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2012年5月22日 (火)

「万国津梁の鐘」銘文の謎

 琉球王府の第一尚氏の6代目国王、尚泰久が造らせたという「万国津梁の鐘」は銘文が有名だ。「琉球国は南海の勝地にして、三韓の秀を鍾め、大明を以て輔車となし、日域を以て唇歯となす」、琉球はその中間にあって「舟楫を以て万国の津梁となし」と記されている。

044  琉球が中国、朝鮮、日本の中間にあって、舟をあやつり、東アジアの国々と交易を繰り広げ、「万国の津梁(架け橋)」となって栄えていたことを誇り高く記している。「輔車(ホシャ)」は頬骨と下あごのこと、「唇歯(シンシ)」はくちびると歯のこと、いずれも切っても切れない密接な関係を表す言葉だ。

 ただその銘文の書き出しで、まず「三韓の秀を鍾め」と記し、朝鮮の優れた文化、知識を取り入れたことをあげているのはなぜだろう。琉球が交易していた外国といえば、なにより宗主国とあおぐ中国をあげるのが常識的ではないか。中国皇帝から国王として任命を受ける冊封体制にあり、文化、学問、技術も中国の影響が大きかったからだ。
 次には、日本の影響も大きい。それがなぜ、朝鮮が第一にくるのかが謎というか不思議だった。はじめて銘文を読んだ時から、この記述に引っかかっていた。まあ勉強が足りないだけだったかもしれない。

044_2       写真は「琉球村」に飾られていた「万国津梁の鐘」の銘文

 『朝鮮と琉球ー歴史の深淵を探る』と読んでいると、この疑問に応える記述があった。

 本書は、この銘文の注目点として①中国、日本より先に朝鮮を上げていること②中国、日本については、輔車と唇歯の関係をなすとして、政治・軍事的側面を強調したのに対し、朝鮮は文化的な面で強い影響を与えた様子がうかがえる、としている。

 「ここでいう秀でた文化とは、大蔵経をはじめとする仏教文化をさす」とのこと。
 (大蔵経とは、漢文に訳された仏教聖典を総称するそうである)
 琉球を統一した第一尚氏王統から第二尚氏の尚真王時代まで、統一王国の宗教的な支柱として仏教を招来し、多くの寺刹を建立した。「このような王立の寺刹に高麗大蔵経を奉安することは、国王の権威を高めることにも繋がっていた。当時、高麗大蔵経はその質の高さと膨大さにおいて、最も秀逸した仏教聖典として高い評価を受けていた」という。
 021  15世紀にはいると、その大蔵経の入手が通交の主目的となっていき、大蔵経だけでなく、「その他の仏教書籍・仏具・梵鐘などの朝鮮の仏教文化が琉球に伝わっている」という。これらは、新興仏教国である琉球における宗教の発展に少なからぬ影響を及ぼしたであろうと記している。

 これを読み、銘文が冒頭で、ます「三韓の秀を鍾め」と記していた謎が、分かった気がする。朝鮮と琉球の関係は、まだまだ謎の部分が多いけれど、とりあえずは納得した。

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