「ひめゆり学徒隊」の歌はいくつあるのか、その2
「ひめゆり学徒隊」を歌った曲の続きである。
森鑑之作詞・作曲の鎮魂歌「ひめゆりの歌」がある。
「♪東風に揺れる ユウナの花 小鳥囀(サエズ)る 木立の台地に 戦さで散った 若き乙女よ あなたたちの心の勇気を ひめうりの花とともに ぼくらは忘れはしない とこしへに」
「戦さで散った若き乙女ら」の鎮魂歌ではあると思うけれど、「心の勇気を⋯⋯忘れはしない」というのは、戦争の痛ましい犠牲を、すこし美化している印象があり、ちょっと気になる。
古都清乃さんの歌う「ひめゆりの唄」は、ある方が音源を送ってくれて初めて聴いた。鈴鹿一作詞、紺野朗作曲である。
「♪なにも知らない幼い身にも 心細かろ夕日の色は 燃える沖縄 戦さの巷
母のない子に 母のない子に 風が吹く」
「♪唄も踊りも忘れて捨てて 娘ざかりを嵐の庭に 響くつつ音さんごの島に
散って悔いない 散って悔いない このいのち」
「♪二度とこの世に咲く日はないが きっと咲きます またくる春に 娘ごころを
ひといろ赤く 染めた桜の 染めた桜の 九段坂」
よめゆり学徒隊の悲劇を歌っているのはいいけれど、「散って悔いない このいのち」という 歌詞には、ちょっと抵抗がある。看護隊として献身して死んだから「悔いない」といえば、痛ましい犠牲となった女子学徒隊を美化することにつながるのではないか。
それに、「この世で咲く日はないが きっと咲きます⋯⋯九段坂」と歌う。 九段坂といえば、靖国神社を指す。
戦前・戦中の軍歌は、天皇のために戦死しても、靖国神社で英霊として祀られ、花を咲かすという歌詞がよくあった。
軍歌「同期の桜」は、「咲いた花なら散るのは覚悟 見事散りましょう 国のため」「花の都の靖国神社 春の梢に咲いて会おう」と歌っている。
ひめゆり学徒隊の生存者は、自分たちの体験を「悲劇としても美化してほしくないし、国のために命をささげたなどと美化してほしくもない」と話している。もっともである。
「ひめゆり学園」の240人(生徒222人、教師18人)の人たちは、3月23日の動員から、6月18日の解散命令までの約90日間の犠牲者は19人にとどまっていた。日本軍の司令部が首里から南部の摩文仁に撤退したあと、米軍が迫りくる中で、解散命令が出て戦場に放り出され、わずか数日間で100名余りが亡くなっている。死亡者は136人(生徒123人、教師13人)の大半は、この時に犠牲になった。
県全体では、7つの女子学徒隊がつくられ、約505人の動員数で、189人が戦死した。学徒隊以外にも225人生徒が戦死した(「琉球新報」2009年6月23日付)。
沖縄は、本土防衛の捨て石にされ、本土進攻を遅らせるため、首里から摩文仁に撤退し、抵抗を続けたために、地獄のような戦場で、多くの県民、学徒隊の人々が痛ましい犠牲になった。首里で戦争を終結させていれば、こんな犠牲は避けられたのだ。
犠牲者を英霊扱いにすれば、無謀な戦争への反省はかき消される。悲劇を決して繰り返さないために「美化してほしくない」という気持ちは痛切なものがある。
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