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2013年1月27日 (日)

八重岳桜祭り2013

 日本一早い桜まつり、山原の八重岳桜祭りに出かけた。昨年は、ちょっと早すぎて、あまり咲いてなかったので、桜祭りの開始より1週間遅く出かけた。

Img_1163 ところが、八重岳に車で登りはじめると、もっとも下の部分で、なんと花は少なく、葉っぱが出ているではないか。沖縄のカンヒザクラは、寒い北の方から、それも気温の低い高い所から咲き始め、だんだん南部の温かい方に下りてくる。大和のソメイヨシノとは真逆である。Img_1152

 登っていくと、やはり山の中腹、頂上部は当然、もう満開は過ぎて、葉が出ている木が多い。満開の状態で咲いているは、陽の当らない木陰になる場所ばかりだった。

Img_1162 といっても、満開の桜は、ピンクの色も鮮やかで美しい。青空に映えている。
 桜にはメジロが似合う。少し数は少ないかもしれないが、メジロは花弁にくちばしを入れて蜜を吸っているようだ。
Photo 駐車場まで下りてきて、出店の並ぶところまで歩いて行くと、なんか、立て看板がズラッと並んでいる。

Img_1166
 「八重岳桜HISTORY」と題して、桜並木が作られた歴史が、一枚に一言ずつ書かれ、23号まで続いていた。読み歩くと、こんな文面だった。
 先の大戦後、アメリカの統治下にあった、ここ八重岳もアメリカ軍が駐留する基地であった。昭和38年(1963)、基地の一部を残して八重岳が返還された際、本部町役所が緑化推進運動の一環として、5年がかりで八重岳の沿道に桜を植栽したのが桜並木の始まり。その後年々整備され、昭和54年(1979)第1回目の桜祭りが行われ、「ひと足お咲きに」をキャッチフレーズに、日本一早い桜まつりが全国に発信されるようになった。
Img_1167
 
 このブログでも昨年、2012年2月18日付け「琉球新報」に掲載された、本部町在住の島袋貞三さんの「桜日和」と題するエッセーを紹介しておいた。
  八重岳には、芭蕉敷(バショウシキ)と呼ばれる集落があった。沖縄戦で、山は戦場になり、米軍の攻撃で焼き尽くされ、双方の兵士や住民ら多くの人々が犠牲になった。戦後、郷土の荒廃とすさんだ人の心を癒すにはどうしたらいいのか。1962年に町長になった渡久地政仁さんは、この課題に向き合い、63年、琉米親善委員会で当時の司令官にかけ合い2万ドルを補助してもらった。
 その金で八重岳の入り口から頂上に至る道路に桜の木を植えた。荒れた山だった八重岳を、桜の花によって癒やしの森につくり変えた。芭蕉敷の人たちにも協力してもらい、年々桜の木は増えていった。
 「戦争で犠牲になった人々の慰霊と、これから育っていく子どもたちの将来への希望を込めた桜並木になるように」と渡久地さんは願ったそうだ。Photo_2

 このブログで「八重岳の桜並木の由来、先人の努力について、書かれた案内板などがなにもないのが残念だ。案内板があれば、見物に訪れる人たちにも広く知ってもらうことができる。ぜひ、町、観光協会などで設置を考えてほしいものである」と書いておいた。
 「八重岳桜HISTORY」という割には、ちょっと簡略ではあるが、桜を見に来る多くの人が、桜並木の由来についてほとんど知らないと思うので、知ってもらうためによい企画だったと思う。感謝。 

追記
 
 

山原に畑を作りにいっているUおじいに聞いてみると、桜の木に花ではなく、葉っぱがたくさん出ているのは、満開が過ぎたからではなく、昨年の台風の塩枯れで、花があまり咲かないまま葉が出ている、満開のところは、台風の被害が少なかったところだ、と話していた。

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