者の一人は、高知市の出身で大度海岸近くの米須に住んでいるとのこと。新たな高知出身者が現れ、挨拶を交わした。
講演の後は、懇親会。ちょうど私の隣に座った男性は、兵庫県から豊見城市に移住してきたばかりで、万次郎会のことを知って初めて参加したという。万次郎ファンが増えていることは嬉しい。
懇親会では、カラオケも置かれて、大城光盛会長を始め自慢ののどを披露した。
私も余興を予想して三線を持参した。ツレと二人で「二見情話」を歌った。一節ごとに拍手をいただき、ありがたかった。ヤマトンチュなのに歌三線で民謡を歌ったので、ビックリという感じ。「上手でしたよ」「二見情話はいい曲ですよね」「私もいま練習しているところですよ」と何人も声をかけてくれた。2人とも舞台に上がったので、写真が撮れない。
追伸
後日、高知出身のWさんが、私たちが三線で歌っている写真を撮っていたといって送ってくれました。ありがたいことです。さっそくアップしておきたい。
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コメント
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いやはや、万次郎愛がこれほど深いとは~!わずか5カ月の琉球滞在だった万次郎がこれほど愛され、研究され、地元豊見城では「万次郎まんじゅう」の開発商品化の推進、市の歌の歌詞に万次郎のことを明記する、豊見城まつりで万次郎のことを広めるなど、行政ごと「万次郎愛」にあふれてるのには驚きましたね~。
すぐにウチナーグチを覚え、使い、島人に溶け込み、綱曳きにまで参加した万次郎は、ものすごい広い心の持ち主で、かつ柔軟な人だったんですね。
琉球上陸も4年前から計画し、上陸のさいも潮の満ち引きを計算して舟を漕いだとは。
懇親会でも出た、NHK大河ドラマでぜひ万次郎物語をやってほしいです。
(高知の人は長宗我部の方が喜ぶか)
私たちの「二見情話」は予想外の受けで、びっくりでしたね~。
投稿: いくぼー | 2012年5月28日 (月) 15時34分
本当に万次郎愛は、出身地の高知以上かもしれない。高知は竜馬ばかり有名だから。万次郎会は、土佐清水市にも東京の万次郎忌の集いにも参加する予定で、エネルギースゴイですね。豊見城市の青少年の育成や町おこしにも役立つなら、万次郎も草葉の陰で喜んでいるでしょう。
万次郎は当時の鎖国日本では捕まれば打ち首だから、それを避けて帰国するため、情報をよく集め周到に計画したのはさすが。万次郎にとって、琉球に上陸し、翁長で温かく接してもらったことは、とても嬉しかったでしょう。
NHK大河ドラマには、うってつけの素材だと思います。
投稿: レキオアキアキ | 2012年5月28日 (月) 15時46分
二見情話まっことうまいぜよ!三線もこじゃんとうまい!
メ-ルアドレスは名刺に書いています。ネットで見ていたらまさか講演会の事がビックリしました。まさかと........今後ともよろしく願います。近々逢いたいですねゆっくりと話もしたいし。
連絡願います。携帯090-2143-6306です。
投稿: 糸満市米須257番地の和田達雄 | 2012年5月29日 (火) 23時09分
和田さん。コメントありがとうございました。知り合いになれてよかったです。
歌三線は人前に出ると、緊張してミス続出ですが、なんとか恰好をつけることができました。高知で知人が「高知ファンクラブ」というサイトをやっているので、そちらにも「沖縄通信」として提供してあります。
このブログに、「沖縄で愛される中浜万次郎」という拙文をアップしてあります。よかったらまた、覗いてみて下さい。糸満方面にはよく行きます。ぜひこんどゆっくりお会いしたいですね。
投稿: レキオアキアキ | 2012年5月29日 (火) 23時45分