「汗水節」に込められた思い
働くことの大切さを歌った民謡の名曲に「汗水節」(アシミジブシ)がある。歌碑を訪ねたことをすでにブログにアップしてある。八重瀬町具志頭(グシチャン)出身の仲本稔さんが1928年(昭和3)に沖縄県学務部が行った「貯蓄奨励民謡募集」に応募して入選した。「勤倹力行の奨」という題で、1,2等はなく3等入選だった。
仲本さんは、字仲座青年団団長をしていたが、応募したときはまだ24歳の若さだった。翌1929年に作曲家の宮良長包さんが「汗水節」と改題して作曲して、県民に広く歌われるようになった。 歌詞は、貯蓄の奨励というだけでなく、働くことの大切さ、喜び、教育によって人間を育て、働くことによって世間の人々に尽くし、自分も高めていくなど気高く歌っている。青年の作品とは思えない内容を持つ教訓歌である。
その中で少し分かりにくいカ所がある。一番では「♪汗水ゆ流ち 働ちゅる人の 心嬉しさや 與所(ユシュ)の知ゆみ」と歌う。歌意は「汗を流して働く人の心嬉しいことよ その喜びは他所の人にはわかないだろう」ということ。
この「與所の知ゆみ」は何を意味するのか、不思議だった。汗水節記念碑建立期成会発行の『沖縄の風土に生きる汗水節』を読むと興味深い記述があった。
仲本稔さんに会って話を聞いた宮城鷹夫さん(沖縄タイムス代表取締役専務・主筆)は、次のように解説している。
「昭和初期の沖縄は汗水を流して働くことを生きがいとする風潮が強かった」「ひたいに汗を流して働く喜びが、他人にわかるはずもない。まして他県出身の支配者や成り金の寄留商人などにたいしては『よその知ゆみ』であった」。 「汗水節」の歌碑
同書で「汗水節の時代の背景」を書いた拝根光正さん(記念誌編集委員)は、宮城さんの記述を引用しながら次のように解説する。
「この歌は一節一句の直訳的な意味のほかに、支配者に対する抵抗の感情が含まれている」「これは私達の先輩が学問なきが故に、資力のなきがため政治、経済、教育の実権が他所者に支配された忍従の歴史に対する反発である」
「汗水を流して働き、勤倹貯蓄を奨励して資力を築き、手墨学問を広めて知識をみがき、他所者の支配者を実力で沖縄社会から追放しようという抵抗の意味が含まれていると思う」。このように理解するとき、この歌の意義はもっと深く広く汲めど尽きぬ味わいがあると記している。抵抗の感情が含まれていることは、これを読みはじめて知った。
もう一つ分かりにくいのは、2番の歌詞だ。「♪一日に五十(グンジュウ) 百日の五貫 守てそこねるな 昔言葉」。いま使われている工工四(楽譜)では、「五十」は「1厘」と直しているが、読み方は「グンジュウ」のままだから、最初は戸惑った。
上原直彦さん(琉球放送ラジオ制作専門職部長)が、同書で昔の通貨の対比を載せてくれている。それはかつての琉球通貨と円との対比である。
つまり、この「五十」や「五貫」は琉球通貨のことようだ。廃藩置県(明治一二年)後の円との対比では、「五十は一厘」「」五貫は十銭」となるそうだ。ただ、「守てそこねるな」という歌詞は、いま歌われている歌詞とかなれ違う。違いについては、長くなるので別途書こうね。
仲本さんの写真は、記念誌から拝借した。執筆者の肩書は、出版当時のものである。
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