無料ブログはココログ

« 竹富島の世持御獄 | トップページ | 「伊野波の石くびり」を訪ねる »

2013年1月21日 (月)

映画「ひまわり」を見る

 米軍のジェット戦闘機が1959年6月30日、うるま市石川で墜落した事件を描いた映画「ひまわり~沖縄は忘れない、あの日の空を~」を、沖縄市の「あしびなー」で見た。

 米軍占領下でさまざまな苦難を受けながら、県民は復興へ向けて懸命に生きていた時代だ。当時の石川市宮森小学校では、校庭にひまわりの種を植え育て、給食にミルクが配給されだした。その楽しい学校は一瞬にして地獄と化した。戦闘機が住宅地に墜落し、炎上しながら教室に激突した。住民6人、学童11人(後に後遺症で1人死亡)が死亡、210人の学童、住民が重軽傷を負う大惨事だった。操縦士は、脱出していた。

130119_150201_2


 宮森小で事件に遭った山城良太は、年老いて娘の家で暮らすが、事件を忘れようとしても忘れられない。傷跡にいまも苦しむ。孫で沖縄国際大学生の琉一が、ゼミ仲間と沖国大のヘリコプター墜落事件、50年余前の宮森小事件の調査とリポート活動に取り組む。さらに、基地と平和を考えるピースフルコンサートの開催を準備する。映画は、そんなストーリーである。

130119_130701
 上映前に、出演した子どもたちが登壇してあいさつした。子役は、200人の応募者から選ばれた。みんな熱演して、当時の学校や子どもたちと住民の暮らしぶり、そして墜落による悲劇がリアルに描かれていた。

 子役がたくさん出演していることもあってか、観客も子どもが多く、親やおばあちゃんに連れられて来ていた。平和の尊さ、基地があるため繰り返される悲劇の理不尽さが、子どもたちの心にも、深く印象づけられたではないだろうか。


 民謡を愛好するものとして、感心したのは、島唄が効果的に使われていたことだ。

 主人公の良太は、子どもの時から歌三線をたしなむ。映画は、大人になった良太を演じる長塚京三の「屋嘉節(ヤカブシ)」で始まり、最後はコンサートで演奏する「平和の願い」で終わる。

130119_145701_6

 

 「屋嘉節」は、金武町屋嘉にあった捕虜収容所で作られた歌だ。「故郷の沖縄が戦場になり、世の中のみんなが涙を流した」と歌いだす。代表的な平和の島唄である。

 「平和の願い」は「沖縄という島はいったいいつまで戦の世が続くのか、やすやすと暮らせるのはいつのことか」と歌いだす。復帰前の1969年ごろ作られた曲。ベトナムの戦場と沖縄が直結していた時代だ。平和の願いと、復帰によって基地のない平和な沖縄が実現することへの期待が込められた歌である。

 驚いたのは、長塚京三が、みずから三線を弾いて、自分で歌っていたことだ。いっしょに映画を見たツレは、「別の人が歌っているのではないか」と感じたようだが、プロ歌手の歌ではない。映画のために、三線と島唄を習って、これだけ弾けて歌えるとしたら、すごい役者だと感じ入った。

 映画全体でも、音楽と芸能が大事な役割を担っていた。戦後うちひしがれていた人々を、小那覇舞天(オナハブーテン)が「石川数え唄」を歌い、歌と笑いで励ます場面が描かれていた。ピースフルコンサートの開催も、沖縄では古くから苦しいときも、音楽、芸能を力にして乗り越えてきたことを想起して計画したものだった。
 他にも「汗水節」「テンヨー節」「唐船どーい」など島唄が使われていた。
 沖縄だけでなく、全国の多くの人にみてほしい映画である。

 
 

« 竹富島の世持御獄 | トップページ | 「伊野波の石くびり」を訪ねる »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 映画「ひまわり」を見る:

« 竹富島の世持御獄 | トップページ | 「伊野波の石くびり」を訪ねる »

最近のトラックバック

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30