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2012年12月 8日 (土)

宮古島探訪、久松みゃーか(巨石墓)群

久松みゃーか(巨石墓)群

 宮古島市の市街地を少し南に行くと、久松に出る。ここには、「みゃーか(巨石墓)群」がある。久松では古くから「ぶさぎ」と呼んでいる。14~16世紀の創建と推定される。かつては多数あったけれど、現在確認できるのは4基であるという。

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 付近を見て回ったが、確かに巨石が並べられているが、もう墓の形には見えない。がじゅまるがうっそうと茂っている。残念ながら、専門家の説明を受けないとよくわからない。

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宮古の民俗、歴史の研究者である稲村賢敷氏は、「宮古在来の風葬墓地で、15世紀末ごろまで巨大なものへと発達、その後沖縄本島の影響をうけて横穴式へ移行」したと見ている。金子エリカ氏は、「1360年ごろから元・明動乱をさけて、優秀な技術をもって大陸から渡来した一群の人々によってつくられた」という見解だという。

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久貝ぶさぎは、仲宗根豊見親(ナカソネトゥユミヤ)の夫人の父親の墓と言い伝えられている。仲宗根豊見親のころに宮古の石造建築物は著しく発達したとみられる。

以上は説明板から要約して紹介した。

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私的には、稲村氏の見解に説得力を感じる。巨石だからといってすぐ渡来人と結び付けるのは疑問に思う。

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