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2012年7月

2012年7月30日 (月)

夏祭り真っ盛り

 日曜日ごとに県内各地はどこも夏祭りの真っ最中だ。22日は恩納村まで出かけたが、29日はわが家の近くの団地の夏祭り。もう25回になる。
 ただ、8月5日は、米海兵隊のオスプレイ配備反対の県民大会なので、祭りどころではない。那覇市では、「一万人のエイサー踊り隊2012」が5日、国際通りを会場にして予定されていたが、県民大会に市民もこぞって参加しようと、12日に延期された。

001  団地まつりは、演舞する舞台の前は、テーブルとイスが敷地いっぱいに並べられ、ほとんどビアガーデン状態になる。

008 「ハイサイ!ハイタイ!ゆいまーる」が祭りのキャッチフレーズだ。
 子どもエイサーが勇壮に演じられた。

010 子どもたちははしゃぎまわる。出店はテキヤはいない。団地の人たちの手作りの料理など並ぶ。ビール200円、泡盛、チューハイ100円とアルコール類は超格安。

020 一番の注目は、子ども獅子舞。獅子舞といえば、どこでも獅子が大きな口を開けて子どもの頭にかぶりつくように追いかけてきて、泣きだす子がいる。でも、団地の獅子は、表情がユーモラスで、ピンクの獅子は可愛い。どうやら、男女カップルの獅子。子どもに駆け寄るのでなく、二頭がじゃれ合っている。デートしているようだ。こんな獅子舞は見たことがない。

025   歌三線による民謡や空手の演舞も、毎年恒例である。
 民謡を聞きながらビールを飲むとすすむ。
 とにかく、すぐ歩いて行ける距離にある団地なので、飲酒運転にもならない。気楽に楽しめるのが何よりだ。

 

2012年7月23日 (月)

「うんなまつり」で平和の歌を聞く

 夏休みに入り、夏祭りのシーズン。恩納村で22日に開かれた「第29回うんなまつり」に初めて出かけた。いつもライブを見ているフォーク歌手「ふーみ」が、バラエティー系の名称「ミスター☆ジョークマン」として出演するからだ。

002 

 まだ夕陽が暑い会場。人気のある「琉神マブヤーショー」があり、子どもはじめ家族連れでたくさんの人たちが集まっていた。

 おんなむらカラオケ愛好会の人たちが歌った。さすがに歌謡曲だけでなく、「ヒヤミカチ節」ほか民謡も歌った。なかでも、女性3人組が玉城安定さんの作品「平和の願い」を歌った。「沖縄という島はいったいいつまで戦世か、やすやすと暮らせる日はいつのことか」というような歌詞で歌い出す。

 おりしも、沖縄で全国でも強い反対の声が渦巻く中で、米海兵隊の垂直離発着輸送機МV22オスプレイが23日、岩国に陸揚げされた。10月には沖縄の普天間基地に配備するという。こんな無法なことがまかり通る現実を見ると、この歌に歌われた沖縄の現実は、いまなお変わっていないのか、と思わされる。

 035  お目当てのミスター☆ジョークマンは、10曲くらい披露した。PTA仲間という国吉サチコさんのバイオリン、その息子のベース、ジョークマン=ふーみの娘、息子のキーボードやパーカッション、ダンスを交えての楽しい演奏だった。

 そのなかで、かぐや姫の反戦歌「あの人の手紙」(伊勢正三作詞)、桑田圭祐作詞、作曲の「平和の琉歌」を歌った。「あの人の手紙」は、愛する人が戦場に出征し帰らぬ人となった悲劇を歌う。バイオリンの音色も加わり、とても胸を打つ歌だった。

 「平和の琉歌」は、歌のイントロが流れる前に、いきなり砲声がとどろく。そして歌に入っていった。彼は、地元の居酒屋で週末には観光客相手に歌っている。その中で、かならずこの曲を入れているようだ。

 地元の祭りなので、楽しく盛り上がる選曲が中心かな、と勝手に思っていた。でもその中でもしっかり平和の歌を歌う彼の思いが込められていた。 049

 祭りなのに、政治の話になってしまった。でも、祭りを楽しんでも、平和の歌が登場し、考えさせられるのが、沖縄である。
  もちろん祭りは、楽しさ最高。ここに書いたのは、私的関心からのその一片にすぎない。 

2012年7月18日 (水)

不思議なエイサー曲、久高マンジュ主節

 エイサーで、「仲順流れ節」と並んでよく演奏される曲に「久高マンジュ主節」がある。たいてい続けて演奏される。ただ、歌詞だけ見ても、意味するところがよくわからない。久高マンジュ主とは、なんなのか、それを知ることが必要だ。

 いろんな人が書いている。それによると、久高マンジュ主とは、饅頭のような顔をしたおっさんらしい。定かではない。いい歳をして、美しい妾を囲うなど、奇行の持ち主だった。このため、家計は窮乏してしまい、7月になっても仏壇もきれいにできないほど。久高家のご先祖様 迷わずに仏壇におのぼりください。こんな趣旨の歌である。

005        写真は、青年ふるさとエイサー祭りで

 歌詞は、そんな久高マンジュ主を、周りの者が皮肉を込めてはやし立てる内容になっている。そこには、お盆での父母や先祖への感謝のような文言はない。同じエイサー曲の代表的な存在だが、「仲順流れ節」とは異なるところである。

 「久高マンジュ主や 美(チュ)らユーベとめててぃんど よー玉黄金 今宵の話のヲゥームッ サ スリサーサ サースリエイスリサーサ」
 (久高マンジュ主は、美しい妾を探しているぞ さあ今宵の話は面白いぞ ハヤシ)

 「首里の仏壇小(グヮー)や ヨウくくりてぃうとぅいみそーり よー玉黄金 ハヤシ」
 (首里の仏壇は、よく心得ておのぼりください ハヤシ)

 「我ったが若さたいね 首里那覇もたっちきむっちき よー玉黄金 ハヤシ」
 (我らが若い頃は 首里・那覇でもいちゃいちゃしたもんだ ハヤシ)

 「此の殿内(ドゥンチ)の南蛮ガーメー 酒てぃらむんゆったいくわったい よー玉黄金 ハヤシ」
 (この屋敷の南蛮カメは、お酒がたっぷんたっぷんに入っているぞ ハヤシ)

 まだ歌詞はいろいろあるが、分かりにくいので省略する。

 「玉黄金」とは、自分の大切な人(恋人という説もあるが)に呼びかけるハヤシだという。

2012年7月15日 (日)

アルテで「汗水節」を歌う

 毎月恒例のアルテミュージックファクトリーの今月のテーマは「流」。すぐ頭に浮かんだのは、汗水流して働きく大切さと喜びを歌った「汗水節(アシミジブシ)」だった。

007 三線仲間のTさんが歌った。「物知り節」(別名浦波節)。なかなか難しい曲。民謡のコンクールでは最高賞の課題曲だとか。Tさんは、三線も上手いし、歌もとっても味わいがある。今月も歌ったけれどなぜか、4番まであるのに、2番までしか歌わない。終わってから尋ねてみた。「なぜ2番までしか歌わないんですか」「コンクールでは2番で終わりなんです。だから3,4番と覚えると、審査の時間違って、3番を歌うとまずいから、はじめから2番までしか覚えないようにしているんです」。そうか、私は自己流でコンクールに出たことがないからわからない。そういう事情があるとは! 

008  私の出番だ。今月はエントリーが少なく、20組ほど。だから汗水節の作られた事情、歌詞の内容を少し、詳しくしゃべった。すでに歌詞の内容はブログにアップしているので省略する。

 歌い出すと、やはり前奏の部分で、音が出ないところがある。左手はしっかり所定の場所を押さえているのに、右手のバチが弦をはじいていないようだ。これも謹聴のなせるざわ。

010 でも歌は一応歌いきった。後からいつも私の歌をよく聞いてくれるUさんが「最近は、沢村さんらしさがあまり出ていなかったけれど、汗水節はよかったですよ。私もそろそろ三線をやろうかなあ」と話してくれた。Uさんは、今回もギターで「風」のフォーク曲「瞳」を歌った。でも、お母さんが舞踊をやっていて、芸能一家という。息子がいつ三線を弾くのか、待ってるようだ。ギターを弾ける人は、三線が上手いから、ぜひ三線もやってほしい。

 ツレは、「かおる&ドリンカーズ」で「夜霧のしのびあい」を歌った。ドリンカーズとは、ギターの名手、ピカリンさんとmishaさんのコンビで、ビール大好きなので名付けて「ドリンカーズ」。それにカッキーさんのベースも入った。しっとりと情感を込めた歌で、日頃カラオケで歌っているよりも、上出来だった。032

 二次会でも盛り上がった。私も最後に「十九の春」「新デンサー節」を歌って楽しんだ。

2012年7月14日 (土)

エイサー曲は面白い、「継母念仏」とは

 袋中上人が琉球で、母親と先祖への感謝を分かりやすく説くため、念仏歌をつくったことを先に書いた。その念仏歌が「継母念仏」(ママウヤニンブチ)である。
 南風原(ハエバル)町喜屋武(キャン)のエイサー歌に「継母念仏」が残っている。長いので、原文ではなく、口語訳で紹介する。

103

          那覇市国場の念仏エイサー 

 昔は、旧盆には6つの念仏歌が歌われていたそうだ。「継母念仏」「親ぬ遺言」「天地の世界」「大和の山伏」「仲順流れ」「親の御菩薩」だが、いまでは「継母念仏」しか残っていないという。「南部広域市町村圏事務組合」のホームページから紹介する。少し手直しした。

①3歳の頃には親を失って、5歳になったので親を思い出して、
 7歳になったので、親を探しに
②国中いたるところをめぐっても、わが親の姿はおがまれない、昔の長者に会ったので
③大主様、大主様、ちょっと待って下さい 
 子どもよ、なんで私を呼び止めるのか 子どもが呼び止めるとはただ事ではない
④お前のお母様はそう簡単には会えないよ、
 7月の七夕と中の十日には、あの世の七門が開くので

095           国場の念仏エイサー(文章とは関係ない)
⑤阿弥陀七門が開くから、竹の管を沢山準備して、右の袖で顔を押し隠して
⑥左の袖で顔を押しはろうて、この竹穴から一目拝んだら、
 なんで母親上はこんなところにおられるのか
⑦わが子よ、なんでここに来たのだ、
 最近は親が妻をめとって継母にうつつして、我が身は苦しい
⑧我が身の命がもちません、私も母上と一緒になりたい、
 どうして愛しい子よそういうのか
⑨お前だけを跡継ぎにと産んであるのに、そういって授けてある、
 折り目折り目に湯水も供えてくれ
⑩正月には水のお初、7月にはお茶のお初、甘藷、なすびは飾り物
⑪茗荷(ミョウガ)やそんがん、飾り物、あの世の宝はみんぬくだよ、
 この後何をするかと思えば
⑫後生の剣の山を登るとき、これを撒いて渡るのだ、冬の霜立ちをただの雨と思うな
⑬愛おしい母上と涙と思え、蜻蛉(アケズ)が飛び回ったら母上と思え、
 蝶(ハベル)が飛び回ったら受け取れよ、
 南無阿弥陀仏は、弥陀仏 四八流れの念仏は、親の供養となる

 喜屋武のこの唄は「継母念仏」(仲順流れ節)と書かれている。題名は異なるが内容は同じものということだろうか。
 ここにエイサーの原型があるのだろう。

 

2012年7月13日 (金)

エイサー曲は面白い、なぜ親の恩を歌うのか

 エイサーは、お盆に先祖を供養することが本来の目的だから、エイサー曲がそういう内容になるのは当然だ。ただ代表的な曲「仲順流れ」は、先祖供養だけでなく、親の恩、父母への感謝が主な内容である。なぜお盆に親への感謝なのだろうか。

041         古いエイサーの形を残している平敷屋エイサー

 お盆(盂蘭盆=ウラボン)の由来は、中国で作られた盂蘭盆経(ウラボンキョウ)にある。これは、釈迦の十大弟子の一人、目連尊者と亡き母親との物語である。目連は父母の恩に報いようと思うが、亡き母は飢餓に苦しむ餓鬼道に堕ちている。ご飯を供養してもすぐ火炎となり食べられない。釈迦に救いを求めると、釈迦は、犯した罪の根が深いので、多くの僧の修行の最終日の7月15日にご馳走をお供えすれば救われると話された。そして母は餓鬼道から逃れたという。
 釈迦はまた、孝心の誠を尽くし、7月15日に盂蘭盆の供養をささげれば、いま健在の父母の寿命は100年伸び、七世の父母も餓鬼道から救われる、毎年盂蘭盆会を営むことをすすめた。

 このように、お盆は現在ある父母、亡くなった先祖・七世の父母にその恩徳を感謝する日というのが、そもそもの由来となっている。012

           小禄にある袋中寺

 盂蘭盆経の教えは中国に広がり、7世紀には日本でも盂蘭盆会が営まれた記録がある。琉球ではいつから営まれるようになったのかはまだよくわからない。
 17世紀に琉球に来た浄土宗の袋中上人は、布教をするさい、お盆の由来である「盂蘭盆経」の教えを分かりやすくして念仏歌をつくったと考えられている。それが「継母念仏(ママウヤニンブチ)」だという。「仲順流れ」などエイサー曲の原型がここにありそうだ。

 だから、先祖を供養するお盆のエイサー曲に、父母の恩への感謝が歌われるのは当たり前となる。

 

2012年7月 7日 (土)

「民謡にーせー隊」で歌う

 近くの老人福祉センターで開かれた地域福祉まつりに、三線仲間でいっしょに出演した。といっても、公園で行われる芸能披露の舞台である。

001  公園には遊びのワークショップ、フリーバザール、食べ物、飲み物コーナーが並ぶ。ただ、広場は、太陽(ティダ)クヮンクヮンと照りつけ、暑い暑い。
 舞台は、エイサー、ヒープホップダンスから、民謡ショーまでいろいろ。われわれは昨年に続く出演になった。

004  写真は、小学生4人グループの「うるく娘小(アングヮー)」。舞台に上がる前から、隣の控えのテントで練習をしていたが、驚くほど上手い。早弾きの「唐船どーい」「ヒヤミカチ節」から「丘の一本松」といった芝居の曲まで、軽快に弾きこなした。

 われらは「壺川民謡にーせー隊」を名乗ってエントリーしていた。「にーせー」とは、青年のこと。この場合、「ニセにーせー(青年)」となりそうだ。
 さて、この日は、「おじいにーせー」らしいズッコケが最初から続いた。

 その1。10時集合だったが、Hさんが到着した。でも、手に三線を持っていない。なぜだ?? 「はっさ。三線忘れてきたからよー。取りに帰ってこようね」。着いたのに180度回ってまた帰っていった。歌三線をやるのに、三線を忘れるとは! 恐るべし。

 その2。昨年通り4人で演奏するので、本番前にわざわざカラオケに集まって事前練習までしてきた。なのに、西原町に住むFさんが時間が過ぎてもこない。電話しても通じない。「なにかあったのかなあ。遅れるのかなあ」と心配した。ようやく携帯が通じた。
 「あれ、今日だった! 日曜日じゃなかったか。いまから出てももう間に合わないさあねえ」。なんということか、本番の日を忘れていたのだ。しかたない。3人組で歌うことになった。

008  さあ、登場。となったがここで、ずっこけその3。司会者が紹介してくれた。「壺川民謡にーせー隊のみなさんです。Kさん。Hさん。Fさんです」。何! 私の名前がない。その代わり欠席したFさんの名前が紹介された。
 リーダーのKさんが、欠席者の名前をFさんでなく、目の前にいる私を欠席者として届けたのだ!

 本番までズッコケてはいられない。午前の部では「祝節」「目出度節」「伊計離り節」「屋慶名クファデーサー節」の4曲を歌った。上手く歌えた。と見えたはずだが、実際には、「目出度節」で、最後の5番の歌詞の際、リーダーのKさんが、4番の歌詞をまた歌うではないか。しかたない。また4番を繰り返して歌い、最後に5番を歌うという、ハプニングミスがあった。012

 午後にもう一度登場した。「新デンサー節」「砂辺の浜」「安里屋ユンタ」「繁昌節」の4曲。今度は、ミスなしに弾きこなせた。
 リーダーのKさんは、昨年末、自転車に乗っていて車と接触し、腰を痛めて入院。2か月近く入院し、その後、自転車に乗れないし、座ったままでは三線も弾けない。そんな中で、ともかく3人でも無事、演奏できたのでジョウトーである。

 013  

 写真をご覧の通り、広場に聴衆はいない。おばあ、おじいその他、集まっていた人たちは周りの木陰やテントの中で聴いてくれた。終わると、テントの中からも拍手をしてくれた。帰りに駐車場に行くと、車の整理をしているおじさんも「三線上手だったね」と言ってくれた。

2012年7月 6日 (金)

ギター伴奏によるテナーの調べ

 「ギター伴奏によるテナーの調べ」と題するコンサートが、沖縄都ホテルの「虹のチャペル」で開かれ、聴きに行った。アルテ・ミュージック・ファクトリーで顔なじみの糸数剛さんと奥さんの秀子さんが出演するからだ。

008_2  糸数さんは、もとは高校教師だが、声楽を学んで、アルテで見事なテナーを披露している。同時にギターも練習しており、自分でギター伴奏をしながら歌えるという珍しいテナー歌手である。

019  拍手に迎えられて入ってきた。アルテで一緒の仲間もたくさんいる。この日は、1,2部で11曲を歌い、それ以外に「ふるさと」「オーソレミオ」を全員で合唱した。

022
 この中で新しい発見があったのは、秀子さんが歌った「平城山(ナラヤマ)」である。楽曲紹介で「平城山は高知県出身の二人の作詞、作曲による曲です」とあった。高知県出身の私も、初耳であった。学生時代に聞いたけれど、もう忘れたのかもしれないが⋯⋯。

 歌詞を紹介する。訳は自己流である。

 1、人恋ふは 悲しきものと 平城山に もとほり来つつ たえがたかりき
  (人を恋するのは哀しいもの 平城山に めぐってきたが 耐えがたいことだ)

 2、古へも 夫(ツマ)に恋ひつつ 越へしとふ 平城山の路に 涙おとしめ
  (古い時代にも 夫を恋して 越えてきたという 平城山の路に いま涙を落している)

 

027  歌詞は、宿毛市に生まれた北見志保子(1885-1955年)が大正9年(1920)に詠んだ短歌。奈良県の平城山の丘陵にある磐之姫陵(イワノヒメリョウ)の周辺をさまよったさいに詠んだ連作の一つ。歌には、この当時の彼女の思いが込められている。
 志保子は歌人の橋田東声と結婚したが、弟子で12歳年下の浜忠次郎と恋に落ちた。いわば不倫の恋。志保子と引き離すため、浜は親族によってフランスに留学させられたという。ただ、その後、彼女は夫と離婚し、浜と再婚したとのこと。
 磐之媛というのは、仁徳天皇の皇后だった。それが、紀州に旅に出ている間に、仁徳天皇は八田姫を迎えたので怒って筒城宮に帰ってしまった、という。
 そんな磐之媛の夫への思いと哀しみに自分を重ねて詠んだのだろう。

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 作曲は、平井康三郎(1910-2002年)は伊野町生れ。東京音楽学校バイオリン科に学び、作曲や合唱指導者として活動した。「平城山」は名曲だが、ほかに「スキー」「ゆりかご」「お江戸日本橋」など多くの童謡も作曲していることで知られる。
 ネットの「二木紘三のうた物語」など参考にさせていただいた。
 

 「平城山」はもう何回となく聞いたけれど、こんなに生々しい恋心が込められた歌謡だとは思わなかった。それに、作詞、作曲とも郷土の先達の作品であることも知らないままだった。平井康三郎が高知出身というのは、かすかに聞いた記憶がある。
 糸数さんは、息子さんのお嫁さんが高知県出身で、高知にも行ったことがある、と高知との縁を話していた。

 剛さんのテナー、秀子さんのソプラノといずれも素晴らしい歌声に魅了された。

2012年7月 4日 (水)

真夏の満月

 7月4日は、旧暦の5月15日。満月がのぼった。わが家は東側に大きな県営住宅があるので、夜10時頃でないと、満月は見えない。

005  たまたま、夜首里方面に車を走らせると、東側の展望が開けた場所で、見事な満月が見えた。その時は、車を走らせていたので撮影出来なかった。残念。
 帰って、自宅から撮ったのがこの写真。いまいちぼやけている。

008  沖縄地方は、慰霊の日の6月23日、旧暦の5月4日に梅雨明けした。「ユッカヌヒー」は、糸満を始め漁港のある各地で、ハーレー、ハーリーが行われた。「ユッカヌヒー」までに梅雨が明けるという言い伝え通りに今年は明けた。

 その後は、もう毎日、太陽(てぃーだ)くゎんくゎんの毎日。梅雨明けを待望したが、明けると暑すぎる。ただ、空気も澄んでいるようで、満月はとてもきれいだ。

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2012年7月 3日 (火)

洋楽界でも超ベテラン歌手が活躍

 1950,60年代に活躍した歌手がいまも元気に歌っている話を書いた。その続きとして、洋楽界でも高齢シンガーが健在でいることを紹介したい。

 ペトゥラ・クラークは、1965年に「恋のダウンタウン」が大ヒットした。もう過去の人と思い、すっかり忘れていた。ところが、現在も79歳で現役続行中だという。
 新しいアルバム「ペトゥラ」を15年ぶりに出した。さっそくユーチューブで見た。
 2010年にステージで「恋のダウンタウン」を歌っていた。なんと若々しい声。50年前とたいして変わらないのに驚く。

 彼女のアルバムでは、いろんな歌手とデュエットしている。そのなかにシャンソン歌手のシャルル・アズナブールがいる。なんとことし88歳になった。二人合計して、167歳になる。
 沖縄民謡の金城実・山里ユキのベテランコンビを、さらに12歳も上回る。

 アズナブールもやはり、ユーチューブで見ると、とても88歳とは思えない。いったいいつまで歌えるのだろうか。

 スゴイのは、トニー・ベネットだ。85歳になる。生誕85年を記念して、新しいアルバム「デュエット」を出した。このなかでは、レディー・ガガやマライヤ・キャリーなどとデュエットしている。レディー・ガガとのデュエットは、ユーチューブでも見られる。
 ビックリするのは、このアルバムが大ヒットして「ビルボード」誌で第1位をとったこと。史上最高齢記録を大幅に更新したという。
 超ベテランの彼を応援する人々がたくさんいることもスゴイことだ。

 シンガーの中には、無茶な生活で喉を痛める人、お酒を飲み過ぎたり、薬に手を出して早死する人もいる。
 けれども、トニー・ベネットは、喉を酷使しないように発声や日常生活でもいつも気を使っているそうだ。高齢になっても、歌い続けている人々は、それなりにみんな努力をしているのだ。

 ついでに、60年代に反戦フォーク歌手として人気を集めたジョーン・バエズも、いま話題になることはまったくない。でも、彼女もユーチューブでも見ると、いまでも、いろんな場所でフォークを歌い続けている。
 1941年生れだから、71歳。髪は白髪になったが、相変わらず美しい声で「イマジン」「花はどこへ行った」など歌っている。フォークに魅了された世代としては、懐かしい。

 洋楽、歌謡曲を問わず、ベテラン歌手でも、もうあまり歌っていないせいか、声が出なくて、見苦しい人も中にはいる。でも、芸歴50,60年を経ても、変わらない伸びやかな声、美しい声で、歌う姿を見ると、頭の下がる思いがする。

 

2012年7月 1日 (日)

火に油を注ぐ森本防衛相の沖縄訪問

 県民すべてが反対している海兵隊の垂直離着陸輸送機МV22オスプレイの普天間飛行場への配備を、アメリカが日本政府に通告してきた。これを政府は唯々諾々と受け入れ、森本敏防衛相は6月30日、沖縄にやってきた。

 この日が、何の日なのかも森本氏は知らないようだ。53年前にうるま市宮森小学校に米軍ジェット機が墜落して小学生や住民18人の命が奪われた特別の日だ。
 そんな日に、宜野湾市の佐喜眞淳市長に会って、オスプレイ12機を岩国基地に運び入れ、10月初旬から普天間飛行場で本格運用するという通告内容を、ただ米側に従順に伝えた。
 世界一危険な普天間飛行場に墜落が相次ぐ世界一危険な軍用機を、しかも悲惨な米軍機墜落の事件の日に押し付けるとは何事だろうか。県民を愚弄するものだ。

003    

 宜野湾市では、6月17日に5200人も集まって配備反対の市民大会を開いたばかりだ。2か月に1回も墜落するオスプレイの配備をあくまで強行しようとする日米両政府に、市民、県民の怒りは沸騰している。
 防衛相を前にして、佐喜眞市長は「許しがたい行為」「密集地で事故が起きた場合、どなたが責任を取れるのか」と強い口調で配備反対を訴えた。

 7月1日の配備に関係する市町村長との面談では、「政府のアリバイづくりに参加する必要もない」(儀間浦添市長)などと、欠席する首長が目立ち、政府への不信感を浮き彫りにした。出席した首長は、そろって配備中止を強く求めた。

 あつかましく配備を説明する森本防衛相にたいし、仲井真知事も、「安全性にものすごく疑問が持たれるものを押し込んでくることに、断然拒否するしかない」と、これまでにない厳しい姿勢で配備反対をのべた。

 面談後の記者会見では「配備を強行すれば全基地即時閉鎖という動きにいかざるをえない」とのべた。日頃、もってまわった物言いをする保守の県知事が「全基地即時閉鎖」を口にする初めてだし、最大級の怒りと抗議の表現である。

 沖縄では、県内41地方議会がすべて配備反対の意見書を可決し、全市長が配備反対の県民大会の開催に賛同するなど、島ぐるみの反対闘争に燃え上がろうとしている。こんな県内情勢をまるで無視する森本防衛相の訪問は、火に油を注ぐ結果をもたらしただけだ。

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