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2012年9月25日 (火)

琉球音楽の始祖・赤犬子の歌碑

 沖縄の歌・三線の始祖といわれる赤犬子(アカインコ)を祀る「赤犬子宮」が読谷村楚辺(ソベ)にあり、何年か前に、民謡三線サークルの「遠足」で行ったことがある。
 いまから500年ほど前、琉球王国が東アジア諸国と広く交易し「大交易時代」として発展したころ、歌・三線に優れて各地を巡り、活躍した吟遊詩人だったと見られている。

 「赤」とは地名の「阿嘉(アカ)」であり、自分のことを「阿嘉の犬子(イングヮー)」と卑下して名乗ったためではないと作家の与並岳生さんは書いている。

 王府が編纂した古謡集「おもろそうし」でも、「歌と三線の 昔始まりや 犬子ねあがり(音揚がりや)の 神のみさく(御作)」と歌われた。
 「歌と三線の昔からの始まりは 赤犬子の音であり 神の作ったようにすばらしい」。こんな歌意ではないだろうか。「おもろ」には赤犬子を讃える歌は40余首もあるそうだ。

Photo

 「赤犬子宮」へ向かって石段を登っていくと、脇に歌碑がある。左側にあるのは「赤犬子終焉之地」の碑である。晩年に生れたこの楚辺の地にたどり着き、岩山に杖を立て、聖なる光に導かれて昇天したと言い伝えられているそうだ。
 右側の歌碑は「歌之道ひろく 世界に輝かち 犬子ねあがりや 末代までも」と讃えている。歌碑は野村流音楽協会読谷支部が建てた。だから古いものではない。

 楚辺区の古老伝承によれば、赤犬子は大屋のカマーと屋嘉のチラー小との子で、長じて三線を携えて各地を巡り歩き、歌三線を広めたという。面白いのは、それだけでなく、先々のことを予言したり、唐(中国)から楚辺むらに五穀(稲、麦、粟、豆、黍=キビ)を持ち帰った偉大な人物だと伝えられているとのこと。顕彰する碑がある。

Photo_2  この場所は、楚辺区では、古くからウガンジュ(拝所)として、崇拝され、毎年旧暦の9月20日(昇天した日)には、五穀のンバン(御飯)などを供えるとともに、琉球古典音楽や舞踊を奉納し、歌三線の始祖、五穀豊穣の神、むらの守り神として祀る「赤犬子スージ」を催しているという。下写真が「赤犬子宮」である。

Photo_3

 

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