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2012年11月 5日 (月)

与那覇勢頭豊見親逗留旧跡碑を訪ねる

 宮古島から沖縄本島の中山国に、初めて朝貢し、臣下となった史実を伝える史跡が那覇市にあり、訪ねた。与那覇勢頭豊見親(ヨナハセドトゥユミャ)逗留旧跡碑である。

001  新都心の一角、上之屋のタカマサイ公園にある。公園といっても、この碑があるから公園になっているような感じ。014  いま整備をされて立派な建物が建っている。
 この碑は、もと「タカマサイ」と呼ばれた当地に立てられたものである。
 宮古島の豪族、与那覇勢頭豊見親真佐久(マサク)が、1388年に本島の中山国に至ったけれど、言葉が通じない。同じ沖縄でも、宮古の言葉は独特で、いまでも宮古方言で話すとチンプンカンプンだ。
 そのため、従者を本島に留まらせて、足掛け3年、琉球語を学ばせた。1390年に与那覇勢頭豊見親は、中山国の察度(サット)王に朝貢した。宮古の首長に任じられたという。「豊見親」とは、首長、英雄のような意味である。

005  この石碑に、由来が刻んであるが、読めない。入り口に由来を書いた新しい説明碑(下写真)が別にある。それによって紹介する。

 従者の一人に、高真佐利屋と言うものがいた。毎夜、火立屋(のろし台)に登り、はるか故郷をのぞみ「あやぐ」(宮古の歌謡)をとなえていた。これにより付近の村民、その旧宅の地を高真佐利屋原とよんだ。

002     
 1767年、ここに与那覇勢頭豊見親の子孫が長さ一丈二尺、幅六尺の地を請い求め、子孫拝礼の場所として碑を建立した。

 
 この碑のある場所は、泊港を望む高台にある。昔、泊は離島の船着き場だったので、泊に役所を設けて離島を管轄したそうである。
 現在の碑は、沖縄戦で破損していたものを1989年に復元したものである。よく見ると、碑はヒビが見えるので、折れたのをくっつけ、碑の両側に金具をつけて止めてある。

003  石碑だけではく、「白川宮」などの拝所がある。通称は、この場所を「白川神社」とも呼んでいるらしい。碑の解説文に「子孫拝礼の場所」としたというので、宮古島出身の人たちの拝所となっているそうだ。

006  この御嶽(拝所)のあずまや等設備の不備の改善を那覇市に求め、市が協力し、みんなで募金を集めて、立派な施設に整備されたようだ。

007 008 009 010  碑の前には「火神」「龍神水主神」などそれぞれ祀る神がある。このうち龍神について、2012年3月25日にも、与那覇勢頭豊見親の子孫や宮古の郷友らが、龍神祭を行い、海の神様に航海の安全と災害への安全を祈願したという(「宮古新報」から)。

012  一つ疑問は、なぜ「白川宮」と呼ぶのかということ。これは、与那覇勢頭豊見親が、朝貢のため宮古の白川浜を出発したことにちなみ、この一門は後に「白川氏」を名乗るようになった。白川氏は、その功績から、琉球王国の時代に、島の頭職を一門から多く輩出しているという。
 そんな一門の拝所であることから「白川宮」と呼んだのではないだろうか。これは、私の素人的な推測である。

 015         公園から泊港の方面を見た眺め 

 宮古島では、仲宗根豊見親の子孫は「忠導氏」(チュウドウウジ)、知利真良豊見親の子孫は「宮金氏」(ンミャーガーニウジ)という一門があり、3つの氏族が門閥をつくり、宮古島の頭職をはじめ多くの官職をその子孫が占めるようになったという。

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コメント

ここが宮古の人の拝所になっているということは「ジュウルクニチー」なんかもここに来るんでしょうかね?
本島で地方の豪族たちが群雄割拠していた三山時代があったように、宮古でも勢力争いが激しかったんですね。与那覇勢頭豊見親が朝貢して臣下となったのは、「アタマいい~」っていうことですかね~。
白川氏の呼称ですが、いま宮古に「白川」姓なんているんですか?聞いたことないなあ。
龍神祭って何やるんですか?与那覇勢頭豊見親と龍神ってどんな関係なんでしょうね。
そういえば宮古の墓は「ミャーカ」と呼ばれる独特な墓で、豊見親の墓はさらに本島の横穴式を取り入れた、もっと進化した「ミャーカ」になっていますよね。与那覇勢頭豊見親の「ミャーカ」って、有名ですか?仲宗根豊見親の「ミャーカ」は名所ですけどねえ。


 宮古の人はよく祈願にくるでしょう。平香がたくさん燃やされて残ってたし、マース袋もあったので。宮古島から沖縄本島に、人頭税の粟や宮古上布など貢納物を船で運んだり、役人らもよく航海したので、航海の安全祈願はとても重要だったから、龍神祭が大切な祭だったでしょう。「白川氏」とか「忠導氏」というのは、門閥の名前なので、姓とはまた別でしょう。白川姓、忠導姓なんて聞かないから。
 たくさん質問されてますが、よくわかりませんしよー。宮古島に行った時、勉強して下さいね。

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