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2012年12月11日 (火)

宮古島探訪、保良の偉人・平良真牛

保良の偉人、平良真牛

 人頭税に苦しめられていた宮古島の農民たちが、ついに立ち上がって1893年(明治26年)、官憲らのよるの妨害を乗り越えて、当時としては画期的な国会請願まで行い、悪税の廃止に道を開いた。

新潟出身の中村十作や那覇から来ていた城間正安らの援助があったとはいえ、宮古農民の決起なくして人頭税廃止運動は成り立たなかった。農民代表として、国会請願に行ったのは、砂川間切(マギリ、いまの町村)保良(ボラ)村に生まれた平良真牛(タイラマウシ)と同じ間切の福里村生まれの西里蒲(カマ)の2人だった。

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今回、宮古島に旅したさいは、人頭税廃止の記念碑ほか史跡を見たいと思った。でも、予定の2日目午後は大雨となり、今回は残念ながら見られなかった。ただし、宮古島出身で宮古民謡の名手、Hさんが、保良の出身なので、保良に立ち寄った。Hさんのお兄さん宅を訪ねて、真牛のことについても少し聞いた。それで、平良真牛のことを紹介しておきたい。

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平良真牛は1859年、保良村に生まれ、妻マツとの間に2男1女がいた。保良出身なので、通称、保良真牛とも呼ばれた。1893年当時、村の戸数は135戸、人口768人で士族は30人だった。平良家の収穫高は、粟9俵2斗、小麦3俵をはじめ、黍(キビ)、豆、胡麻の合計13俵7斗余だった。税金としての上納粟は夫婦、妹、長男の4人で、合計7俵余にのぼった。粟だけでみると、2俵余りしか残らないことになる。

真牛とともに上京した西里蒲の場合は、もっと過酷だった。西里家の収穫高は、粟8俵、小麦6俵をはじめ、黍、豆、胡麻の合計18俵2斗だった。夫婦、長男、下男(2人)の5人で、上納粟は16俵2斗だった。西里蒲は「一年の収穫をあげて悉(コトゴト)く納めても、なお不足なるを以ってその不足分は全島民と共に、更に来年度まで延期を請願するつもりなり」とのべるありさまだった(『城間正安伝』)。

 

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薩摩の支配下にあった琉球王府はすでに廃止されたのに、過重な人頭税は明治中期にもそのまま温存されていた。そのなかで、人頭税廃止ののろしがあがった。役人による厳しい支配が続く宮古社会のなかで、人頭税廃止を叫び、その先頭に立って行動することは、とても勇気のいることだっただろう。

上京する農民の代表に選ばれたのは、平良真牛と西里蒲の二人だった。旧城辺(グスクベ)町教育委員会の作成した「人頭税廃止100周年人頭税資料展」では、平良真牛は保良村総代、西里蒲も福里村総代とされている。

かれらが、上京して島政改革を帝国議会に請願し、内務省にも建議書を出した。新聞社にも広く訴え世論にアピールするなど、果敢に行動した。こうした運動が実って、その後、政府を動かし、最終的に1903年、人頭税は廃止された。西里、平良両氏は偉大な功労者である。

ところが、宮古島に帰って以後の平良真牛は、農民には歓迎されたが、役人からはにらまれたと聞く。それは、人頭税時代は、役人が税を割り増しするなど、甘い汁を吸っていたのに、そうした役得を損なうからである。

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真牛は、帰島後の1894年、集会条例違反で逮捕され罰金20円に処せられた。そればかりか、帰島後すぐに“フーブク”された。「フーブク」とは封じ込められること。

以下は、「沖縄タイムス」1987年11月7日付「とどろけ!人間賛歌」から紹介する。

「役人によってサルカやアダンの幹で門を閉じられ、一種の軟禁状態になった。農民には喜ばしいことでも、役人には望ましくなかったのだろう」。親族の砂川盛英さんはこう語っている。

「東京に行って貧乏になった。フーブクもあったし、九頭の牛も役人にとられた。働きもできず、隠しておいた食糧を倉から出して食べていた。私が嫁入りしたころは貧乏だった」。真牛の二男と結婚した平良マツさんは、こう語っている。不遇な暮らしを強いられたそうだ。1939年74歳で亡くなった。

しかし、西里蒲と平良真牛の名前は不滅である。「人頭税廃止のあやぐ」にも、真牛が歌われている。

「♪保良真牛が沖縄上り参(くみや)まば 宮古皆の 三十原(みそばら)の男達(ぴきりやた)やピラとらだ 金(かに)うさぬ富貴(うやき)すうま」

「保良真牛が沖縄(東京)上りして使命を達せば、宮古三十カ村の男達は、ヘラや鍬(農具)をとっての人頭税の労苦も免かれ、富貴の世になるだろう」 

 

 

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宮古島市鏡原の馬場で、各地から集まった農民たちが、この「人頭税廃止のあやぐ」を歌い踊ったという。その鏡原馬場にも記念碑があり見たいと思ったが、時間がなく探しきれなかった。「真牛を記念するものは何もないはずよ」と聞いたけれど、生誕地の碑はあるようだ。

人頭税関係の挿絵と写真は「人頭税廃止100周年人頭税資料展」冊子から借用した。

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コメント

レキオーアキアキ 様
はじめまして、中村と申します。中村十作氏の生家(新潟県上越市)近くに住んでおりまして、こちらに6年前に出来ました中村十作記念館(地元公民館に併設)の来館者向けVTRを作成中です。つきましてはH.P.掲載の人頭税関連のイラストをVTRで使用してよろしいでしようか?
よろしくお願いいたします。

s.nakamura様、コメントありがとうございました。
 中村十作記念館は行って見たいですね。新潟県民はじめ各地の人々に、もっともっと知ってほしいですね。
イラストは私も、旧城辺町教育委員会の「人頭税廃止100周年人頭税資料展」という冊子から借用したものなので、私には何の権限もありません。イラストを描かれたのがどなたかも知りません。宮古島市教育委員会に問い合わせをされてはどうでしょうか。使われるのであれば、出典を明示する必要があると思います。

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