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2012年8月19日 (日)

上演禁止された組踊「手水の縁」

 平敷屋朝敏作の組踊「手水の縁」が、琉球王府時代だけでなく、明治になっても上演禁止にされていたことは、これまでも書いた。でも、いつどのように禁止措置がされ、いつ許可になったのか、具体的な経過はよくわからないままだった。『沖縄県史6 文化2』の巻に経過が書かれていたので、紹介したい。

 この作品は、国家反逆の罪で処刑された朝敏の作品であることと、結婚は親が決める封建秩序を乗り越え、自由な恋愛を成就させる組踊のため、権力者から問題視されたと伝えられる。
 「封建社会の中で遂げられぬ恋に終始する民衆の間では、それ故になおさら愛誦され人気があった。しかし、山戸と玉津の忍びの後の場で伝統の様式からひどく逸脱し男女jの濡れ場を強調したという理由で明治の末期に上演を禁止した。その後大正7年3月に後任の高橋署長が赴任すると世論の要求を受け入れ、署長直々の観賞もあって問題なしととして上演が許可された。各座とも競って上演をし観客の要望に応えた。新聞社もその粋なはからいに讃辞を呈し、改めて『手水の縁』の文学的な価値を説いて啓蒙した」

003   組踊の一場面。「手水の縁」ではない(「沖縄テレビ」の画面から)

 「手水の縁=昨日上場許可さる」(大正7年3月16日「琉球新報」)
 「那覇前署長時代一部の不見識極まる警官連に依りて久しく上場禁止となり居たる平敷屋朝敏作組踊『手水の縁』は昨日高橋署長に依りて許可されたり」

 「高橋署長の感想」(大正7年3月29日「琉球新報」)
 「私の素人評ですが何うも中々いい芝居です。最初筋書きで見た時は如何だろうかと怪しんで居りましたが、板に掛けて見ると少しも風俗紊乱の所はなく、殊にあの美文学的な台詞を流暢に語る所は聞いてゐてもいい心持がします。一番よかった所は何と云っても山戸が真玉津の所へ忍んで行く所で門外での横笛はその場を緊張せしめて一種の凄みさえ伝へてゐました。その場の音楽も実に何とも言へぬものです⋯⋯

 前任者が是れを許可しなかったと云うのも仄聞するところによると7,8年前に演った時は甚だ改悪して如何はしい点もあったと云ふ事でした」

 前任者とは、那覇署の坂本警部だろうと思われるそうだ。
 歌劇も世論と警察側の糾弾にあい、廃止に追い詰められていった。

 坂本警部の談話が「琉球新報」大正6年4月11日に掲載されている。
 「本県の歌劇は見物をして悪感を抱だかしむる、卑猥極まるものが多い。それで警察の方でも風俗を乱す虞れのあるものは全然之を許さず」

 しかし「坂本警部は余程の硬骨漢」だったらしく、潮会の芝居を上演直前に禁止した。「その偏向ぶりに世間の顰蹙(ヒンシュク)をかっている」とのこと。
 高橋署長といえども、真面目に「手水の縁」を観賞すれば、「風俗を乱す」などいう非難は的外れであることが分かるだろう。なかなか愉快な感想である。

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