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2012年12月 5日 (水)

宮古島探訪、豊見親墓

豊見親墓

 宮古島で最も有名な墓といえば、豊見親墓である。豊見親(トゥユミャ)とは、宮古地方の名高い首長という意味である。張水海岸にあり、3つの墓から構成されている。
 
 一つは「仲宗根豊見親(ナカソネトゥユミャ)の墓」で、15世紀から16世紀にかけて、宮古の首長をつとめた忠導氏一門が祀られている。

 二つは「知利真良(チリマラ)豊見親の墓」で、仲宗根豊見親の三男で元祖とする宮金氏一門の墓。子孫の寛富が1750年頃造ったと伝えられている。

 三つは「あとんま墓」で、忠導氏の継室が祀られている。

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 説明文によると、これらの墓の特徴は、墓の入り口の正面に「つんぷん」(ひんぷん)があることと、墓室の上部に短い石柱が立ち並んでいることである。石柱の上端には凹状の欠きこみ部があり、祭祀のときは、凹部の部分に桁木をのせ、梁をかけ、屋根を覆うことができる。このような、独特な構造の墓は、県内他の地域ではみられず、貴重なものである。

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仲宗根豊見親の墓(上写真)

 仲宗根豊見親が父親の真誉之子豊見親の霊を弔うために築造したと伝えられている。墓の構造は、宮古在来の「みゃーか」の形式と沖縄本島の形式を取り入れた折衷の形となっている。この時期におけり宮古と本島との石造技術の交流を示す墳墓である。外観は、前庭部を石垣で囲み、墓室外面は階段状に仕上げ、上端に石柱列を設けてある。内部は円形になっており、直径6㍍、高さ2㍍余のほぼ10畳ほどの広さである。

 宮古の支配者として、仲宗根豊見親は1500年、八重山のオヤケアカハチの乱の鎮圧に首里王府軍の先導をつとめ、また島内においては、井戸、道路、橋梁などの開削をすすめたことで知られる。

 沖縄各地で名高いお墓を見ても、階段状の石積みの墓は見たことがなかった。なんか、一見、中米のピラミッドを思わせるところがある。なぜ、こういう石積みになったのか、不思議だ。ただ残念なのは、石積みの上を、セメントで固めたようになっているので、石積みそのものが隠されていることだ。049
 ラジオ沖縄で、赤瓦ちょうーびんさんが、お墓など見るときには、「『今日はお勉強で来ました。失礼します』と挨拶をしてから入ってください」とよく話しているので、必ずそのように、挨拶してから入ることにしている。

 お墓を見ていると、どこからともなく猫が現れ、じーと見つめている。動かない。「あんたはお墓の番をしているのかい」と呼びかけてきた。それでも、動かないで、見守っている様子だった。

 

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 16世紀初期に宮古を支配した仲宗根豊見親を元祖とする忠導氏の氏族の継室(アトンマ)だけを葬ったので「アトンマ墓」と呼ばれている。

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 忠導氏は、数多くの頭職を出し、勢力・財力を誇った系統である。その勢力・財力を背景に、宮古の風習として本妻と同じ墓に葬ることのできなかったアトンマの墓を設け、その霊を弔ったものと思われるということである。

 

 

それにしても、本妻ではない継室のお墓が豊見親の墓の隣にあるのは、興味深い。本島では継室の墓というのは見たことがない。「知利真良豊見親の墓」は、すぐそばにあるけれど、残念ながら見れなかった。

 

 

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