「ハイサイおじさん」余聞
「ハイサイおじさん」と言えば、喜納昌吉の代表曲である。彼が、高校生の時に、近所にいたおじさんをモデルに作ったという話は聞いたことがあった。ところが、5番まである歌詞もすべて彼の作詞だと思っていたらどうも違うらしい。
というのは、滝原康盛著『琉球民謡解説集上巻』を読んでいたら、意外な記述に出会った。滝原氏が、補作補詞をしたという。滝原氏は、ご自身が民謡「瓦屋情話」の作詞作曲をはじめたくさん民謡をくつられている。しかも『正調琉球民謡工工四』12巻セット、『琉球民謡解説集』3巻など、数々の民謡集を出版されている。これらの著書は、民謡を学ぶ者にとって、とてもありがたい存在である。
滝原氏は、「ハイサイおじさん」の生まれた事情について、次のように記している。
「この唄は、喜納昌吉が高校一年の時に母親に頼まれて、補詞補作した思い出ゆかしい曲である。彼は当時 ギターで作詞作曲し弾いていたが 彼が作ったのは『ハイサイ叔父さん <(繰り返し) 夕びぬ三合瓶小(ぐわ)残(ぬく)とんな 残とら我(わ)んに分(わ)きらんな アリアリ』迄で そのあとは私が 補詞補曲して 完成させたものである」
この曲は長くて5番まであるが、滝原さんの言う通りなら、喜納昌吉が作ったのは1番だけで、あとの2-5番までは、滝原作ということになる。
この曲の、モチーフと主旋律というオリジナリティーの基本は、喜納作品であるが、全体像を構成する上では、滝原さんの助力が大きかったことになる。
この曲の背景には、沖縄戦の傷跡があると聞くが、出来上がった曲自体には、そんな背景は反映されていない。近所のおじさんに向かって「夕べの三合瓶は残っていないか」「娘を嫁にくれないか」「おじさんのハゲが大きいことよ」「ヒゲが滑稽なことよ」などと、からかうような内容である。滑稽歌の範疇に入るのではないだろうか。
もともとこの曲の5番には、遊郭が登場することをすでにこのブログでも書いたことがある。「ハイサイおじさん ハイサイおじさん 昨日の女郎小ぬ 香(か)ばさよい 貴方(うんじゅ)ん一度めんそうれえ」という歌詞が出てくる。
和訳すると「今日はおじさん 夕べの遊女の香りが良かったことよ おじさんも一度くらいいらっしゃったら」と語りかける。この曲を自分でも歌ってみたとき、高校生が作ったにしては、遊郭に遊びに行って「香りが良かったよ」と歌うことに、ちょっと不可解な感じがした。
でもこの部分を含めて、2番以降は、滝原さんの作詞だとすれば、納得がいく。もっとも、これは滝原さんの説明であって、喜納昌吉が曲全体の完成について、どのように説明しているのかは、よく知らない。ただ、曲の完成について、一つのエピソードとして興味深かったので紹介しておきたい。
« 見事だった新お笑い王座、ハンサム | トップページ | 「島分け」の悲劇と「久場山越路節」、その1 »
「音楽」カテゴリの記事
- アルテで「肝がなさ節」を歌う(2014.02.10)
- アルテで「歌の道」を歌う(2014.01.13)
- アルテで「時代の流れ」を歌う(2013.12.15)
- 第30回芸能チャリティー公演で演奏(2013.11.24)
- ツレが「渚のアデリーヌ」を弾く(2013.11.18)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント