無料ブログはココログ

« ディアマンテスに「チムドンドン」 | トップページ | 弁財天堂と天女橋を見る »

2012年10月 9日 (火)

円覚寺跡を見る

 久しぶりに首里城の近辺を歩いた。円覚寺跡を見るのは、6,7年ぶりだろうか。

001_2  琉球における臨済宗の総本山で、山号を天徳寺と称した。琉球を統一した第一尚氏に代わる第二尚氏の王統の菩提寺だった。「琉球随一の寺院であった」と説明書は記す。

002  クーデターで王位に就いた金丸=尚円王を祀るために、第3代の尚真王が1492年から3年がかりで建立したと伝えられる。建築の手法は、鎌倉の円覚寺にならった禅宗七堂伽藍の形式を備えている。

003  ちなみに鎌倉の円覚寺は、蒙古が来襲した元寇の戦没者を敵味方の区別なく弔うために創建されたそうだ。これは余談である。

 伽藍は西面し、前面中央に総門(上写真)を開き、放生橋、山門、仏殿、龍淵殿が一線上に配置されていた。西向きと言うのは、首里城と同じ方角になる。なにか関係があるだろうか。

 049  開山住持は、京都南禅寺の芥隠(カイイン)禅師である。芥隠禅師は、第一尚氏の尚泰久の治世下に琉球に来て、王の信認をえて、広厳寺など三つの寺を開いたとか。尚泰久のもとで、金丸と知り合ったのだろうか。「金丸がクーデターで王位につく『政界のフィクサー』的存在となって裏で暗躍したと考えられている」とのこと。これは、ネットの「かげまるくん行状集記・琉球の官寺」で紹介されている話しである。

048  円覚寺は、昭和8年(1933)に国宝に指定された。昔の姿を古い写真で見ると、実に荘厳な寺院である。沖縄戦でほとんど破壊された。残念なことだ。

 現在の総門と左右の掖門(サイドの門)は1968年に復元された。放生池にかかる放生橋(上写真)は1967年に修復された。

 今回、円覚寺跡を見て、もっとも興味を引かれたのはこの池の配置である。大和のお寺も池のある寺は多いだろう。でもこの造りのように、総門を入ると大きな池があり、その真ん中に橋がかかっていて、橋を通って仏殿に進むというのは、他で見たことがなかった。珍しいのではないだろうか。048_2  橋の欄干には精緻な彫刻が施されて「沖縄の石彫美術の最高傑作」と説明書きにはある。総門が閉まっているので見れなかった。

« ディアマンテスに「チムドンドン」 | トップページ | 弁財天堂と天女橋を見る »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1384216/47380457

この記事へのトラックバック一覧です: 円覚寺跡を見る:

« ディアマンテスに「チムドンドン」 | トップページ | 弁財天堂と天女橋を見る »

最近のトラックバック

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31