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2012年12月 9日 (日)

宮古島探訪、人頭税石

人頭税石(ニントウゼイセキ)

豊見親墓から近くの荷川取(ニカワドリ)に、人頭税石がある。大人の背丈に近い143㌢㍍の高さがある。この石で住民の背丈を測って、この高さになると税金をかけたという伝説がある。077

 1921年(大正10)に宮古島を訪れた民俗学者の柳田国男が、この石を「ぶばかり石(賦測石)」と称し、人頭税の賦課に使われた伝承を著書『海南小記』で紹介しているという。

宮古島は、琉球王国が薩摩に侵略された後の1637年、八重山諸島とともに人頭税制が施行された。人頭税は、貧富によらず、人間の頭数を基準に税金を課す。前近代的な悪税として名高い。男性は粟、女性は宮古上布を納めることとされた。宮古では、1710年には、年齢によって15歳から50歳を基準として課せられた。

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一年の収穫物の大半を租税として徴収され、「一滴の酒、一片の肉」さえ買えないだけでなく、自分が作った粟さえ口に入れられず、サツマイモで露命をつなぐ状態。収穫物で納めても足りなければ、馬や豚を売って納めた。それも納められず縊死(首つり死)する者もあった。『城間正安伝』から意訳して紹介した。

貢租を滞納すると村番所で「かし木」という一種の拷問を受けたという。

税金は、本租だけでなく、本租より多いほど付加税があった。しかも、役人の数がとても多く、上層役人は免税された。士族の負担は平民の約半分にすぎず、負担の大部分が百姓・平民にのしかかった。

 琉球王国が廃止され、沖縄県になってからも、長く旧慣温存政策で残された。悪税の存続に抗議して、宮古農民が立ち上がり、1893年(明治26)、国会請願まで行い、ようやく廃止に至った。実際の廃止は、10年後の1903年(明治36)だった。

 

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人頭税を象徴するように見られるこの石柱も、実際に人頭税の賦課に使われたのかどうかはよくわからないという。説明板は「何故、この石柱が『ぶばかり石=人頭税石』と呼ばれたのか定かではありませんが、人頭税が年齢による以前、即ち役人の見立てで税を賦課されていた頃、或いはそれ以前に『あの石の高さ程になると税賦課される』という目安のようなものであったかもしれません」と記している。また、「屋敷神」「陽石」「図根点」など多くの説が出されているとのことである。

実際に、石柱を見ると、意外に背丈が高い。沖縄の人たちは大和人(ヤマトンチュ)より少し背が低い。だから、15歳でも、この高さにならない人もいただろう。だから、石柱は実用性からいっても疑問を感じる。では、どういう用途に使われたのかは、まったく判断材料がない。ただ、この石が人頭税の賦課に使われていないとしても、この稀代の悪税の残酷さにはまったく変わりない。石を眺めていると、石柱が人間の姿に似ているので、人頭税の過酷さを石に重ねて「人頭税石」の伝説が生まれたのではないだろうか。そんな気がしてくる。

 

 

 

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