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2013年1月17日 (木)

石垣島の拝所、天川御獄

石垣島の拝所

 

石垣島に行ったのは、2011年3月だった。ブログにもいくつか書いてアップしたが、なぜか巡った拝所については、書いていなかった。遅まきながら、アップしておきたい。

石垣市内にたくさんの拝所がある。昔からの御獄は、石垣では「オン」と呼ぶ。たいていは、鳥居があり、それをくぐると拝殿がある。沖縄本島の御獄は、鳥居は少ない。八重山、宮古は、本島以上に、明治以降の大和化が徹底されたようだ。

その奥にまた聖域があって、神が降臨する「イビ」がある。イビのある聖域には、通常は外部の者は立ち入れない。沖縄本島の御獄と少し違う雰囲気がある。たくさんあるので、とても全部は回れない。石垣市街地の登野城(トノシロ)付近にある御獄と大浜地区でいくつかの御獄を見た。

 天川御獄

 天川御獄(アーマーオン)は、古い歴史がある御獄だが、拝殿は真新しい。
                         

 

天川御獄は歴史は古く、伝承では、新城家(アーマーヤ)の祖先で霊験高く篤農家でもあったヌサマ(野佐真)が、アーマーバル(天川原)の霊石を信仰していたことから毎年豊年が続いた。海岸にカイラーギイという漁業施設を作っていたが、霊石に祈願したおかげで、つねに豊漁だった。村人たちも豊年、豊漁の神として尊信するようになったといわれる。

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 首里王府時代には、沖縄本島への貢納船に乗り込む役人の航海安全を祈願する七嶽の一つとされていた。

 
 雨乞いの御願(ウガン)では、登野城全体の雨乞いの御願を一手に引き受けるという。村が供物をささげて祭祀を行う村公事(ムラクジ)御獄である。

 現在も折々の祈願のほか、旧暦6月には豊作への感謝と来る年の豊穣を祈る豊年祭が行われるという。案内板の挿絵(上)では、ミルク様(弥勒菩薩)が「天恵豊」の幟をもっている。

 

 

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 こういう説明を見ると、もともと住民にとっては、豊作、豊年が何よりの願いであり、霊石が信仰を集めたとのことだ。石垣島は、王府時代には人頭税で苦しめられたので、豊年への願いはとくに切実で、豊作だった年は、神に感謝し、税を完納した喜びを祭りで盛大に祝ったという。しかし、役人が航海の安全を祈願するというのは、本来のこの御獄の役割とは異なる。

 
 庶民にとっては、豊作が何より重要な願いであり、役人にとっては、航海安全が一番の願いだったのだろう。祈願する人の立場によって、祈願の内容は変わる。

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拝殿の裏に、石門があり、鉄柵で閉ざされている。その奥にイビがあった(上)。立ち入れないので、門の外から中をうかがった。

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