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2012年8月 5日 (日)

民衆に愛される沖縄歌劇、芝居に台本がなかった

芝居には台本がなかった!

 初期の歌劇は一幕、一曲の単純なものだった。まだ劇というよりは踊りに近い喜劇である。明治41年には回り舞台が出来て、一幕ではなく多幕物の上演が可能となり、琉球故事、伝説、歴史による長編の方言せりふ劇がふえた。
 明治40年、41年は、いずれも20前後だった方言せりふ劇の上演が、42年、43年には急増して年間それぞれ60をこえるなど、方言せりふ劇の全盛期を迎えた。

       058       狂言「大按司願い」が演じられた志多伯豊年祭

 現在の演劇の感覚からいえば、ちょっと想像できないが、沖縄芝居の場合、たいてい書かれた台本はなかった。「一座の座長や主だった役者がある筋をつくり、それぞれの役者が役と筋にそって、即興でせりふをしゃべり、演技していくというやりかた、つまり口立(クチダ)てでした」(大野氏著作)。

 「奥山の牡丹」の作者・伊良波尹吉(イラハインキチ)は、字が書けなかったと伝えられているけれどが、その尹吉がつくった歌劇は、なんと200編にも及ぶといわれている。

ただ、台本がないことが沖縄の演劇が進歩しない要因になっているという意見もある。演劇担当の新聞記者だった真栄田勝朗氏は、次のように書いている(『琉球芝居物語』)。

「(演劇が足踏みしている)大きな原因は内容の充実したよい脚本を採用しないで演出家の指導がなかったことである」「沖縄の芝居では組踊りを除いてまったく脚本なしで芝居をしてきたのだから、本当の意味の演劇はなかったといってもいい」

「戯曲と演劇は鳥の双翼、車の両輪のようなもので戯曲があってはじめて芝居ができるのである。しかし沖縄では戯曲も演出もなく、彼らの自作による芸題を怪しげな方法でやり通してきたのだから進歩する筈がない」

相当に手厳しい。ただし、台本がなく劇を演じるには、それはそれで役者としても苦労があった。

「俳優は、各段について作者もを兼ねるところがあった。うまく俚諺(リゲン、ことわざ)などを織込んで名せりふを作りあげるのが役者の工夫であった。したがって平素から役者は組踊りなどを勉強して、語彙を豊富にし、観客をうならせるせりふを考えるのに余念がなかったのである」(矢野氏著作)

           

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