エイサー曲「久高マンジュ主」の真実
ブログにアップした「エイサー曲は面白い、久高マンジュ主」に対して、その子孫にあたる久高さんから「不愉快だ」というコメントをいただいた。それは、久高マンジュ主が「私の祖先に対する歌らしいですが、いつもお盆の時や沖縄の行事時にこの歌が流れていて耳にします。この歌の意味が分かっているので正直言って不愉快です。歌を考えた人が許せない。だから面白いとか言わないでほしいです」という内容だった。
伝統エイサーでは、「仲順流れ」と「久高マンジュ主」は定番の曲だ。親や先祖への恩を歌う「仲順流れ」にたいして「久高マンジュ主」は、いい歳をして、美しい女性を追いかけるとか家計は窮乏して仏壇もきれいにできないなど、面白おかしくはやし立てる内容だ。歌詞の内容を知った時、遠い過去の伝説上の人物をモデルにしている受け止めだった。でも、当たり前ではあるが、実在の人物である。もし私の祖先がこのように歌われたとしたら、やはり不愉快に感じるだろう。ブログのタイトル名を「不思議なエイサー曲、久高マンジュ主」と改めた。
立派な人だった「久高マンジュ主」
久高さんから追加のコメントが寄せられた。そこには、久高マンジュ主がどのような人物だったのかについて、調べられたことが書かれていた。とても興味深い内容だった。エイサーを演舞する人たちも、是非知ってほしい。それで、久高さんのコメントを改めてここで紹介したい。
「私の祖先は、もともと琉球が栄えていた時代、当時の王の側近で警護の仕事をしていたそうで、階級も上の位で立派な人だったそうです。ある日、王の命令で久高島に派遣され、そこで功績を上げて首里に帰って来た時に、当時の祖先の姓が照屋だったにもかかわらず、王が『姓を久高に変えなさい』と言ってそれからずっと久高になっているみたいです。でも酒と女遊びがとても激しかったらしく、庶民らがとてもひがんで<久高マンジュ主>をつくったそうです。まあ唄になるくらいだから、相当ひどかったでしょう」
酒と女遊びが激しかったとしても、王府で大事なな役職にあり、久高の姓もその功績によって王から授けられた立派な人だったことがよくわかる。エイサー曲は、久高マンジュ主の真実を反映していない。一面が誇張され、面白おかしく仕立てられたのだろう。
久高さんは、初めて家系について調べていろんなことが発見できるよい機会だった、とのべている。
前に「歴史が生きている沖縄」と題してブログにアップした。狭い島国の琉球・沖縄では、伝説や歴史上の人物や出来事について、関係した人たちを祖先にもつ人たちがいまもたくさんおられる。とかく、民謡に歌われた出来事や歴史で学んだ事柄を、現実と切り離された遠い過去のことと思いがちだ。でも、それぞれの家系は綿々とつながっていて、歴史がいまも生きていることを改めて痛感した。
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