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2012年9月 6日 (木)

歌碑のある風景、平敷屋朝敏の妻・真亀の碑

朝敏の妻・真亀の歌碑

朝敏が処刑されたとき、妻・真亀(マガミ)と娘は、首里からうるま市の高離島(宮城島)に流され、身分も士族から百姓に落とされた。この地で妻が詠んだ琉歌の歌碑が建っている。高離バンタと呼ばれる高い崖の上の眺めのよい場所にある。
「高離島や 物知らせどころ にゃ物知やべたん 渡ちたぼれ」

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 高離島はさまざまなことを教えてくれるところです。離島の苦しみ、人の情けもよく思い知ることができました。私の育った故郷の地に帰れますように。 こんな歌意である。真亀はこの地で亡くなったという。

 

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那覇市の離島へのフェリー埠頭のある泊(トマリ)の、安里川の河口付近にかかる泊高橋のたもとに歌碑が建っている。前から「泊高橋の歌碑は見ましたか?」と何人かから声をかけられた。魚の卸売市場の直売所「泊いゆまち」があり、よく買い物に行く時、泊高橋を通るのに、いつも見過ごしていた。改めて、見に行った。
 
 この橋は、国場川にかかる真玉橋(マダンバシ)、嘉手納の比謝川にかかる比謝橋とともに沖縄の名高い橋にあげられる。

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 もともとは木の橋だったが、1700年の尚貞王の時代に石の橋に架け替えられた。工期6カ月を要し、重さが1個で1トン以上の石材も使われたそうだ。
 歌碑は、橋の左岸たもとにある。
 「泊高橋に なんじゃじふわ落ち いちか夜ぬ開きて とめてさすら」
 「なんじゃじふわ」とは、銀のかんざしのこと。泊高橋から大切な銀のかんざしを落としてしまった 夜が明けてから探しだすことができるだろうかという歌意である。
 「詠み人知らず」といい、説明文は何もない。これだけ読めば、恋人と橋の上で会っていて、誤って大事なかんざしを落としてしまった。そんな情景を詠んだ琉歌のようだ。だが、この歌詞の表面を見るだけではわからない隠された思いが込められた琉歌だとも言われる。

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  それは、処刑された平敷屋朝敏の妻が詠んだという説である。
 男の子どもたちが先島に流刑にされたとき、朝敏の妻が、濡れ衣を着せられた夫の死を断腸の思いで詠んだと言われる。泊高橋の地名が歌い込まれているのは、子どもたちは、泊港から船で出ていったのだろうか。
  秘められた歌意とは、次のような内容だ。泊高橋でかんざし(夫や子ども、地位や名誉)をなくしてしまった。時代が変わり、名誉が回復される日が来るだろうか。
 そう思って読めば、琉歌に込められた深い悲しみが伝わってくる。組踊「手水の縁」の作者として名高い朝敏は、琉球王府の時代には、名誉回復されることはなかった。でも今日では、その作品と人格は高く評価されている。民衆によって、名誉は回復されたと言えるだろう。朝敏ゆかりのうるま市平敷屋では、毎年偲ぶ会が行われている。

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