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2012年8月 7日 (火)

民衆に愛される沖縄歌劇、芝居をささえた女性客

白眼視された女性の芝居見物

 沖縄の芝居は、女性観客に支えられてきたとよくいわれる。ただ、はじめから女性客が多かったわけではない。明治36年(1903)頃には、男性客が女性客よりも多く、劇場の主役が男性であったという。

 もちろん、女性が芝居に関心を持たなかったわけではない。当時、芝居は風紀を乱すものとして蔑視されていた。特に女性が芝居を見ることは非難されていたからだ。

明治32,33年ごろには、沖縄各地で芝居見物禁止の規則なるものがつくられて、罰金を取られたりしていた。

大野氏は、その一例として、明治32年(1899)10月21日の「琉球新報」の記事をあげている。

「芝居見物禁止の規約」として、与那原村で芝居を興行したさい、村民らが嫌悪し「一同申合せの上見物禁止の規約を結ひたる」、芝居見物を放任すると「小女處女等か身を誤り風俗紊乱の媒介」となるとして、芝居を見物するものは金三円の科料を徴収すると協議一決し、取り締まりのため、毎日毎晩見張りをしたという。

 このように芝居見物、とくに女性の芝居見物は白眼視されていた。それに当時の女性は自分の自由になる財布を持っていなかった。

そんななかでも例外は漁業の町、糸満の女性観客だった。男が漁業で獲ってきた魚を女性が売りさばき、糸満の女性は経済的に自立していた。この経済的自立が演劇興行を支えたそうだ。

 次第に女客の方が男性より多くなっていった。明治43年(1910)2月22日付「琉球新報」によると、首里寒水川の春日座では「⋯⋯9分通りの大入りである其の内7分通りは婦人で他の2分は男子であった」。

 同年6月には、沖縄座の「浜千鳥」(歌劇「泊阿嘉」)の記事で「十中八九分(通)りは婦女子が占めて居た」となる。明治40年ころから歌劇の上演が次第に多くなってくるのにつれて、女性客が多くなってきたことがうかがえる。

    015          現代の国立劇場おきなわも女性客が多い

歌劇ささえた「帽子くまー」

歌劇の上演に女性客が多くなった一つの背景として、注目されるのは、アダン葉帽子編みの帽子女工の姿が目立つようになったことである。これは、アダンの葉を使って編んだ夏物の帽子のこと。俗にパナマ帽と呼ばれていた。

「大正時代の観客は、辻の遊女たちや、帽子あみの女工、町屋の主婦たち」であり、「芝居小屋は女たちのただ一つの解放された世界であった」(矢野氏著作)

『沖縄芝居とその周辺』によれば、明治35年(1902)片山徳次郎がアダン葉の帽子製造法を開発し、1904年に特許を得てから、アダン葉帽子の製造は急速に発達していった。那覇市に製帽と原料漂泊の工場を建てて以来沖縄県の特産品になり、西欧にも輸出していた。
 生産額は、はじめはわずか5~6万円に過ぎなかったが、明治41年(1908)には28万7700円余に激増し、44年(1911)には、55万7160円に達した。これは砂糖、泡盛に次ぐ生産額となり「本県唯一の世界的商品」といわれるほどになった。
 大正元年(1912)には、アダン葉帽子製造工場が那覇に20あった。「琉球新報」によれば、当時の職工数は5~6000人を数え、自分の家で家事の余暇に賃仕事をする人を含めると優に3万人はいたという。

「比較的多くの資金と労力を要せず屋内にありて1日優に30銭以上の労銀を得るにより老若男女の区別なく滔々(とうとう)として帽子職工たらんとする趨勢を示せり」(大正2年2月1日「琉球新報」)という具合だった。

地方にも作業場があり、当時は自給自足の生活のなかで、このアダン葉帽子の製造は、一週間に一度現金収入が得られる貴重な手段だったという。女性にとって、現金収入は生活費だけでなく、芝居見物などに行くことも可能にした。

「娯楽場と云う一種定まった場所の殆どない本県で、芝居丈は兎も角沖縄の一大娯楽場となっている⋯⋯帽子女工も女学生も小学生も全てか口吟む歌は一度芝居で歌った歌である」(「琉球新報」)という状況になった。

「誕生したばかりの琉球歌劇はこうした帽子くまあ(帽子編み女性)に支えられたわけで、その意味で間違いなく、沖縄近代の産物だと言えると思うんです」(大野氏著作)。

アダン葉帽子の製造のピークは大正1~2年だった。原料を主として野生のアダンにたよっていたことから次第に原料が枯渇してしまった。

 民謡に「帽子くまー」という男女掛け合いの曲がある。

「♪女 頭小(グヮ)やちゅくてぃ ぬちさぐや知らん かなし思里に習いぶさぬ サー習いぶさぬ」

(帽子の組み始めの部分を作って 編み方は知らない 愛しい彼に習いたい)

「♪男 天止みてぃ呉(クイ)らば わが妻(トゥジ)になゆみ 女 組み上ぎてぃ呉てぃん 妻やならん 男 サーにんぐる小どぅ すんなあ」

(男 帽子の上の天のところをとめてあげれば 私の妻になってくれるかな 女 組み上げても妻にはならないわよ 男 サー 愛人になってくれるかい?)

 こんな掛け合いで歌は進み、帽子を編み上げる作業が歌われるが、途中は省略する。

「♪男 帽子組まー 哀り 女 組まんしが知ゆみ 勘定前になりば さら夜明かち サー さら夜明かち」

(男 帽子組み工は哀れだよ 女 作らない人はその苦労が分らないでしょう 納期の前になれば 徹夜して サー徹夜して)

 この民謡では「私の妻になってくれ」と歌っているが、私のツレが、戦前に帽子くまーをしていたおばあさんに話を聞いたことがある。その人の体験によると、作業場で男と女の恋愛話のようなことはまったくなかったとのことだった。実際には、作業に追われてそんな余裕もなかったのだろう。

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