「島分け」の悲劇と「久場山越路節」、その2
「久場山越路節」の本来の元歌は、さきにのべたように「島分け」とはまったく関係のない歌詞である。
この歌の舞台となる久場山越路の峠は、石垣島の東北部、昔の桃里村と野底村の間にあった。曲がりくねって登るので、八重山の峠の中で最も険しい山道と言われている。元歌は、大浜英普(1775-1843年)の作。彼は1836年、野底村の与人(ユンチュ、村長格)を拝命した。
元歌の歌詞を紹介する。
♪越路道(クイチゥミチゥ)ぬ 無(ネー)ぬらば 山道ぬ無ぬらば
♪越路道ん ありばどぅみしゃーりぅ 山道ん ありばどぅみしゃーりぅ
♪何(ナウ)しきぬ 越路道 如何(イカ)しきぬ 山道
♪踏(フ)ん倒(トー)しぬ 越路道 薙(ナ)い倒しぬ 山道
♪越路道ぬ 長ぬまま 山道ぬ 幅(チゥマ)ぬまま
♪絹布延(イチュハ)ゆてぃ 案内(チゥカイ)しぅ 布延(ヌヌハ)ゆてぃ
招待(ウファラ)しぅ
♪誰誰(タルタル)どぅ 案内しぅ 何何(ジリジリ)どぅ 招待しぅ
♪野底主(ヌスクシュー)どぅ 案内しぅ 目差主(メザシゥシュー)どぅ 招待しぅ
歌詞の和訳を紹介する
♪険阻な峠道がなければ(いいのに) 険しい山道がなければ(いいのに)
♪険阻な峠道もあった方がいいのだ 険しい山道もあった方がいいのだ
♪どのようにして開いたのか、峠道を 如何なる方法で拓いたのか、山道を
♪踏み倒して開いたのだ、峠道は 薙ぎ倒して開いたのだ、山道は
♪峠道の道のりすべてに 山道の幅いっぱいに
♪絹布を敷き延べてご案内します 布を敷き延べてご招待します
♪どなたをご案内するのですか どのような方々を招待するのですか
♪野底村の与人(村長)役人様をご案内します 野底村の目差(助役)
役人様をご招待します
この元歌は、歌詞を見るとすこし複雑な内容である。相反するような要素があるからだ。久場山峠の山道の越路がなかったならばいいのに、どうして開通させたのか、踏み倒し、薙ぎ倒して開けた越路道であった、とその苦労が歌われている。
同時に、峠道、山道はあった方がいい、と見方が逆転する。さらに絹布を敷き延べて野底村の与人(村長)、目差(助役)をご案内します、と役人を褒め称えるような内容になっている。
この歌詞には、峠道を開く難工事に駆り出されて、苦労した庶民の側と、開通を計画して住民を動員して進めた役人の側の両方の見方が反映されているような印象がある。
もともとは、峠道を開く苦労と恨みがこもった歌だったのではないだろうか。それに、役人が手を加えてこのような歌詞に仕上げたのかもしれない。私的な勝手な推測である。
八重山の古典民謡には、他にも同じような例がある。「島分け」を進めた役人の責任を厳しく問う歌詞と、そのあとに、そんな役人の出世を願うという相反する内容が盛り込まれた曲があるからである。たとえば「舟越節(フナクヤーブシ)」である。
« 「島分け」の悲劇と「久場山越路節」、その1 | トップページ | 「島分け」の悲劇と「久場山越路節」、その3 »
「音楽」カテゴリの記事
- アルテで「肝がなさ節」を歌う(2014.02.10)
- アルテで「歌の道」を歌う(2014.01.13)
- アルテで「時代の流れ」を歌う(2013.12.15)
- 第30回芸能チャリティー公演で演奏(2013.11.24)
- ツレが「渚のアデリーヌ」を弾く(2013.11.18)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント