石垣島の拝所、宮鳥御獄
宮鳥御獄
桃林寺や権現堂のそばに、由緒ある宮鳥御獄(方言名メートゥリィオン)がある。
その昔、弱肉強食の時代、石城山(イシスクヤマ)にナアタハツ、平川(ヒサガー)カワラ、妹マタネマシスの三兄弟妹が住んでいた。ある日、神が妹に乗り移り、人間の行うべき正道を教え、慈悲仁愛をもって諸人を愛し、神を敬うべしと託宣があった。神の教えに畏(カシコ)み、ここに一宇を建てて拝所とし、神を崇敬した。また慈悲に愛の心をもって諸人を愛した。兄妹の作物は年々稔り豊作した。人々はこれを見て、次第に集まって村となった。いまの石垣、登野城村がこれだと、伝えられる。
この伝承は、御獄でありながら、神の尊崇だけでなく、人間の生きる道、慈悲や愛の心をもって生きる大切さを説いていることが注目される。沖縄の御獄をいくつも見たけれど、現生の人間の生き方を説いた御獄は初めて出会った。
宮鳥御獄は、石垣の中心部にある四カ村発祥の伝承をもち、字石垣の豊年祭(プーリー)をはじめとする年中行事の舞台となる御獄である。
鳥居、拝殿、イビ手前の木造の門(上写真)、石造りのイビ門、イビ内の祠(ホコラ)が南北の軸線上に配置されている。
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