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2012年8月12日 (日)

泊高橋の歌碑を見る

 那覇市の離島へのフェリー埠頭のある泊(トマリ)の、安里川の河口付近にかかる泊高橋のたもとに歌碑が建っている。前から「泊高橋の歌碑は見ましたか?」と何人かから声をかけられた。魚の卸売市場の直売所「泊いゆまち」があり、よく買い物に行く時、泊高橋を通るのに、いつも見過ごしていた。改めて、見に行った。001  この橋は、国場川にかかる真玉橋(マダンバシ)、嘉手納の比謝川にかかる比謝橋とともに沖縄の名高い橋にあげられる。
 もともとは木の橋だったが、1700年の尚貞王の時代に石の橋に架け替えられた。工期6カ月を要し、重さが1個で1トン以上の石材も使われたそうだ。

007  歌碑は、橋の左岸たもとにある。
 「泊高橋に なんじゃじふわ落ち いちか夜ぬ開きて とめてさすら」
 「なんじゃじふわ」とは、銀のかんざしのこと。
 泊高橋から大切な銀のかんざしを落としてしまった 夜が明けてから探しだすことができるだろうかという歌意である。

002  「詠み人知らず」といい、説明文は何もない。これだけ読めば、女性が恋人と橋の上で会っていて、誤って大事なかんざしを落としてしまった。夜が明けてから探し出せるだろうかと心配する。そんな情景を詠んだ琉歌のようだ。歌の一つの説はその通りだという。でもいくつかの説があるそうだ。
 この歌詞の表面を見るだけではわからない隠された思いが込められた琉歌だとも言われる。

 それは、1734年に当時、王府で辣腕をふるった政治家・蔡温(サイオン)の政治を批判したとして、安謝港で磔の刑にされた平敷屋朝敏(ヘシキヤチョウビン)の妻が詠んだといわれている。
 朝敏の処刑にともない、男の子どもたちが先島に流刑にされた。そのとき、朝敏の妻・真亀(マカミ)が、濡れ衣を着せられた夫の処刑にたいし、断腸の思いで詠んだと言われる。泊高橋の地名が歌い込まれているのは、子どもたちは、泊港から船で出ていったのだろうか。

 003  秘められた歌意とは、次のような内容だ。泊高橋でかんざし(夫や子ども、地位や名誉)をなくしてしまった。時代が変わり、名誉が回復される日が来るだろうか。

 そう思って読めば、琉歌に込められた深い悲しみが伝わってくる。朝敏の妻は、娘とともに、いまのうるま市の高離島(宮城島)に流され、身分も士族から百姓に落とされた。
 朝敏は、組踊「手水の縁」の作者として名高い。琉球王府の時代には、名誉回復されることはなかった。でも今日では、その作品と人格は高く評価されている。名誉は回復され、朝敏ゆかりのうるま市平敷屋では、毎年偲ぶ会が行われている。

005  歌碑の裏側にはこんな「泊竜宮神」も祀られていたい。

006  泊高橋から河口の泊港の方面を見ると、泊大橋が見える。

 
 

 

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