50年前の歌謡界にタイムスリップ
那覇市内のカラオケ店に三線愛好の仲間4人で行った。近く祭りで演奏するので、練習のためである。店は、民謡歌手が経営している。もう何回か来ている店だが、今回案内された部屋は、なんと「スタジオ」と表示されていた。中は広く、小さなステージもあり、ライブもできる。
壁を見て驚いた。歌謡曲や演歌の歌手のポスターがずらりと張られている。いずれもこの一年ぐらいに沖縄に歌いにやってきた人たちだ。驚くのは、戦後の1950年代から60年代初めまでに活躍した歌手ばかりだ。
「えっ! この人はまだ歌っているの?」。中には「ええっ!! まだ生きていたの?」と思う人さえいる。もうとっくにテレビなど表舞台から消えていて、引退したのでは、と思う人も少なくない。
松島アキラは、7月で68歳になる。1961年「湖愁」でデビューしたとき17歳。62年にはNHK紅白歌合戦に出ていた。まだ歌っている噂も聞いいたことがなかった。でも現役だ。
久保浩は、65歳。64年に「霧の中の少女」でデビュー。彼は2010年NHKの「第42回思い出のメロディー」に出た。
大津美子は74歳。55年デビューし、「ここに幸あれ」が大ヒットした。沖縄に何回か来て、ラジオにも出ていた。テレビにも出演し、のびやかな声はいまだ健在である。
浦添市の「ヤフソオリオン」は懐かしの歌謡ライブをよくやる。ポスターが張られていた
佐々木新一は、65歳。65年デビュー。「あの娘たずねて」がヒットした。彼も、昔の甲高い声は変わらない。
宮地オサムは65歳。殿さまキングスのボーカルで「なみだの操」がヒットした。この曲がヒットしたのは67年だからまだ新しい方だ。
ここまでは、まだ青春時代によく聞いた歌だ。驚くのはもっと古い世代の歌手たち。
白根一男は75歳。53年に高校生でデビューし57年には紅白歌合戦に出ている。61年「はたちの詩集」がヒットした。50年代の歌手のイメージだ。なじみも薄かった。
しかし、現在も新曲を発売して活動しているとか。ユーチューブで見ると、まだ年寄りじみていなくて、60代の感じ。声も昔とあまり変わりなく出ている。
青木光一はまだ一回り年上だ。1950年デビューの86歳。57年の「柿の木坂の家」がヒットし、紅白にも3回出場している。つい最近、6月5日、NHK歌謡コンサートにも出ていて見たところだ。こうなるともう怪物だ。
これらの歌手のポスターがずらりと並んでいるのだ。もう50年前にタイムスリップしたかのような錯覚にとらわれた。
70代、80代でもよく歌えるなあ、と感心する。歌っていないと声も出なくなる。歌い続けていれば、声は出るものだ。加山雄三なんかも、75歳で同じ世代になる。
あと沖縄に来ている歌手では、三船和子がいる。65年デビューで64歳になる。「他人船」がヒットしたが、デビュー作はなんと反戦歌の「ベトナムの赤い月」。ユーチューブで初めて見た。「ベトナム救う僧侶の悲願 いくさやめよと身を焼く祈り」と歌う。
こまどり姉妹は双子姉妹でもう74歳。1951年に北海道から上京し、父親に連れられて浅草で三味線を弾き流していたという。13歳ごろだ。「浅草姉妹」がヒットし、61年に紅白歌合戦にも出た。先日も、NHK歌謡コンサートに出た。いまだに現役とは驚く。
それにしても、沖縄にはこうした50年ほども昔に活躍した歌手たちがよく来る。沖縄は長寿県だから、また古い歌を愛する人たちも多いのだろう。
高齢でも歌っているといえば、もともと沖縄民謡界では、大御所として活躍しており、ごくフツーの光景である。金城実は、今年1月にライブを見たが、82歳と話していた。いつもコンビを組む山里ユキさんは73歳というので、二人で155歳になる。
登川誠仁は、79歳で今年80歳になる。民謡界では他にもたくさんいる。そう思えば、あまり驚くことではないかもしれない。
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