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2012年6月 6日 (水)

歴史がいまも生きている沖縄、その3

 歴史上の人物というわけではないが、八重山や宮古島では、離島や遠隔地に派遣された役人が、賄い女、現地妻(旅妻)を囲っていた。民謡には、現地妻との別れを悲しむ曲など現地妻にかかわる唄がかなれ多い。その現地妻が生み育てた子どもの子孫といわれる人々がいまもいる。
 その一人が、連合沖縄会長をつとめた狩俣吉正氏である。彼が郷里の宮古島の狩俣の歴史や民俗など記した著書『狩俣民俗誌』を読んでいると、みずからの出自について記していた。
 「私は狩俣で生まれ育った。琉球王国時代の役人が赴任先で囲った現地妻(旅妻)に生ませた息子が祖父・狩俣吉蔵である。若い頃から歴史、民俗、歌謡に興味を持ち、厳しいタブーの中で神歌を盗み聞きして覚え込んだ人である」「父・金吉は一二年間大城元(うぷぐふむとぅ)でアーグ(神歌担当職)をしていた。母・ヨシ子も一〇年ほど志立元(したでぃむとぅ)のウヤバー(世ぬ主)をしていたので、ウヤーン(秘祭)のことを知る環境は揃いすぎていた」。

005              文章とは関係ない、飾りの写真。花の名はわからない

 『狩俣民俗誌』では、狩俣に伝わる祖神歌、ニーリ、フサ、ピャーシ、タービについて、生まれ育った狩俣の方言で、読み解き、これまで「恐い歌」だと思い込んでいた神歌が、「どれも大変すばらしい内容の歌であることがわかった」という。私は、まるでド素人だが、従来の解釈とは相当異なることを指摘しており、狩俣出身者ならではの研究結果ではないだろうか。

 同じ現地妻を先祖にもつ人に、黒島出身の當山善堂氏がいる。當山氏が書いた「『賄女』に関する一考察」(『人頭税廃止百年記念誌 あさぱな』)で書かれた黒島の実例について、拙文「人頭税哀歌」でも紹介させてもらった。

 この「考察」では、黒島のトゥヌスク・カマトさんが十六歳の時、黒島に赴任してきた目差役人の賄女となった。役人は任期満了により妻子の待つ石垣島に帰り、カマトは二人の幼児を抱えて黒島に置き去りにされた。
 その後、カマトは連れ子を持つ身で島の百姓と結婚して五男二女をもうけた。人並みには幸せだったかもしれない。
 ところが生前、カマトは胸をえぐるような言葉を繰り返し話した。「決して綺麗な女の子を産むもんじゃないよー。女の子は綺麗になるもんじゃないよー」。これは美人に生まれると、すぐ役人に目をつけられることを恐れたからだ。「カマトの悲痛・無念の叫びが、心に響いてくるではないか」と當山氏は記している。

 このカマトさんは、実は當山氏の母方の曾祖母だという。しかもカマトを賄女にして、捨てて帰った役人と正妻との間の子どもの子、つまり孫にあたる人物が、なんと當山氏が人生の師匠と仰いでいる人だったという。歴史が生きている実例がここにもある。

004

 當山氏は、実は八重山古典民謡について、曲目ごとに詳しく解説した『精選八重山古典民謡集』を三冊に分けて出版している。八重山民謡について最良の手引きとなる本である。
 当初は、黒島の賄女についての「考察」を書いた人と八重山民謡解説本の著者が同一人物とは分からなかった。八重山民謡の本を読んでいるうちに、「おや? この名前はどこかで見た記憶があるぞ」と思って、調べてみると、同一人物であることが分かった。

 これらの人々は、それぞれの仕事や活動で頑張ってきた人たちだが、みずからの系譜に関心を持っている。同時に、それぞれ地域の歴史と伝統、民俗、文化に強い関心を持ち、先祖の残した伝統を受け継ぎ、伝えることなどに情熱を注いでいることで共通しているように思う。

 追記
 エイサー曲「久高マンジュ主」について書いたところ、久高マンジュ主の子孫にあたる久高さんから、この歌は「不愉快」「面白いといわないでほしい」とコメントをいただいた。伝説上の人物のように思っていた「久高マンジュ主」は、琉球王朝が栄えていた時代、国王を警護する役職につき、位階も上の位だったという。久高島に派遣され功績を上げたので国王から、それまで照屋姓だったけれど「久高姓に変えなさい」と言われて久高姓になった。立派な人だった。ただ酒と女遊びが激しくて、「久高マンジュ主」のように歌われたとのこと。

 歴史的な人物や出来事にかかわった人たちの子孫がいまもたくさんいることを改めて感じた。沖縄は狭い島国であり、人々のかかわりが濃密である。その子孫も、大和のように各地に散らばっていくのではなく、大半は島に暮らすという環境がある。それに士族はみんな家譜を作成していた。沖縄戦で焼けてなくなったのも多いが、なお多くの家譜が残され、男系の血縁組織である門中(ムンチュウ)も存在し、自分たちの祖先への関心も他府県以上に強い。これらも、沖縄で歴史が生きていることを感じさせる要因だろう。

 

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