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2012年6月 2日 (土)

歴史がいまも生きている沖縄、その2

 第二尚氏をひらいた金丸(後の尚円王)が、かつて伊是名島を追われて国頭に逃れてきたとき、金丸をかくまい救ったと伝えられる奥間の東の鍛冶屋(アガリカンジャー)のことを書いた。その東の鍛冶屋は母の実家の先祖にあたるという人がいる。名護市辺野古への新基地建設に反対してがんばっている大西照雄さんである。

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 そのお母さんは、13歳でノロ職(神女)に就いた。琉球王国は、聞得大君(キコエノオオキミ)を宗教的柱として、各地にノロを置いた。奥間ノロは、国頭でも最高のノロの位置にある。その最後のノロが母である、と大西さんは、ブログ「宝の海」に記している。

 尚円王といえば、伊是名島出身のシンガーソングライター、伊禮俊一は、その子孫だという。子孫だというなにか史料があるのだろうか、そのあたりはよくわからない。
 尚円王は、いまでは伊是名島の誇りであり、銅像も建立されている。でも、もともとは百姓だった金丸は、水田の水を盗んだと疑われ、島を出て本島に逃れたと伝えられる。 

 金丸に倒された第一尚氏の末裔と自称する方にも最近、お会いした。
沖縄ジョン万次郎会の定期総会で会ったSさんという女性は、沖縄にきて39年になる人だ。栃木県の出身だという。だが、意外にも「私のもともとの姓は尚なんです。それも第二尚氏ではなく、第一尚氏の子孫にあたるそうです」と語る。

076      第一尚氏の初代国王、尚思詔らを祀る「佐敷ようどれ」

 金丸が尚円王となったあと 第一尚氏の子孫が迫害を恐れて逃げたことは予想される。でも、栃木に子孫がいたとは、にわかには信じがたい。ただ、ご本人は、自分が沖縄に移り住んだこと自体に、強い縁を感じていた。琉球を統一した尚巴志は、もともと祖父は伊平屋島から本島の佐敷に移ってきたという。Sさんの娘さんが、伊平屋島に行っところ、どこからか「よく来てくれた」というような声が聞こえたともいう。第一尚氏の子孫を裏付ける史料はなさそうだ。

 ただ、クーデターで倒された第一尚氏最後の尚徳王の子どもは、3人が殺されたが、3男は乳母に抱かれて先祖の地、佐敷に落ちのびたとされる。後に屋比久(ヤビク)の地頭になり、屋比久大屋子と称したとのこと。しかも、その子孫は、王府から首里移住を許され、首里士族としての道を歩んだといわれる。ということは、廃藩置県の後、その子孫のなかから、上京して大学に学んだり、就職して、首都圏やなかには栃木県に住んだ人がいても不思議ではないかもしれない。

 まあこんな具合に、歴史上も重要な人物の子孫を名乗る人に、意外なところで出会うところが、沖縄ならではである。歴史がいまも生きていることを感じるのだ。

 

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